岡潔・森田眞生著『数学する人生』を読んで
皆さん、こんにちは!
今回は、『数学する人生』を読んで、感じたことについて書こうと思います。
というのも、私、岡潔が大好きなんです(笑)。
最初は、『人間の建設』から彼を知ったんですが、日本のことやこの世界のことを本気で考えて生きていることを感じて、なぜそんなにこの世界の安寧を考えられるのか。そもそも数学者がなぜそういったことを考えるようになったのか。めっちゃ気になってしまい、一気に5冊ぐらいパーと読みました。
でも、彼の本って、「情緒」がキーワードになるんですが、この言葉が非常に分かりにくい。それを、俳句、仏教、数学などで表しているんですが、そもそもそれがわからん(笑)。読めば読むほどわからなくなる彼の思想ですが、そんな彼の本を紹介していきます。
それでは行きましょ~
数学する姿勢
岡潔はどういう態度で数学と向き合ってきたのか。彼はこう述べる。
なるほど、数学者が数学の研究をするということは、最初からわかるから、研究するのではない。むしろ、分からない事象に対して、ひたすら関心を向ける。すると、おのずと答えが分かってくるというのだ。
今の時代に生きていると、分からない事象があったらすぐ答えを求めがちである。ネットで調べればすぐ答えが見つかるので、別に関心を向けなくても社会で生きていけるようになっている。でも、そうやって安易に手に入れた答えは血肉にはならず、すぐ忘れてしまうようなものになる。記憶に残るものでもないので、思い出がない人生になってしまわないだろうか。そのことは彼も理解していて、こう述べている。
つまり、事象が分かるという現実には、裏で、どれだけ関心をあつめていたかという「情」の働きのおかげであると述べている。
今の社会は、これが容易にできてしまった結果、頭ではわかっているけど、行動ができていないという現象につながっているのではないだろうかと感じる。もし、分からない事象に関心を向き続けていれば、「情」が働くため、忘れるなんてことはありえないし、また体もぱっと分かってくるはずである。なので、若者の悩みに「やりたいことが分からない」というのがあるとよく聞くが、これは典型的に容易に答えを見つけ出したいというある種の”逃げ”となるだろう。そうではなく、まずは、関心を向き続ける。そこから、分かってくることを信じて行動する。その積み重ねが、”人間”としての在り方であると分かるだろう。
最後に、
いかがだっただろうか。最後に、私がこの本で一番気に入っている文を紹介しようと思う。
なんということだ。彼は、関心を続けることを一生、いや永遠に続けるつもりで生きていたということになる。それは、どれだけ大変で苦労に満ちた人生だったのだろうかと容易に想像ができる。だからこそ、私は彼の思想を引き継いで、今の時代と照らし合わせて伝えていきたいと思っているし、そうしなければいけないと強く感じる。ぜひ皆さんも、岡潔の本を読んで、何か感じてほしいと思う。
では、次回もまた、お楽しみに!