日本人として生きるということ【続編】
皆さん、こんにちは。
実は、前回書いた”日本人として生きるということ”ですが、
書いている途中で、書きたい内容が変わってしまったので、
今回も、続編で書いていきたいと思います。
というか、皆さんそもそも、この記事を読んで、
なんで、そんなに日本人にこだわるんだよ
って思いませんでしたか(笑)。
僕なら真っ先に思います。
まぁでも、この世の中で、何も志や夢を持たずに、
楽しく生きるということに、
僕は限界を覚えたんですよね。
今の時代の娯楽というものは、
そういった、自分の中にある思いというのを
すっかり忘れさせてくれるものばっかりですよね。
別に目的をもって、やるには全然いいんですよ。
でも、無目的に時間を浪費できるんですよね。
その、”人生の罠”のようなものに引っかかると、
なかなか一人では抜け出せません。
ほんとうにこれは厄介でね、
僕自身も何度も何度もこの罠にはまり、
気力0状態から一日始まるなんて、しょっちゅう。
自分はそんなの望んでないのに、
なぜかこうなってしまう。
まるで、”中毒状態”ですよね。
だから、こんな世界に嫌気がさすのは。
当然といったら当然ですよね。
でも、じゃーやりたいことやったらいいじゃねかーよ
という声が聞こえてきそうですが、そうはいきません。
そう、そもそもこんな状態になってしまっているのは、
現状、やりたいことをしたくてもできないと
思い込んでしまうがゆえに、”人生の罠”に引っかかっているので、
死ぬ気でやるというある種の”覚悟”がないと
なかなかあの誘惑には抜け出せません。
こんな感じで、快楽と戦うというのは、
結構厳しいものなんですよ。
かといって、快楽なんてもうやめてやると決めても、
次の日には負けてしまっているなんて自分はよくあります。
では、どうすればいいのか。
そのヒントが、”日本人”というキーワードに
隠されていると自分は確信しています。
絶望を楽しむという境地
そもそも、こういう類のことを考えていく前に、
私たちは、この世界のことをどれだけ知っているか。
ということを考えてほしいんですよ。
例えば、私が立つ。と決めたら、椅子から立てますよね。
でも、その時にきっと私の膝の筋肉がグイっと動いて、
血流が流れ、”立つ”という状態に体をセットさせ、
私たちは立つことができるんだと思うんです。
ではここで、なぜ、そのように”立つ”という状態まで
体をセットさせることができたのでしょうか。
そう、理論で考えても分からないんですよ。
僕なら、そう思ったからと答えますが、
それは現代の科学の答えとはならないですよね。
だって、論理的ではありませんから。
そう、こんな風に、私たちが普段やっている行動ですら
分からないことだらけなんですよ。
こんなにも分からないことだらけの世界で、
私たちはいかにもこんな風に生きろと、
教育させられているわけなんですよ。
それって、おかしい話ですよね。
だって、あなたたちですら、この世界の1%も分かってない世界で
社会からこういう風に生きろとまるでこの世界が分かっているかのように
教育させられるわけなんですよね。
そう、だから、ある意味”絶望”的な世界なんですよ。
何もわかってないんです。本当に。
分かってると思い込んでしまうのは、
自分自身の傲慢であり、社会からの洗脳であり、
そうなると、人は学ばなくなります。
学ばない人はどうなるか。
快楽におぼれるんですよ。
これが、自分が導き出した1つの答えです。
この状態から脱するには1つしかなくて、
要は、勉強しようぜ、学ぼうぜということなんです。
しかも、ただ学ぶ、勉強するのではありません。
人生かけて、学ぶんです。勉強するんです。
それはまるで”絶望”を楽しむがごとく
一つ一つの現実と向き合い続け、
この世界を楽しんで生きるということです。
まとめ
というか、また、日本人ということを
話せずに終わってしまいますね。これ。(笑)。
自分自身でも、こんなに話せることがあるのかと思うぐらいですが、
でもこれって、めっちゃ大事なことだと思うんです。
なぜ勉強するのかを教わらないのに、
勉強しなさいといわされ続けるって、
なんか理不尽ですよね(笑)。
でも、なんで勉強しなさいって言われるのかというと、
その人も勉強しなさいと言わされ続けただけなんですよ。
それだけなんです。意味の分からない理屈ですよね。
だから、勉強する人が減少しているのは
当然のことだと思います。
でも、本当に自分が生きたいように生きたいなら
勉強しかないんです。学ぶしかないんです。
それだけが、あなたが絶望したときに
助けてくれる唯一の知恵となりますから。
次回もお楽しみに!