今まで、 どんだけ自分のことを、 ぞんざいに、ボロ雑巾のように、ないがしろに、 取り扱ってたか、に気付きました。
どうも、ようやく、トリック小屋から抜け出せて、 真実が見えて来たようです。 小学生の時、原家族には戻れない、と、絶望し、 私には、原家族はいなかった、と、原家族を捨てる! と決意した時のことは、 ハッキリ覚えています。 その後、諦めて、偽りの家族で生きて来たので、 ずっと、ベールに被った真実を見ることがありませんでした。 ここへ来て、 ようやく!真実が見えるようになりました。 それでも、まだ、 時々、偽りが顔を出すことがちょくちょくあって、 心が揺れる時がある。 今は、そんな
エネルギーのじゃじゃ漏れ、という言葉の意味が、 ようやく分かって来た。 ➖️の感情が出たら、 自分に返し、 創造を生み出す。 ➖️が宝、と言われるのは、そういうことだったのかー。
元夫が、よく怒り出して怖かった、のは、 私の長年閉じ込めていた怒り、が噴出していた姿だった、と今になって理解出来た。 あれほど、私は、怒っていた。 その怒りが、何から生まれたのか?を知る、 ために、自分の気持ちを日々観る! から、ブレないように、 今更ながら、決めた。
絶対的に信頼していた実の弟に裏切られた体験が思い出されたけど、 感情が出て来ない。 もう、昇華したのかなー? 血の繋がった唯一の兄弟なのに、、、 と思っていた。 大きな裏切りがある、ということは、 同時に、大きな信頼もある、ということか? あと、 私は、自分の血、を嫌ってた!と分かった。 ってことは、 自分の血!を好きってこと?
今、心の中がとっっても静かです。 ボーっとしてる感じで、、 今までは、 心の中に、ずっと葛藤があった、 ミロスの設計図の➕️と➖️が戦っていた、 ということだと分かりました。 人間は、この世の成り立ちであるミロスの設計図を知らなかったから、 ずっと闘いが終わらなかった。今は、あっちもこっちも闘いだらけ💦 どこまで行けば、反転するのか? でも、今、ミロスを理解した人が増えてきたので、 闘いを終わらすのも夢じゃない!
ずっと、私の居場所、お金、大事なものを、 奪われて来た人生だと思っていました。 なんと! 自分が、自分の大事なものを奪って来た! と分かりました。 私は、自分に代々受け継がれて来た素晴らしいものを、 嫌って、そこから逃れる生き方をして来たことに気付きました。
目の前は、自分!なのだから、 目の前の幼児の女の子が、遊んでもらってる、 のを見て、 幼児だった時の自分が遊んでもらってる、 と感じました。 こうして、 ミロスで、 生き直すことが出来る、 と分かりました。 ここんとこ、子供たちを通して、自分を知る事が多くなって来ました。 苦しくても、大丈夫!と言って、我慢してきたこと。 小学1年から、家族と離れ、誰一人知らないとこで、一人ぼっちで生きて来たので、 不安で、怖くてたまらなかったこと。 私の居場所などいろいろなものを、
先週、ミロスのオンラインイベントが2日続けてありました。 その前日から、真っ最中の前後で、究極の体験がありました。 とても、ここには書けない出来事でした。 なので、イベントに参加出来ない、と、よぎりましたが、少し遅刻したけど、参加しました。 そこには、 歓喜の話をする人と、 私ともう一人、真逆な話をする人、がいました。 私の中で、こんな歓喜の時に、ドン底の自分をさらけ出し、劣等感が出て来ました。 そして、イベント後、 究極な事が起きました。 今は、それがあったから、 先祖代々
昨日の続きです。 長男に、ゴメンね、と、 ありがとう を伝えました。 返事は、 優しい返事が返って来ました。 どこまでも、母親の私をいたわる言葉でした。 ミロスで習った 鏡 を思い出しました。
守るは、支配と同時にある、とは、驚きましたが、 まさしく、 長男が、孫を守ろうとして、支配する、 ということがありました。 長男は、幼稚園の頃から、 弟たちの子育てで大変だった私をずっと助けてくれました。 離婚、復縁、離婚を繰り返す両親を支えてくれました。 なのに、私は、 そのことの感謝を、長男に伝えていなかった。 だから、長男は、いっぱいいっぱいで、 不登校の孫を見てて、 弟たちが重なって、、 DV的なことが起きた原因は過去が浮上したからだそうです。 でも、今、これに
息子の助けてーの叫びの後、 自分を見てー!! と何度も何度も言われました。 これは、 やっと出て来た私の感情だと分かりました。 そして、 私が、今まで、 私自身を見てなかった だから、 私が、私を見てー!!! という、 私の叫びだと、分かりました。
ずっと、病院に入れられ、隠されていた実母、 自分の思いを口に出しても、信じてもらえず、 そのうち、 自分の声を押し殺す! という、生き方しか出来なかった実母。 結局、私も、北海道に連れられ、本来の私の居場所から離され、隠されていた私。 何故なら、実の弟の結婚式の参列者名簿に、 私は、姉なのに、実父に、私を、いとこ、と表記していいか?と電話が来て、私は訳わからず、OKを出した。 私は、北の外れの街で、幼い子ども達の子育て真っ最中、とっても東京の結婚式に参加出来る状態ではなかっ
4日前に、実母のお墓参りに行って来ました。 翌日が、楽しみにしてた初心者手編み教室の初日だったので、日帰りで帰りたかった。上越新幹線で、東海道新幹線のように、あまり頻繁には走ってないので、日帰り無理かなーと諦めていました。 ところが、何故か、朝5時頃目が覚め、すぐ支度すれば行ける!と思い出発しました。 さて、目的の越後の新幹線駅に到着したものの、母のお墓のあるお寺の名前が分からない。 でも、タクシーに乗り、おぼろげな記憶をたどり、運転手さんが優しくて、親身に、いろいろ連れて行
実の親元から遠く離されてから小学2年頃、おばあちゃんの家の工場に住み込みでいた中卒の男にいたずらされたことがあるから、 自分が女性である事を全面的に嫌っていました。 それでもいつからかその記憶を無くし結婚して、念願の男の子3人産みました。 今思えば、私のような思いをさせたくないので、女の子は産みたくなかった。 念願の3人産んだ翌年、子宮癌になり、子宮を全摘、女性の部分を取り除き、 私は、何故か、ホッとした。 今度生まれる時は、絶対、男に生まれたかった。 女を嫌っていたので、
子供の頃から、この世には、法則がある!と思っていた。 それが何なのか?ずっと彷徨っていた。 子育ての時、 夜中に、赤ちゃんが熱を出し、呼吸が荒くて辛そうな時、 横に寝てる元夫に、起きて一緒に、赤ちゃんを見守って欲しくて、揺り起こすけど、全く起きてくれず、爆睡してた。 私は、1人で赤ちゃんを見守るのが、不安で不安で、たまらなかった。 1人で、赤ちゃんの熱を放出させるため、うぶぎを脱がしたり、寒くなりすぎないよう、また着せてみたりを繰り返し、 全く目が離せなかった。 する