心を吐き出したいと、どこかで誰かが見てくれる場所で。 私はこう感じてるんだ、こう思っているんだって、知ってもらいたくて。 でも、なぜかその10%も吐き出せない。 吐き出した瞬間に、全部無意味なんじゃないかって思い始めて、吐き出すことに躊躇してしまう。 かっこつける場所じゃなく、ただ聞いてもらえるような場所にしたかっただけなのに、文章にしたらそれが急に仮面をつけ始める。 どうしたら素直に書けるかな。
最近は言葉が溢れ出ることもなくて、ほぼ無な生活をしています。 繰り返しの日常をこなすこと。 1日の終わりが待ち遠しくて、ホッとしたくて仕方がない。 でも、いつかまたとめどなく書きたいと思える日が来るかもしれないと、希望をもって生きてもいます。
虚無を生きる若者 未来を求める高齢者 知らないほうが幸せだった 無知であるほうが希望があった 通り過ぎる過去を眺めては 未来をそっと置き去りにしているような 今はただの側から見てる傍観者 生きているようで死んでいる 死んでいるようで生かされている 選択肢は自分には無い 閉じていく心と体 早く蓋を閉めて どうか安らかに眠らせて
降りしきる雪の重み 重なり合うその中で 音もなく忍び寄る気配に 私たちは気づけない 静寂と白銀の世界 現実と夢想の境
希望を一つくださいな 暖かい光のような希望を 希望を一つくださいな 幸せな気持ちになる希望を 希望を一つくださいな 喜び溢れる希望を 希望を一つ、くださいな
今という瞬間 それはささやかな愛しい時間かもしれない それとも不安や悲しみで絶望している時間かもしれない その瞬間はそれが全てかもしれない でも、長い夜が明けて朝日が昇るように また違う瞬間がやってくるかもしれない 今という瞬間に生きる私たち また違う瞬間を待っている私たち
永遠と煌めく夜景。 転々と連なる住宅地の灯り。 電車に呑み込まれる人々。 昔友人に、こういうの見てると気が遠くなってくるんだよねと話したことがある。 もちろん共感はしてもらえなかったが。 その感覚は突然で、自分でもよくわからない。 たが、例えばマンションの一つ一つの灯りは、ただの灯りではないのだ。 当たり前だが、そこには誰かが住んでいて、生活があり、人生があり、苦しみがあり、愛しさがある。 その一つ一つは世界に一つだけ。 そして、毎日が巡って、生まれては死ぬ。 その一
体中に膿が溜まっていた 皮膚に爪を立てて押し出した 膿を出したら体に穴が空いた 穴だらけになった また膿が溜まるのか、他の何かが補うのかわからない ただ穴を見つめて、それを感じるだけだった
始まってもいないのに終わったような毎日で 未来が見えないのです 何が怖いのか 何が救いなのか 問いかけることさえも 鉛のように重いのです 手は震え、胸が苦しみ、脱力する体を 受け入れるだけの力が無いと感じるのです それでも、まだ死にたいとは思わない自分に 希望があるのなら、まだ生きたいと思うのです
創作品から感じたことと、実際の創作者との印象はかなり違う。 私は、創作品に関心を持ってもらうのは好きだ。 でも、創作品を通して自分を知ってほしいと思う欲がある。 だから、こうして自分を書くことを時々しているんだと思う。 私が詩を書くのは突発的で、1作品5分から15分くらいだ。 思いついたままに書いて、読み返して、納得したら投稿する。 詩人とは、どれくらいの時間を詩に費やすものなのだろう、他の創作者は?と無意味に気になったりもする。 そして、作品からやはりどういう人が作った
君がどこか遠くを見つめる先に 何があるのか その横顔に切なくなるのは なぜなのか 今ここにいるはずなのに 未来ばかり見て 今ここにいる君が 過去に縛られて 私たちはどこにいるのか わからなくなった
君が教えてくれたこと 遊ぶ楽しさ 触れる温かさ 君が教えてくれたこと 愛しく思う気持ち 生きてる喜び 君が教えてくれたこと 試練のような現実 絶望的な喪失感 君が教えてくれたこと 全部が宝物だった
感情の波が穏やかになり 心が凪になる それは よく眠れたからではなく 安定剤を飲んだからでもない ある種の覚悟が自分の中で定まった時 それは訪れる しかしまた覚悟が揺らげば また感情は大波になり 奈落の底へ私を飲み込むだろう いったいいつからだろう その繰り返しだと悟るのは
寝ている横顔が愛しくて 触りたくなるのを堪える 息遣いや寝相が 全てが生きていることを感じさせてくれる まるで死さえ届かない場所に 存在しているかのように
詩を書くようになって、感情を作品にするのが日常になってきました。 決して楽ではない日常を送るために、外に吐き出して、そのひと時は日常を忘れることができます。 いや、より日常を書き留めているので記憶的には強化しているのかもしれません。 私にはファンタジーな詩は書けません。 ことれいった世界観もありません。 綺麗な気の利いた表現もできません。 ですが、詩を書くことに悩みません。 詩はしょせん詩であり、やはり読み手が大いに感じる余白があり、自由なものだからです。 その自由さが失
泣いても泣いても涙は枯れない 感情がある限り溢れてくる 前は向かない だってまだ足元には泥沼が広がっている でも少しだけ前に進む 一歩だけ、一歩だけ