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酔わない披露宴にて〜大人の作法〜

お決まり事が好きである。

どんな場面であれ、こんなルールくだらない、とかあまり思うことはなく(むしろなんらかの理由があって残っているルールなんだろうなと同情の念を覚える)、とにかく自由にやらせてくれ、と思うことは稀である。制限をかけてくるものがあった方が動きやすい。制約万歳、お手本万歳。お作法万歳。
そもそもそんな人間でなければ歴史あるお寺で勤めようと思わない。好き勝手自分の作りたいものがあるならベンチャー企業に行くか起業すれば良いわけで。
のっとるものがあることの安心感。

結婚式の披露宴なんかその最たるものである。
新郎として参加(というか主催)したこともあれば、参列者として参加したことも何回もあるから、新郎新婦のやりたいことが詰まったオリジナリティあふれる挙式です、という司会者のやけにハキハキしたアナウンスの背景に、プランナーの指示で選択し続けてきた強制された自由があることは重々承知

もういいでしょう。

ピエール瀧が式場でぼやいている気がした。けどそういう突っ込んでくれる人がいてくれるのとすら織り込み済み。

妹の披露宴。
妹とはとにかく仲が悪かった。何故いる(存在する)のか。高校生くらいになってもそんな感じだったから、どんな人となりなのか全くわからないまま30代を迎えてしまった。
贈り物した方がいいんじゃないの。一人っ子の妻に言われてもなお何を贈るべしか見当つかない。

とりあえず自分が寝室においておきたいと思ったベッドライトを、息子が選んだ体で贈ることにした。実際指さしてたし。

披露宴当日。妻と息子を連れて行くためドライバーとして向かわなければならない。
披露宴で初めて酒を飲んではいけないと開催3日前に気づく。どんなテンションで望めばいいのやら。ただ久しぶりに会ういとことの会話はなんとなく楽しみにしていた。妹よりも距離がある分幼少期は仲が良かったから。

結果論だが、酔わずに過ごせてよかったのだと思う。新婦の兄として見られることを自覚的でいられた。酔っていたら、自己完結型無礼講になって多分後ろ指を刺されていただろう。
新郎新婦を起点にした立ち位置、役割ありきの場において、素面でいることは演じきる必要性を満たす上で欠かせない。

初対面の人がいる中でそこはかとなくご機嫌でいる(風でいること)はとても重要で、邪険に扱い続けていたことなどはためでは窺い知れない程度には紳士的で一児の父としても相応しい立ち振る舞いができたに違いない。

大人の人付き合いだなんてたいそうなものではないが、型通りに過ごせる休日の方が休息につながることが多い。
こういう事例が増えるほどに、好きなことをやればいい、という言説が疑わしくなる30代半ばの秋である。

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