#01 ゼネコン現場監督女子、伝統工法の設計事務所の門を叩く
今年ももうすぐ終わる。
と思っていたら2025年明けてしまった笑
まさか2024年締めくくりのはずの記事が新年1発目になるとは思ってなかった。
ようやく、重たい筆を取って少しずつ言語化してみる。きっと脱線もするし、ものすごく長くなりそうなので何編かに分けて書こうと覚悟を決めているところ
皆さまも読む覚悟を今のうちに、、笑
まず、私がこの"自然のための建築"というテーマに出会うまでの、いろんな紆余曲折をここまでの記事で書いてきている。
バックボーン、建築との出会い、今のゼネコンでの経験と違和感。どれひとつ変えても、辿り着けなかった今がある。
0. 気づきの原点
高校卒業してすぐ、今のゼネコンに入り1年間研修をした後、高知の病院の現場に本配属され、施工管理職をはじめた。今は現場2年生。
忘れもしない2024年1月6日。
成人式の前日だ。
年末からインフルにかかっていたが、現場は止まらないので病み上がりで無理やり出社しようとしていた。
宿舎で朝目覚める。
体が動かない。もうどうしたって起き上がれないのだ。強い意志で現場に行きたくないと全細胞が拒む。頭もガンガンして体には力が入らない。
頭の中でいろんな葛藤が渦巻いて止まらない。今現場に行かないと迷惑がかかる。
これまで散々、心の声も体の声も聞こえないフリしてやってきた。
自分の弱さに打ち勝って成長し続けることだけが、生き延びる術だと思ってた。
でも、こんな時に自分の心の声を無視したらもう2度と、心は寄り添ってくれないかもしれない。
現場行きの路線バスが出る時間になっても、起き上がれなかった。
意を決して、工事長にメッセージを送る。
ーどうしても、精神的にキツくて今日は現場に行けません。
ー了解、今日は休もうか。
その返信を見て少し安心し、もう一度寝た。
起きても焦りと不安とやりきれない気持ちは消えておらず、相方に助けを求める。
地元から駆けつけてくれた相方が見たのは、1人暮らしの部屋の真ん中で正座して宙を眺めてる私だったらしい笑
あまり思い出したくない。
そんな年明けだった。
1. 人生の意味とか、
そこから、私は真正面から自分の人生と向き合わざるをえなくなった。
体、心、大切な人たち
それ以上に大切な仕事って何?
それを犠牲にするような働き方って何?
私の人生、この与えられた命の時間を使って本当にやりたいことってなんだろう?
仕事は何とか続けていたが、完全に気持ちが切れてしまい、メンタル的に落ちたままの状態が3月くらいまで続いた。
そんなときに、インスタで中谷優希ちゃんという旅人を見つけた。
26歳で仕事を辞めて、口座の残金で航空券を買い、残った6000円だけを握りしめてヨーロッパに放浪しに行った @yu__1231 ちゃん。
そんな彼女の生き方は私の暗かった毎日を照らしてくれた。
DMでいきなり人生相談のようなものを送ってしまった。すると、まさかの返事が来た。
"今本書いてて、個展をする予定だからぜひ会いに来て"
即決で飛行機のチケットをとった。
3月末。東京に行った。
1ヶ月で書き上げた本を通して、ゆーきちゃんの、行き当たりばったりだけど奇跡的なことが連続する旅を知れば知るほど、自分が見たいようにしか世界を見てなかったんだと感じた。
きっとそれは、目の前の日常も。
目を見て掛けてくれた言葉のひとつひとつが、
仕事に病んでた 私が欲しかった言葉で
不思議とすっと溶け込んでいく。
"周りの目を気にしちゃうと、自分が自分じゃないみたいだよね"
"愛って何だろうね、こうやって旅してきたけど私も分かんない。でも、自分に愛と寄り添ってあげることだよ"
今までは、自分を奮い立たせて進んでく毎日で
ムチばかり打ってきた。
そうしないと成長できないし、止まったら終わりだって焦ってた。
でも、ゆーきちゃんの言葉が
どう生きていくかを立ち止まって考えるきっかけをくれた。
あそっか、寄り添ってあげても良いんだって、
無理に心の声を無視して成長を目指すよりも、
聞いてあげることのほうが大切だったのか。
そこから新しい私の一歩が始まる気がした。
今まで感じてた不安がすーっと晴れて
なんだか心強くて、泣けてきた。
それで良かったんだって。
2. 設計事務所を訪ねて
"そうか、心に寄り添えばいいのか"
そう分かってからは簡単で、ずっとしてみたかった設計に一歩踏み出してみる。
今の現場が終わるまで(この現場だけはやり切ると決めていた)土日でお手伝いをさせてくれそうな設計事務所を探した。
ひとつめは、昔からの知り合いで伝統工法のお家を設計されている山の中の設計事務所。自然素材に拘られている。
ふたつめは、インスタで見つけて興味が湧きDMしたところ丁寧なお返事をいただいた設計事務所。2人組でされていて(今は4人)、人との出会いに重きを置いている。
2つの設計事務所に、アポを取りお話を聞きに伺った。その時のメモがある。
その日は、自分の本当にやりたいことに向かって動き出せた高揚感でいっぱいだった。
その次月から、1ヶ月にそれぞれ1回ずつ行き、無償でお手伝いさせていただけることになる。
結果からいうと、本業の方の竣工が近づくにつれて忙しくなって心の余裕がなくなり、土日も確実に休めなくなってきたので9月頃から行けていない。
ただ4ヶ月ほど通い続け、設計というお仕事に直接触れ関わる人たちの生の声を聞くことができた経験は、自分にとって本当に大きかった。
面白い出会いもたくさんあった。
ひとつめの山の中の設計事務所では、
ご自分たちが自然と近い暮らしの良さを体現するために、山の中で暮らされているから、田んぼや畑仕事もさせてもらった。不耕起の田んぼはフカフカで、子供の頃の田んぼが遊び場だったことを思い出した。
毎晩の食卓には、Dさんと作った季節の山菜や野菜、魚などの料理が並び、夜は薪ストーブの火を見ながら畳で寝る。私の体のどこかにプログラムされている日本人の感覚が生き返るような生活だった。
改修する古民家を実測のお手伝いに行ったら、熱心な庭屋さんが私の話を聞きつけ、会いに来てくれた。庭を作る時、ただアスファルトで固めてしまうのではなく水の流れを考えること、最近のブロック塀がいかに法的に緩いか、などなど、目から鱗の話をたくさんしてくれた。
記憶に残っているのは、今でも自然乾燥している製材所での木についてのお話会。
"振り返ればそこに山があるのになぜ、外国産のものを使うのか?地産地消で地元の木材を使いたい"
"人工乾燥させた木は自然乾燥させているものに対して、割れやすかったり匂いがキツくなったり、すぐ腐ったりする。だから、自然に雨ざらしにして、乾燥させる。(雨にさらした方が、木材中の油分と結合し、かんそうしやすくなる)時間をかけて乾燥させると、狂いが少ないし、水が抜け切るので後から縮まない。"
"木が息をできるように(循環を止めないよう)、木が山に生えてきた方向、方角に合わせて、木材を使う"
木造って、まさに生き物相手の建築だと、今だから思う。
いわゆる、現代の住宅メーカーの住宅や、新建材に対して、ここの設計事務所でいろんなお話を聞くうちに違和感を感じ始めた。
地球に還らないゴミはどうなるのか?
ビニールで囲まれたようなすぐ寿命が来る家で、人は本当に健やかに生活できるのか?
ここでの経験は、疑問を与えてくれた。
ふたつめの2人組の設計事務所で1番記憶に残っていること。
愛媛の石鎚山の麓で村おこしを始めた青年のところに連れて行ってもらって、ゲストハウスにする古民家の解体を手伝ったり、メンマにするタケノコを放置竹林に取りに行ったり。
これがかなりハードで今でも忘れられないくらい面白かった。
設計しにきたはずなのに、、どうしてこうなった、、と全身筋肉痛で次の日目覚めたことを忘れられない。
2人は本当に陽気で、仕事の数をものすごくこなす。それなのに楽しそうで、私が普段見ている職場の大人たちとは真反対を生きている気がした。ランナー同士話も盛り上がり、ああこの方たちはきっと、ずっとランナーズハイ状態にいるから無敵なんだ、と感じていた。
ー愛ちゃん、間取りかける?
ーはい、やってみます
設計の実務に関してはほぼ未経験の私に、こうして筆を投げてくれるのだから、怖いながらもこんなに身になることはない。
持ってるもの全部絞り尽くして図面に向かうあの感じ、高校の卒業設計以来久しぶりに感じた。いい経験だった。
人との出会いに重きを置くという2人の言葉は本当で、お客さんとの打ち合わせを聞いていても、"施主と設計士"という感じがしないのだ。
昔からお互い知っている友達同士のような、そんな関係性が、家づくりのたびに増えていく。
「街、変えれるで」
というSさんの本気の言葉が、今も頭に残っている笑
"何でもやりたい、なんならビラでも配りますよ"
口に出した言葉を全て叶えていくかのような背中から、仕事は待っていてもやってこない、こちらから働きかけることで今が大きく変わると教えていただいた。
そして、もうひとつ素敵な出会いが。
愛媛の海の近くで設計事務所をしている、Hさん。自然素材の木組みの家を設計されている。
母の紹介で、席数の少ないお話会に相方と参加させていただいた。
その時は時間が足りずあまり話せなかったので、2人で改めて伺った。
Hさんは昔、海外での生活も経験されているらしい。建築に路線を切り替えてから8年ほど、休み返上で本当にしんどい日々が続いたと、だから気持ちがすごく分かるとおっしゃってくれた。
独学で英語を習得されていたり、今でもジムのプールで泳ぐ習慣を持たれていたり、国内外問わずゲストを受け入れシェアハウスをしていたりと、活動的だ。
今まで出会ってきた設計士さんの中で、全てにおいて1番バランスの良い方だと思った。そして、経験ってこんなにも人柄や言葉に現れるものなのかと感じた。
何より驚いたのが、その後連れて行ってもらった工房で、10年越しくらいに手刻みをされている大工さんに再会したこと。
私が小6の時に、ひとつ目に紹介した設計事務所のお家の完成お披露目会にいき、その後にこの工房に来ていたらしい。
人生は何が起こるかわからない。
然るべきタイミングでここに来た、そんな気がした。
ちなみに相方は来年から和歌山で大工修行をする予定なので、ここで縁ができて何回か学びがてら顔を出しに行かせていただいているらしい。
私も一度、刻みの見学に行かせてもらった。
まず、工房に入ると木の匂いが体をふわっと抜ける。これがとてもよい。
現代のプレカットの木を使う大工さんは、自分で木を見ることができないらしい。木の性質や樹種のことも知らない人が多い。あんなに面白いのに、、。
どこにどんな向きで生えていたから、こう沿っていくだろう。だからこの部位に使おう。
そんな風に木や現場を見極める"目"
1mmの精度を超えて、
隙間のない継手や仕口を刻む"手"
そのために必要な道具、
鑿や鉋に向ける"愛情、追求心"
どこをとっても間違いなく、職人とカテゴライズされる中で最もかっこいい職種、だと私は勝手に思ってる。
とりあえず、ここまでにしようか。
この頃はまだ、自分のしたい建築に迷いがあった。テーマを絞りきれていなかった。そう感じています。
まだ土中環境まで辿り着けないのが残念だけど、深く書きたいことは山のようにあるので、次の編までお付き合いください。
それでは、良い一年をお迎えください!
いつも読んでくれる皆様に愛と感謝を込めて。
2025年元旦