
祝15歳 さなぎの君へ~誕生日編~
【おめでとう 誕生日】
末っ子の誕生日は成道会の日である。お釈迦様が成道した日(悟りを開いた日)に生まれている。なんというおめでたい日に生まれたんだろうと、今になって思う。
この日は浅草寺では五重の塔が開きご先祖様への回向もしていただけるし、塔の上まで上がることができる。塔の最上階には仏舎利(お釈迦様の遺骨)が納められていて、そこまで上がってお参りできる貴重な日である。
じつは15年前の私は、3人の子供が欲しいと心に決めていた。「三人寄れば文殊の知恵」で自分に何かあってもきっと3人で生きていってくれるに違いないと思っていた。また兄弟2人だと強い方に流されて独裁政治が行われてしまうかもしれない。できれば複数名いて平和なコミュニティができたら良いな、と思っていたから。
「3人目の子供がすぐにできますように」と浅草寺でお願いしたことがある。当時のママたちの中では2人目不妊という言葉もよく聞かれて、1人子供がいても、すぐに兄弟ができるとは限らないということは知っていた。私も1人目ができるのにも結婚して3年もたってのことだったから、すぐにできるか不安だったのだ。
すると、たまたまかもしれないが、その後すぐに3人目ができていることが分かった。「浅草寺でお願いしたら、すぐ赤ちゃんができた!」と言って私は喜びきっと仏様がこの子には何かをしてほしいと願って生をくださったに違いないと勝手に思っていた。そして、生まれた日がお釈迦様が成道した日となると、なおさらこの子は偉くなると勝手に思ってしまった。
なんだか日本昔話に出てきそうな話である。
そんな末っ子がこの日15歳になった。今年は誕生日が日曜日にあたるし、冬休みに手術を控えていることもあり、やはりお参りに行った方がいいのではないかと思っていた。この子がかわいい小さかった頃は浅草寺で定時法要にも黙ってついてきてくれたのに、15歳にもなると我慢が出来ないらしい。
「本堂でのお経は我慢できても、五重塔でも法要は聞いていない、約束が違うと」息子は怒っていた。五重塔ではやるつもりはなかったのだが、法要の時間がぴったり合ったので、すかさず私は申し込んでしまったのだ。「でも…今回は手術が控えてるから、お願いだから」となんとかお願いをして、ここでも法要をすることができた。これ以上の神頼みもできないくらいにしたし、親として出来ることはもうないかなと思って安心していた。勝手な自己満足である。
そんな仏様にも守られていると思っていた息子には、先天的に背骨に異常がある。先天的と聞くとまた、私にも責任があったのではと少し落ち込んでしまう。いつか私を責める日が来るかもしれない、と思うこともある。でも、今のところ息子は自分の運命を苦しみながらも受けとめてくれている。
小6の時に分かったこの病気は先天性なので手術をしなければ治らない。それを聞いた時は「なぜうちの子に限って」と恨むこともあった。1学年100人の学校に1人くらいの確率で男の子もなるこの病気。「なんで俺に限って」と言うこともあったが、普段の生活には何も支障がないので普通の子と同じように生活できていた。
でも「いよいよ手術した方が良いのでは?」という時期になってきた。若い時にしかできないこの手術は、できれば10代の時にしておいた方が良い。
しかし「そろそろかも」と言っていたのに「まだ大丈夫だから後にする?」と言われたり迷いの中、先生との話が2転3転する。最後は息子の強い意志によって手術は初めに言ったとおりの今年の冬休みにすることが決まった。
最後の手術前の診察時も、先生は本人の意思を確認する。「緊急性はないからもう少し後でも良いけど、今の時期の手術で良いんだね?」と聞く。念を押されると私たちも一瞬ひるんでしまう。確かに若いうちの方が良い手術だけど、まだやる時期を延ばすことはできる。難しい手術となると、今やることを決めて良いのかと迷う節もある。そんな重大な決断を本人にさせてしまうなんてと、少し心が痛んだ。
強気で勝気な息子も、「今手術で良かったよね、結局やらなきゃいけないもんね」と家で何度も確認していた。基本的に楽観的なわが家も、手術前のビデオを見てさすがに落ち込んだ。「なんで俺に限って…」と悔しさと怒りを口にすると、また私の心も痛む。「ごめん…、代わってあげられなくて」とやはり母である私は思う。
結局親は見てることしかできない。心配してたくさんの思いをその子にかけてあげることはできても、実際には何もしてあげることができない。3時間の手術の予定が5時間かかっても待つことしかできなかった。予定が過ぎた頃から何かあったのではないかと気が気ではなかった。でも実際は自分でためておいた血液を輸血する必要もなく、無事に終わったと最後に先生のお話を聞いてホッとした。
昨日は術後、集中治療室で対面してから帰ってきた。麻酔が切れたのを確認して、話をしてから帰ろうと決めていたので、ボーっとしてても会話ができるまで声をかけた。
「よくがんばったね、終わったよ」と話しかければ「あ~、痛い、のどが渇いた、肩が痛い」とよく話せる。反抗期の息子は、すぐイライラするし口が悪い。「クソッ、イテッ、どうせ年末楽しむんだろ」などと悪態をつきながら痛みと闘う姿を見て、変わらない息子に笑ってしまった。
このくらい文句が言えれば大丈夫かと、逆に安心した。
今回のことも仏様から受けた偉くなるための試練ではないかと思ってしまう。生きていると分かれば急にそんなことを考えてしまう。
「偉くなっても人の痛みの分かる優しい子になってほしい」とも常々言っている。もう息子は偉くなると思い込んでいて私の考えは変わらない。親は子供を限りなく信じていて、何があっても大好きなものだと思った。