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「『おもしろくない』の定義」 へんいちさんエッセイ講座~中級8期編(テーマ:おもしろくない!)

幼少期の「おもしろい」は、とにかくケタケタ笑ったことをいうように思う。一方、10代後半から大人にかけての「おもしろい」は知識欲のほか、成長して欲求を満たすことも含まれて、おもしろいと思うことが増えた。

このように年齢によっておもしろいという感覚は少しずつ変化したのだが、「おもしろくない」はずっと同じだ。たいてい物事が思うようにいかないときに思うのではないか。でも、そう考えると、おもしろくないと思うことは、実は私はあまりないことに気づいた。

なぜか。電車に乗り遅れたり、物を落としたり「あ~、今日はついてない」と思うことは多々ある。長く引きずることもたくさんあるが、寝る前まで同じ気持ちでいることはない。どうにかしておもしろいと思うように意識が働き続けているからだ。

電車に乗り遅れたけれど、乗りかえを工夫して同じ時間に着いたとか、物を落としたけれど執念ぶかく探していたら警察に届けられていたとか、今までもたくさんある。探している間は、その一つひとつの行動に対してがっかりしているのだが、もう無理だと諦めてしまうことはない。結果的にいえばその過程を楽しんでいるのだ。これをしても駄目だったら、次はこうしてみようなど、ありとあらゆる方法を試して挽回する。頭はフル回転。おもしろくないと思っている余裕もないのだ。

ただ、そんな私はいつもポジティブというわけではない。どちらかというとネガティブなほうだ。「おもしろくない」ではなく、ネガティブな心にしぶとく残る感情。それは辛い、悲しいという気持ちである。なぜ、おもしろくないという気持ちは心に残らないのに、辛く悲しい気持ちは心に残るのか。それは人類が生き抜くために必要な感情だからだろう。

これをしたら事故にあった、これをしたらうまくいかなかったなど、辛く悲しい情報や自分の経験からくる悲しいこと。その事実自体に挽回策はなくゴールのような状況だったら、なおさら心に残って忘れられないものになる。これはネガティブで嫌な状況だけれど、生きていくうえで必要なことなのかもしれない。

おもしろくない感情と、辛く悲しい感情の両方を切り分けてうまく生きていく。辛く悲しいことは生きていくための教訓なんだと俯瞰して見ることができたら、もしかしたら少し楽に生きていけるかもしれない。

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へんいちさんのエッセイ講座 中級8期、この投稿で修了となる。修正箇所ないですよ、のお知らせをいただいてから1週間以上もたってしまったと焦っていたら、まだ5日しかたってなかったです。

でも、皆さん早々とnoteに掲載されていたから、とにかく私は遅い方。
書きたい事を腹の中にため込まないで、新鮮なうちに記事にしたい。という目標は、この前のへんいちさん主催のオン会でもお話ししたので、今後も流れに乗れるようにがんばります。
これからもよろしくお願いいたします。


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