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海外旅行の記録~インド(ラダック⑧フォトクサール村)

ラダックに行く前に、河口慧海「チベット旅行記」を読みました。
明治時代本当の仏教を求めて、チベットに行ったお坊さんです。
当時鎖国をしていたチベットに入国するのは至難の業で、見つかるとどんな刑が下されるか分からない状況でした。 
カルカッタからヒマラヤを越えて、ネパールを回り込むようにして、ラサに到着しました。
その道がどれほど険しいのか、テレビ朝日「ナスD大冒険TV」を観ればわかります。この番組では河口慧海の足跡をたどって、ドルポ地方に行っています。
河口慧海は一人で、登山道具もなく、冬のヒマラヤを越えました。 
こんな記述があります。

~心臓病を起こしたのか、息が非常にせわしなくなって吐き気をもよおしてきた。どっと血を吐いた。仕方がないのでここで野宿した。 夜中何か顔をひどく打つもので目が覚めた。 大きなアラレが降っている。 ツクツクとう夜着を頭からかぶり、座禅と決め込んだ。~

ラサではシナ人や北西原人に化け、なんとかセラ寺の入学試験に合格し修行を始めた。 ある時二の腕を外した小僧を直してやったことが縁で、病人が訪れるようになり薬を調合してやった。 すると高官や高僧も来るようになり、生きた薬師様だと名声を得た。 そしてダライ・ラマに招待されることになった。
しかしそのうちに「どうも怪しそうだ」と疑われ、命からがら日本に逃げ帰った。

全編一難去ってまた一難が続くので、最後までハラハラドキドキして読み終えました。

ハヌパタ村からフォトクサール村に移動しました。
朝ロバに荷物を括り付け、私のキャラバンは出発しました。
4805mのシシラ峠を越える、本格的なトレッキングになります。
私は北アルプスなども登山するのですが、ラダックの標高が高いため、はるかに疲れました。
実は「シシラ峠」というのは、間違った言葉ですが、日本ではこのように表現します。
「シシラ」の「ラ」は、「峠」を意味する単語なのです。
だから「シシ峠峠」と言っていることになるのです。
余談ですが「サハラ」も「砂漠」という意味らしく、「サハラ砂漠」は「砂漠砂漠」というこになるようです。
トレッキングは、1時間歩いて20分休憩するペースです。
気温25度で日差しが強く、だいぶ日焼けした。
日本では見たことのない高山植物がいっぱい咲いていてきれいです。
途中でヒツジの群れに出会いました。 放牧に行くのでしょうか?
雪解け水の小川は、手が痛くなるくらい冷たい。
清流なので飲みたくなるが、飲まない方がイイです。
ヒツジやロバが、川辺にウンチしているので。
フォトクサール村のホームステイ家に、15歳のパルマという男の子がいたので、柔道やヨガ、キックボクシングを教えました。
夜は五目並べで遊びました。
フォトクサール村は満天の星空でした。

ハヌパタ村を出発
川に沿って道が続きました。
高山植物
私のキャラバン隊。
ヒマラヤ山脈の西端。
深い青空。
ホストファミリー
ヤギ?の牛乳。
乳しぼり中。
フォトクサール村
雪解け水

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