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ポルトガルのクリスマスイブと結婚式 後編

 その時出張していた先の社長は、配下駐在員の任期終了に伴い、後任を早急に決定する必要があった。当時知る由もないが、私がその候補の一人となっていて、適性の見極めが今回の出張の裏の目的でもあったらしい。

 そんな事情から、前夜のクリスマスイブのトラブル体験からポルトガルに対するイメージの悪化を懸念した社長は、急遽、かなり高級なクリスマスランチのオファーに至ったという訳。そんな背景露知らず、呑気にランチを心から楽しんだ二人組だった。

 その後、諸々の経緯を経て、タイ駐在に次ぎ、人生二回目のポルトガル駐在を命じられ、2001年9月のニューヨーク同時多発テロ直後の大混乱の中、赴任することになった。その顛末について、興味ある方は ”ポルトガルへの渡航禁止勧告” のタイトルでの投稿をご参照ください。

 赴任後しばらくして、駐在員の同僚がポルトガルで結婚式を挙げることになった。リスボン旧市街にある有名な大聖堂での挙式という事で、後見人に指名された現地会社の幹部が教会側と色々交渉して最初の関門突破。

 次いで、新郎新婦は何度か教会へ通ってその歴史や教義の一端を学び、二人の人となり(?)も認められて実現の運びとなった。更には、両家ご両親も事前に教会へ出向き式次第などをリハーサルする念の入れようだったとか。 

映画ゴッドファーザーの一シーンを見るような

 結婚式当日、現地の同僚と日本人駐在員が見守る中、厳かに挙行された。特に感動的だったのが、うす暗い教会内で待つ我々の前に、礼拝堂の後ろ側の扉を開けて日の光を浴びた純白のウエディングドレスが現れた瞬間。逆光の中でそのシルエットは息を呑むような美しさだったのを鮮明に覚えている。

 大聖堂に居合わせた観光客も、東洋人の結婚式を興味深げに見守っていた。以前の投稿で挙げた、タイの結婚式とはまた全く異なるもの。振り返れば、本当に色んな体験が出来た人生、嬉しい限りである。

 ところで、前編との関連はと言うと・・・

 リスボン下町の坂の中腹にあるこの教会、すぐ横の石畳の坂を下って行くと、クリスマスイブの夜に我々が若者に取り囲まれた小さな広場に出る。もしかしたら、ここでのミサを終えた青年達だったのかも知れない。

思い出のクリスマス ランチのレストラン

 更に驚くことに、結婚式後の披露宴会場に選ばれたのが、社長がイブの夜の埋め合わせにご馳走してくれたレストランだった。”クリスマス ランチ、懐かしいですね” と社長に水を向けると、”もし君に断られることになったら、無理を言って候補者を選出してもらった本社側に顔向けできないので、少々焦ったよ” とニヤリと笑っていた。

 パーティーは、日本語、英語、ポルトガル語が飛び交う賑やかなもの。余興で、私がタイ語でお祝いを述べて、妻が日本語に訳し、それをポルトガル語が堪能な駐在員の奥さんがポルトガル語に翻訳したら、とても盛上った。心に残る素晴らしい一日になりました。



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