
可能性
わたしは良くも悪くも現実主義である。
たとえば買い物をするときには、「本当に必要?」「いつ使う?」というように自問を繰り返す。
その問いによって、「使う頻度が少ない」「今あるもので代用できる」と解が出たものなら、買うという行為にはつながらない。
また、使い慣れたものをリピートする癖がある。
良く言えば無駄遣いを避けられる。
悪く言えば、保守的。
大きな夢をみることも少ない。(この場合の夢は将来の夢的なものであって、レム睡眠時にみる夢ではない。)
「〜したい」という欲望があっても、すぐに「現実的に考えて自分には無理そう」という負の思考が脳を支配し、自分ができることの延長線にある実現可能な目標を夢として扱ってしまう。
自ら自分の可能性を消してしまっている。
挑戦してみないことには自分のポテンシャルなんてわからないのにね。
そんなことに気づいた最近は、自分の「好き」に忠実に生きている。
ひとつめは、編み物をはじめてみた。
インスタでカギ編みの可愛い手作りポーチを見たのがきっかけだった。
編み方も毛糸の種類も何にもわからない状態で、予期していた通り「自分には無理かも」お化けが顔を出したが、見様見真似で編んでみるとどんどん楽しくなってきて、ポーチやカバンも作れるようになった。
思いのほか自分好みに出来上がって、やってみるもんだねと得意げになった。
ふたつめは、こうして文章を書くこと。
正直、わたしは大学生になるまで本というものをちゃんと読んでこなかった。
途中でストーリーがわからなくなって、棄権を繰り返してきた。
文字を読むという行為にも苦手意識があり、「そんな面倒くさいことしなくても動画や映画みたほうがいいじゃん」という考えの持ち主だった。
けれど、自分でも信じられないのだが今こうして文章を書いている。
憧れの人をもっと知りたいという欲求が、わたしに本を読む機会を与えたのだ。
面白味のない活字が並んでいるだけのはずなのに、読んでみるとその人の声で脳に届き自分だけの世界に没入できる。
使用される言葉にも人となりがあらわれる。
その言葉を取りこぼさないように、気に入った言い回しをノートに書き留める。
この時間がわたしは大好きなのだ。
でも、やはりまだ小説には手が出せなくて、読むのはエッセイばかり。
でもね、遅かれエッセイというジャンルに出会えて明らかに生活も心も潤った。
欲を言えば、本=小説という概念しかなかった当時のわたしに「エッセイっていうのもあるんだよ」と囁いてあげたいな。
インプット欲が満たされてくると、今度はアウトプットしたい欲が湧き出てくる。
というわけで、1000字以上ダラダラと拙い文章を書いてしまったけど、一旦わたしの欲は満たされた。
このnoteを書く行為は明らかに自己満であって、頼まれてやってることでもお金になるわけでもないが、現実世界から少し外れて自由に「好き」を語れる。
もちろん、マナーはあるけど体裁やリアリティを気にせずにいられる。
可能性は無限なんだと思える。
この場所を大切にしていきたい。
ではまた、文字での表現欲があらわれたときお会いしましょう。
もしここまでお読みくださった方がいたのならば、あなたの貴重な時間をいただき本当にありがとうございます。