見出し画像

英語ができれば良いという問題ではない  〜Wimbledonで考えたこと〜

1980年、教員になる直前、Oxfordの語学研修ツアーに参加した。英語教師が一度も海外に行ったことがないというのも何だか情けないかなという気持ちからである。その時、駅で列車のスケジュールを聞いて、駅員の話す英語が全くわからないことに衝撃を受けた。受験勉強を克服し、難しい英文をとにもかくにも理解できるようになり、英語の小説を辞書を引きながらもなんとか読めるようになっていたにもかかわらず、相手が何を言っていることが何もわからなかったのである。特に「スケジュール」を「シェジュール」と言われて、イギリス英語と気がつくまでには相当の時間がかかった。ただ問題はイギリス英語だけではない。要するに自然なスピードで話される英語に対するリスニング力が全く養われていなかったのである。

このような体験があったので、42年間の英語教師の経験を経て、さすがに今回は問題なくイギリス生活をこなせるであろうとある程度の自信を持ってのぞんだ単身イギリス滞在であるが、実際にはいろいろと引っ掛かりがあった。このような体験を振り返り、異文化で生きる上で言葉と言葉以外の要素の大切さという問題について考えたことを書いておきたいと思う。

2023年7月2日。前日に到着した僕は、翌日WIMBLEDONの街を探索に出かけた。駅により、窓口で交通カード(OYSTER CARD)を購入しようとした。42年前と同じような場面である。今回はさすがに話される英語も難なく理解できた。「角のクリスタル(KRYSTALS on the corner)で買えるよ」という。ところが、駅を出て「クリスタル」を探すがどこにもないのである。しばらく近所を探し回ったが「なんてことだ」と諦め、打ちひしがれた気持ちで、とにかく角のコンビニみたいな店(写真)で「ここでOYSTER CARD を買える」かと聞くと、「買える」というので購入、50ポンド分チャージした。交通カードは手に入ったものの、クリスタル問題は謎のままであった。
 後日判明したのだが、この日はテニスのWIMBLEDON大会初日の前日であり、街中模様がえみたいになっており、「クリスタル」も、宣伝用の幕が貼られており、店の名前が消えていたのであった。

KRYSTALS on the corner

 この経験で思ったことは、「言葉のみに頼っていては現実を正しく把握できない」ということである。確かに言葉は現実を把握する強力な武器である。言葉ができないことはかなりのハンデイキャップである(42年前の僕みたいに)。しかし、言葉ができるからと言って、正しく現実をつかめるとは限らない。今回は、街が普段とは違う装いをしている、という文脈(context)を考慮するという総合的判断力が不足していたのである。

 このように言葉と事前に仕入れた情報に頼りすぎ、現地を正しく把握できないことが何回かあった。「地図は現地ではない」という一般意味論の教える通りである。ちなみに、下の写真が、テニスのウインブルドン大会が終わり、普段に戻った KRYSTALS on the corner である。

KRYSTALS on the corner





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?