令和の米騒動、続く。
光希重名士の姓名判断的ココロ(39)
令和の米騒動がなかなか収束しません。新米が出始めていても、価格は高止まり、店頭の品薄感も解消していないようです。最近では消費者も高い米に嫌気がさし、例えば焼きそばの「玉」が売れまくっている様子も見受けられます。ある焼きそば麺の大手メーカーでは、今後の「主食である米からのシフト」を狙って増産用の工場建設を決めた、とか。米農家からすれば、当に踏んだり蹴ったりの状態ですね。しかし、食糧自給率などを考慮すれば、「主食」となる食材を一つに集中させないのは好ましい事かも知れません。
今回の騒動は行政の対応に問題があったのでしょうが、本来、指導者としての強いリーダーシップは日本人のDNAには入っていませんから、ただ徒に行政の不手際や対応の遅さを指摘しても始まりません。日本人は弥生時代から米作りを行ってきた生粋の農耕民族。しかも江戸時代まで国民の殆どが農民だったため、DNAには農民のそれしかないと言っても過言ではありません。
方や世界を見れば狩猟民族や牧畜民族、それの合体型など、日本人ほど「勤勉」な農耕民族は殆ど見かけません。それはつまり稲作を行うに当たって日本は、豊富で良質な水だけはあっても耕作地と気候が決して稲作に向いていたわけではなかったから。勢い、勤勉で、皆で一斉に働くことで稲作を必死に続けざるを得なかったのです。生き延びるためには集落全員の協力と、少数の知恵者の「ちょっとの工夫」が必要だったのです。
狩猟民族では強力なリーダーがいて、獲物を得るために彼が力を発揮すれば、一族は生き延びられました。そこには農耕のために半年とかの長い間の皆の協力や普段の努力は必要ありません。しかし狩りに失敗し獲物を得られなければ一族は全滅してしまう。そんな人達の子孫と私たち日本人のDNAが大きく違うのは至極当然なのです。無い物ねだりをしても始まりません。
だから、根本的な彼我の違いをよく理解し、その中で自分たちにとっての良策を模索し、実行するしかありません。欧米型の強いリーダーシップを望んでも、私たち日本人にはそれは、最初っから無理な話なのですから。
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