邦題

昨日ちょっと書いた、ポール・ニューマンの『クール・ハンド・ルーク』。

ニューマンの魅力全開の映画で、最初から最後まで全篇カッコいい。カッコいくないところがない。

それなのに、邦題がヒドい。

『暴力脱獄』。これほどこの映画を言い表せていないタイトルはない。誰が付けたのか?誰がOKを出したのか?

私は今後、どんなに世の賛同を得られずとも、「は?」という顔をされようとも、この映画のことは『クール・ハンド・ルーク』と呼ぶ。

他にも訳の分からない邦題がある。

70年代後半から80年代にかけての『愛となんちゃらのなんちゃら』系のタイトルはあれはなんなんでしょうね?なんでそう付けなきゃならなかったのか?何の得があったのか?

『愛と喝采の日々』『愛と追憶の日々』『愛と哀しみのボレロ』『愛と哀しみの果て』『愛と青春の旅立ち』。愛と~ではないけれど『愛は静けさの中に』というのもあった。

それから、『続・なんたらかんたら』。

『続・激突!/カージャック』もヒドい。全然『激突!』の続編ではない。ただスピルバーグの次の作品というだけだ。

マカロニウエスタンの作品にも破綻を来しているものがあって、『続・夕陽のガンマン』は『夕陽のガンマン』とはまるで関係のない内容だし、それを言っちゃえば『夕陽のガンマン』はどっちかというと『荒野の用心棒』の続編的な作品なのに、『荒野の用心棒』が当たると、翌年、ただただ売りたいがために、レオーネもイーストウッドも関係ない『ジャンゴ』という原題の映画を『続・荒野の用心棒』としてしまった。

するとその翌年に、レオーネとイーストウッドのコンビで『荒野の用心棒』の続編が公開。しかしもう日本には『続・荒野の用心棒』があるので、『荒野の用心棒』の続編を『夕陽のガンマン』として配給するという訳の分からないことになっている。

この辺の反省からなのか、80年代後半からは原題をそのまま、意味が分からなくてもカタカナ表記にして日本でのタイトルにするということが増えた気がする。

ああもう、勝手にしやがれ!ってんだ。

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