はじめました。
これといって何の特技もありません。
人と接すること…どちらかといえば、苦手な方です。
お酒も嗜めず、目を覚ませば白湯を飲んでいる『あねもね』と申します。
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あねもねのこと。
昭和の終わり、山に囲まれた田舎に生まれました。
夕方、祖母におぶわれて近所へお散歩に行くのが好きでした。
実家近くの牛舎もお気に入りでした。
自転車に乗れるようになると、ひとり黄色の自転車を走らせて牛ばかりみていました。牛の潤んだ優しい目が好きです。
よく転んでいたので、いまも黒ずんだ膝に傷痕がたくさん残っています。
小さい頃『このまま目が覚めなくなったらどうしよう』と眠れなくなったこともあります。
中学校では、いかに目立たないか考えて過ごしていました。この頃、祖父の本棚にあった太宰治や芥川龍之介、川端康成、宮沢賢治などの作品を読んでいました。
高校では村上春樹に手を広げました。駅までの通学路で自転車をこいでいたら、すれ違いざま知らない男子高生に『ブスっ!』と言われたことはいまでも根に持っています。キリンジを知ったのはこの頃。
東北方面に行きたくて、大学も北の方ばかり模試に書いていましたが、どれもヒットしませんでした。
なんちゃらラインが地元まで来たので、おうち大好きな私は大学まで電車通学することにしました。
合格した学部は3年からTOKYOのキャンパスになるのですが、4年間変わらず鈍行で通いました。
就活はせず、教員採用試験を受けましたが、不合格。非常勤講師として働くことになりました。
非常勤(小学校)→後補充(小学校)→臨時(通級)→パート(幼児担当)と過ごしたアラサー時代。
後補充あたりで『仕事向いてないな』と漠然と思います。だってそうですよね、人と接することが苦手とお話しました。仕事の予習をすることもできず、家に帰ればただただ眠っていた私。いま思えば、たくさんの人と接して疲れて寝てしまう仕組みだったんですね。好きな本も読めないし、そんな毎日はちっとも楽しくないのです。
長い期間、付き合っていた人と結婚しました。その頃、現場から離れ、通級指導教室というところで、ことばの先生をしていました。
毎日新鮮で、1対1で対応できるので、人疲れしてしまう私には合っていたと思います。
いろいろな子と会いました。子どもからたくさんたくさん教えてもらいました。彼らのおかげで、私の価値観は少し変わりました。
『わたしはわたし』
『ありのまま。あるがままの自分でいい』
そんな気持ちを私に与えてくれました。
仕事がおもしろいと思う中、プライベートではなかなか子どもが授からず、正規でない私は仕事を辞めました。
フルタイムからパートに変えて、子どもを待ちました。しばらくすると、子どもが生まれました。子は『長い』ものがすきで、枝に始まり、踏切のバー、ショベルカー、首長竜、ヘビ…興味のあるものはとことん追及する子に育っています。
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