自己紹介から
皆さん初めまして。
私は1971/11に埼玉県のとある街で産声を上げました。
東京出身の両親の元へ四人兄弟姉妹の3番目として生まれ育ってきました。
赤ちゃんの頃から色白でどちらかの遺伝子の影響で、髪はクリクリで少し茶色っぽく
鼻が高かったため、よくハーフと間違えられたそうです。
昔から変わった子供だったようで、当時住んでいた団地のベランダの鉄柵におんぶ紐で結かれ(イモムシ)外を眺めるのが大好きだったそうで、
歩く人歩く人へ言葉になってない声で話し掛けて相手が反応してくれると喜んでたそうです。(今は虐待通報案件😅)
一緒に住んでいたおじいちゃんが大好きで、共働きだった両親の代わりにいつも遊んだりお散歩してくれるから片時も離れなかったそう。
そのおじいちゃんも私が三歳になる年の夏に病気により亡くなったそうです。小さかったからその辺は覚えてない。
団地のセンターへ迎えに来てくれる幼稚園へ通ってました。人見知りなく、誰にでも挨拶してニコニコして出掛けてたそう。団地内を清掃してくれてる高齢のおじさんやおばさんにも深々と頭を下げ、
【いちゅも、おしょうじごくろうしゃまでしゅ】なんて労いの声掛けまでしてたそうですが、両親どころか近所の大人たちの誰もが教えた訳では無く、突然言い始めて驚いたと話してました。
そうかと思えば【多動児】で、
自宅から約4kmの距離の幼稚園。行く時はパスで行くのにお昼や午後の時間、または午前中の内に誰にも何にも話さないで脱走して歩いて自宅まで帰ってしまってたそうです。
身長が100cmにも満たない園児服を着た小さな男の子が歩いて帰ってしまう…。初めの頃は幼稚園の担任から他の先生も園長先生もかなりパニックに陥ったそう。誘拐されたのか?事故に遭ってないか?と。
園内と近辺を探しても見つからず、母の勤める仕事場へ電話連絡が行くと慌てて自宅へ戻ると、何事も無かったかのような満面の笑みで【おかえり〜お腹すいたからなんかたべたい】って悪びれもせず笑ってるから怒れなかったそうです。二回…三回と続いたら流石に怒られましたが😅
数回続いた頃に園内での職員会議の場で議題にまで発展したそうで、【多動児】認定されてたので他の子どもへの悪影響となるかもしれないから、
転園を勧める派と子供たがらこそ仕方ない擁護派、我関せずな中立気取りの無関心派。
ほぼ毎日のように会議していて、担任の先生が責任持って見ていくと話は終わったそうです。それからは、教室へ入ると扉は鍵は掛けないものの閉められて外には園長先生が様子を見るフリして監視してたとか。
年長さんになり、ある出来事がキッカケでそれまでの多動児ぶりが嘘のように収まる出来事が起きました。
園内にある遊具の鉄棒が、工事中だったにも関わらず貼り紙の文字が読めないから遊び出したら大きな音と共に地面へ顔から転落😅
下口唇のところが切れてしまい大量出血の騒ぎに。
3針ほど縫って自宅に帰ってからは、よほどその出来事が怖かったのか、父または母から暫くは離れないで大人しくしてたみたい。次の日からはそれまでのように動き回らずお絵描きやお歌の時も大人しく参加してたって聞かされました。ただ、この大人しくなり過ぎた事が原因の一部となり、小学校では……。