「民主主義(デモクラシー)」の定義について

「民主主義(デモクラシー)」という概念の定義がいかなるものか、あるいはいかなるものであるべきかについて述べてみたい。

民主主義という言葉の定義を論じる意義は、バイデン政権が「民主主義サミット」を開催したことから分かるように、また、かつての米国政府が、世界中に「民主主義体制」を扶植するために盛んに民主化支援を行ったことから分かるように、現代の国際政治において敵/味方および善と悪を峻別するシンボルになっており、その言葉の意味するところを正確に理解することが、政治を理解する上で重要だからである。

結論を先取りして言えば、民主主義という言葉は、現状では「現実に存在する政治体制」を意味すると同時に、「あるべき政治的な理想」を意味する規範的なシンボルとなってしまっており、混乱を招いているので、民主主義という概念を「治者と被治者の一致」という原義に立ち戻って、純粋な政治的な理念を表すものとして理解することで、言葉のプラグマティックな価値を保持できると論じる。

民主主義:危険思想から体制イデオロギーへ


よく知られているように、民主主義という言葉は、かつては一般に危険思想とみなされていた(Palmer 2014)。ボダン、ホッブズ、ロック、ヴィーコ、モンテスキュー、カントそしてヘーゲルといった古典的な思想家によってネガティブな価値評価を含む言葉として用いられていた「民主主義」という語は[Bobbio 1989, 142] 、第一次世界大戦中、ロシア帝国が革命によって崩壊・脱落し、イギリスやフランスやアメリカにとっての敵国がドイツ帝国の皇帝となった時点で、その戦争目的は「民主主義」のためであると主張されるようになった時点で[メイア1983a; メイア1983b]、民主主義が絶対的にポジティブな価値評価を含む言葉に転換したと言われる。実際、「民主主義」という言葉は、19世紀後半のイギリスの社会主義者の間でも、様々な含意を持つ言葉として用いられていた[Bonin 2020]。

2024年現代の世界では、民主主義という言葉は、権威主義という言葉と対になり、権威主義は概ね「独裁」と相互に互換可能な形で、政治体制/政治制度を指すために用いられている、とひとまず言ってよいだろう。

時間的に不安定な民主主義という概念


民主主義という言葉は、規範的な含意が時間の経過と共に変化してきたのと同じく、①「民主主義」を含む政治体制の分類は、時間的な変化に著しく弱く、不安定であり、さらに、②民主主義体制と結びつけられる具体的な制度もまた、歴史的に大きく変化してきた。時間的に、不安定なのである。

まず、①について、現在から過去に遡る形で、政治学において政治体制がいかに分類されてきたかをごく簡単に確認しよう。2022年現代、比較政治科学において主流となっている政治体制分類は、「民主主義democracy」と「権威主義authoritarianism 」の二分法である。最近、出版された権威主義体制に関する教科書的な書物によれば、権威主義体制、「独裁dictatorship」、「専制autocracy」は、全て同じものを指すのであり[フランツ2021, 25]、権威主義体制とは、「古代エジプトのファラオ、ローマ皇帝、ヨーロッパの絶対君主が例示するように、何百年も前から存在してきた」ものだとされる[フランツ2021, 20, 25]。

この民主主義/権威主義の二分法において鍵となるのは、「選挙」である。すなわち、執政者が比較的自由で公正な直接選挙以外の何らかの方法で権力を獲得した場合や、執政者が自由で公正な選挙で権力を獲得した後、ルールを変更して、選挙競合に制限を課すようになった場合、それは権威主義であるとされる[フランツ2021, 19]。換言すれば、自由で公正な直接選挙によって執政者が権力を獲得した場合、それは民主主義であり、そうでない全ての政治体制は権威主義とされる。権威主義体制とは、民主主義体制以外の全てを含む残余カテゴリーなのである[フランツ2021, 19]。

とはいえ、民主主義/権威主義の二分法は、ごくごく最近になって現れた政治体制の分類法である。第二次世界大戦後しばらくの間は、民主主義と全体主義の二分法が主流であったからである[e.g., アーレント2017; Friedrich and Brzezinski 1963; Aron 1968]。この民主主義/全体主義の二分法に基づいた場合には、全ての政治体制は、民主主義と全体主義の二つの極との距離によって位置づけられるものとされた。

その後、権威主義という政治体制分類は、1964年にJ・リンスによって、スペインのフランコ体制を特徴づける概念として提案された [リンツ1974]。その後、四半世紀以上に渡り、世界のさまざまな政治システムの分類に関心をもつ分析者の間では、民主主義体制、権威主義体制、全体主義体制という三分法が支配的な概念枠組みであった[リンス・ステパン2005, 93]。

しかしながら、ヒトラーのナチス・ドイツや、スターリン支配下のソ連のような全体主義体制の歴史的経験が遠ざかるにつれ、「概念としての全体主義体制は分析上の有効性を失った」とされ[フランツ2021, 22-23]、全体主義体制という分類は利用されなくなった結果、民主主義/権威主義体制の二分法となり、現在に至った。

このように、2000年以上の歴史をもつ「民主主義」という概念を含む政治体制の分類は、第二次世界大戦後から2022年現代までの100年にも満たない短い時間のスパンを取ってさえ、「民主主義体制/全体主義体制」という二分法、「民主主義体制/全体主義体制/権威主義体制」という三分法、そして「民主主義体制/権威主義体制」という二分法へと、変遷してきたと言える。

この政治体制類型としての「民主主義」概念の不安定は、歴史をさらに遡った場合にも妥当する[Bobbio 1989, 100-107, 135]。例えば、1748年に出版されたモンテスキュー『法の支配』は、政治体制を大きく、君主制・共和制・専制に三分していた。ここで、君主制とは、ただ一人が統治するが、確立された、制定された法に従うものである。専制とはただ一人が法もなく規範もなく、万事を自己の意思と気まぐれによって支配するものである。そして、このモンテスキューの分類においては、民主主義体制とは、共和制の一つの下位類型に過ぎなかった。すなわち、多数が支配するのが民主主義体制であり、また少数者が支配するのが貴族制であり、これら民主主義体制と貴族制を合わせて、共和制に分類されていたのである[モンテスキュー2013]。この君主制・共和制・専制というモンテスキューの政治体制三分類法の力点は、あくまで君主制と専制とを区分することにあったと言えよう。なお、民主主義体制と貴族制をまとめて「共和政」とする政治体制の類型化は、マキアヴェッリの『君主論』(1532年出版)に、その淵源を求めることができる[マキアヴェッリ 2014, 25]。

そして、モンテスキューやマキアヴェッリの時代まで生きていた、少数者支配の体制を貴族制と呼び、全員(多数)による支配体制を民主主義体制と呼ぶ区別は、もちろんプラトンとアリストテレスが提案した分類である[プラトン1976, 291D; アリストテレス 2009]。

このように、「民主主義」を一つの類型とする政治体制の分類法の内実は、その時代、時代の政治課題や政治的コンテクストによって、大きく変化してきた。

さらに、この分類の不安定性は、②民主主義という政治体制と結びつけられる具体的な制度の変遷とも関連している。ある論者は民主主義を「選挙」という制度と結びつける一方で、別の論者は選挙とは貴族制の制度であって、「籤」(あるいは「運」)こそが民主主義的であるとしてきた。

オーストリアの公法学者・政治学者のケルゼンは、『デモクラシーの本質と価値』の第一版(1920年)で、政治における分業を否定するものであると留保しつつも、「籤で官職を選び、全公職は厳格な輪番制にして、全国民が一定期間ずつ務める」「やり方こそ、何よりも民主制の平等原則に適うものである」と論じている[ケルゼン2009, 18-19]。しかしケルゼンは、『デモクラシーの本質と価値』第二版(1929年)では、選挙こそが民主主義の現実態を特徴づける制度だとする。

ケルゼンの議論に見られる、民主主義とは選挙か籤かというブレは、民主主義論の歴史と同じくらいに古いものである。アリストテレスは、『政治学』において、「支配と統治の役職をくじびきで割り当てるのは民主制のやり方であり、選挙で決めるのは寡頭制のやり方であると思われている」と書く一方で[アリストテレス2009, 1294b]、「全員が全員の間から選挙によって、あるいは抽選によって、あるいはその両方によって」選ぶやり方も民主制だとしている[アリストテレス2009, 1300a]。この記述を素直に解釈するならば、当時のギリシア世界では抽籤こそが民主的であると言われていたが、アリストテレス自身は、選挙も民主政の要件を満たすと考えていたということになるだろう。

ルネサンス期フィレンツェの文人政治家であり、マキアヴェッリの友人でもあったグイッチャルディーニは、抽籤という制度の有するメリットを認識しつつも、「民衆的共和国(popular republic)」の制度として、選挙を正当化した最初の人物であると指摘される [Dowlen 2008, 134]。

その後も、ハリントン、モンテスキュー、ルソーといった古典政治思想家は、選挙はその性質からして貴族制的であるとして、抽籤による公職者の選抜制度に一定の意義を与えた[Manin 1997, 78-79]。古典的な思想家としては稀有なことに、民主主義を良きものとして評価していたスピノザの絶筆『国家論』(1675~1676年)も、同様である。スピノザは、「貴族国家にあっては支配する権利」、すなわち最高会議に参画する権利が、「全く選挙にのみ依存する」一方 [スピノザ1976, 117]、「一定の年齢に達した長老のみ、あるいは長男で法定の年齢に達した者にのみ、あるいは一定の金額を国家に納付する者にのみ最高会議における投票の権利ならびに国務を処理する権利を与えるべきことを法によって規定した場合には」、それは「民主国家である」なぜなら、その体制では、「たまたま幸運によって富める者あるいは長男に生まれた者が施政に指定される」からである[スピノザ1976, 187-188。スピノザは、運による統治者と公職者の選抜制度こそが、民主主義的であると考えていたわけである。

民主主義と選挙を一対一に結び付けたより現代に近い時代の論者としては、経済学者シュムペーターが挙げられる。シュムペーターは、それ以前の政治体制分類に関する議論をほぼ完全に無視して、「民主主義的方法とは、政策決定に到達するために、個々人」、すなわち選挙に出馬して公職ポストを獲得しようとする人々が、「人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定力を得るような制度的装置である」であると定義し直したのである[シュムペーター1995, 429-430]。プラトンとアリストレス以来、「多数(全員)による支配」が「民主主義」であるとされてきたが、シュムペーターは、そのような議論を完全に無視して、選挙という政治制度そのものが民主主義体制であると定義を変更したのである。

ケルゼンもまた、民主主義を選挙と結び付けたが、それはあくまでも選挙を通じて、「選挙人と被選挙人が擬制的に同一化される」からであった[ケルゼン2015, 108-109]。つまりケルゼンにおいては、民主主義とは治者と被治者の一致として定義され、選挙という制度は、その一致をあくまでも擬制的に(フィクションとして)達成するものでしかなかったが、シュムペーターは、民主主義そのものの定義を選挙へと転換してしまったのである。

だが、最近になって再び、選挙は非民主的な貴族制的な制度であり、抽籤こそ民主的な制度であると指摘されるようになってきてもいる[e.g., ヴァン・レイブルック2019]。

要するに、民主主義を特徴づける制度は、選挙か、籤(運)か。この論争は、アリストテレス以来、数千年に渡って存在しているものであり、今に至るまで結論には至っていないのである。

さらに、民主主義という言葉は、政治制度以上のものを指していること。恐らくは19世紀前半、ジャクソン大統領の下での「ジャクソニン・デモクラシー」の時代にアメリカ合衆国を訪れたトクヴィルによる『アメリカのデモクラシー』以降、民主主義あるいは民主的という言葉は、統治の様式以外の幅広い意味を持つようになったのである。それは単なる政治制度・統治機構以上のもの、すなわち「自由で平等な公民からなる政治社会を新たに構成する原理」を指すようにもなったのである[権左 2020,27, 244fn4]。
宇野重規は、トクヴィルは、デモクラシーという言葉を、コミュニティレベルの自治、歴史を通じた意図せざる結果としての平等化への趨勢、さらに人々の生き方や考え方、人々の日常レベルでの習慣や思考法を指す言葉として使っていると指摘している[宇野2019] 。

以上、見てきたような事情から、民主主義という言葉は、その意味内容が混乱している。政治思想史家の福田歓一は、すでに1964年に次のように指摘した。すなわち、「民主主義とは一つの思想なのか、制度なのか、運動なのか、それとも生活様式なのかさえ、一向はっきりしなくなっ」た、と[福田1998]。この混乱は、現代まで続いている。

以上のことから分かるのは、民主主義という言葉は、極端に不安定な言葉だということである。そのため、民主主義という概念そのものを廃棄すべきだとする極端な主張も現れてきている。

語の定義とは、その分析的・実用上の有用性に基づいて、プラグマティックに与えられるべきものだと考える。従って、「本質的に論争的な概念」であるところの、「民主主義」のような概念規定をめぐる論争においては、一つの定義を採用した場合の利害得失を、他の定義を採用した場合の利害得失と比較考量した上で、決定すべきであるということになる。

もちろん、民主主義という2000年以上の歴史を持つ言葉に関する用例とその定義を網羅的に収集し、包括的な定義集を作ることそれ自体が、一生を費やしても足りない研究課題であるから、ここでは報告者の目についたものに限って、様々な定義の利害得失を考えてみたい。

民主主義の古典的定義


比較のための基準として、まずは古典的な定義を考えよう。すなわち、民主主義とは、「治者と被治者の一致」を意味するという定義がそれである。この定義が古典的と言われるのは、古代ギリシアで用いられた「デモクラシア」-つまり「デーモス」の「力」を意味する「クラトス」を結び付けた言葉の語源に、相当程度まで忠実だからである。

「デーモス」には、次の5つの意味があった。すなわち、デーモス=(1)アテナイの民衆全体、(2)素朴な民衆(貧窮者)、(3)民会、(4)民衆による統治、(5)行政区ごとの民衆共同体(デーモス区)[千葉2000, 7-8; Hansen 1999, 334]。ハンセンによれば、古代ギリシアの民主主義者が公式にデーモスという言葉を使う場合、それは民衆全体、アテナイ人、(アテナイ国家、アテナイ民主政)を意味した。他方で、哲学者や民主政の批判者がデーモスという言葉を使う場合、それは「一般民衆(common people)」、「貧者(the poor)」、そして「大衆(the crowd)」を意味した[Hansen 1999, 334]。ということは、古代ギリシアの民主主義者に倣って、デーモスを民衆全体と解した場合、デモクラシアすなわち民主主義は「治者と被治者の一致」を意味することになる。

民主主義=治者と被治者の一致とする見解は、オーストリアのケルゼンやワイマール・ドイツのシュミットが採用したものでもある。ケルゼンは、1925年、「民主制は、その理念上は、共同体意思(社会秩序)がこれに服従する者によって創設される一つの国家形態(あるいは社会形態)である。即ち、支配の主体と客体との同一性、指導者と被指導者との同一性をいう」とする[ケルゼン2009, 66]。シュミットもまた、次のように言う。「論理的にはすべての民主主義の主張が一連の同一性に依拠する」。すなわち、「統治者と被治者、支配者と被支配者の同一性、国家的権威の主体と客体の同一性(後略)」 である[シュミット1972, 37]。

民主主義=理念?制度?

民主主義を治者と被治者の一致とした場合に、注意すべきは、民主主義とは「理念」なのか、「制度」なのかという論点が表れてくることである。古代ギリシアにおけるデモクラティアという言葉は、治者と被治者とが同一であること、および、現実にアテネに存在した民主政体という統治様式を意味した[福田1977, 22, 24]。すなわち、民主主義という言葉は、ア.現実に存在する(した)制度と、イ.「治者と被治者の一致」という理念を同時に指す言葉なのである。

厳密に考えれば、古代アテネにおいてさえ、民主主義の理念と民主主義の制度は、一致していなかった。確かに、市民権をもつ者は誰でも立法権を司る民会に参加し発言でき(参加を強く推奨されており)、この民会で審議される議案の先議(すなわちアジェンダ設定)という、今ならば官僚や執政権力が行う作業を担う「500人評議会」の評議員選出も、司法権力の行使にあたる民衆裁判所の裁判官選出も、アテネ市民全員から抽籤によって行われていた。現代で言うならば、執政(行政)権・立法権・司法権の全てを、アテネ市民は平等に直接的に行使していた。この意味で、アテネの政治制度は、確かに治者と被治者の一致という理念に極めて近い。

しかし、被治者である筈の女性・奴隷・外国人には、抽選の対象とはならず、従って治者になる機会は与えられなかった。また、そもそも「民会」の意思決定は「多数決」であった。民会で審議される議案を先議する500人評議会は、その負担の重さから、やはりアテナイ富裕層に集中する傾向があったとされる[橋場2016, 138]。この意味では、古代アテネにおいてさえ、治者と被治者の一致はやはり厳密には達成されていなかったのである。

要するに、治者と被治者の一致という理念と、現実の政治制度の間には、必然的にギャップが存在する。確かに、現代の我々が「民主主義」と呼ぶ政治体制―――政治思想家ジョン・ダンの言葉を借りれば、「立憲的代議制民主主義共和国」は、「多くの点で、著しく不明確な支配システムであり」、「公式的な自己記述に示されているのとはまったく異なっ」ているが、他方で、古代アテネの政治制度は、その理念と制度はより曖昧ではないかもしれない[ダン1993, 19]。しかし、理念と制度は、やはり合致していなかったのである。

論点は明確である。民主主義という一つの言葉で、いま現実に存在する政治制度と、実現されるべき理念を同時に表現するのは、本来的に無理がある。また、そのような語の使用は、致命的な混乱を引き起こす。ダンは次のように言う。

民主主義という言葉が、正しい行動のための権威ある規準という意味と、現存する体制の実際的性格という意味の両方で使われ、曖昧にされると、思考や用語法に厳格な専門家の間ですら容易に混乱の源になる。ましてや政治的営みのごたごたの中では、多くの人々を混乱に陥れるのは必定である

[ダン 2017, 789]。

そこでダンは、「民主主義という言葉の持つ魔法(spell)を解かなければならない(Breaking Democracy’s Spell)」と説くのである[Dunn 2014]。ほぼ同じ論点は、政治思想史家の福田歓一が、1964年の段階でやはりすでに指摘していたものでもある。福田は言う。民主主義という「コトバの多義化による不便は単に概念の厳密な使用を心がける学者だけのものではない」。民主主義という言葉による「シンボル操作の対象にされる民衆にとって、鋭く用法を判別する負担はあまりにも重く、意味の混乱はコトバそのものへの不信を生まずにはすまず、民主主義シンボルの普遍的権威がまさにシンボル自体を無意味化するという、現代の逆説が現れる」[福田1998, 238-239]。

民主主義という語をめぐる混乱を整理する


この民主主義という言葉が引き起こす混乱に対しては、論理的には、3つの応答がありうる。

ア.現状を維持する。

イ.民主主義と言う言葉を、現存する制度の側に寄せて定義する。

ウ.民主主義と言う言葉を、その理念に寄せて定義する。

以下では、現代日本における6つの民主主義論を取り上げ、各々が、このいずれを選択しているかを見てみよう。

まずは、①民主主義の定義は不能(不要)であるとする説がある。政治理論家の山本圭は、近年出版された『現代民主主義』において、「民主主義の概念のゆらぎは、現実の民主主義にただ一つの正解やゴールのような到達点がないことを示すものである」とする[山本2021, 227-228]。この定義不能説に連なる政治学者は、数多い[1]。民主主義は定義不能であるとする立場は、本報告でこれまで指摘したような民主主義という言葉の歴史的由来と変遷を考えれば、誠実な立場であろう。よく言われるように、定義できるものとは、歴史をもたないもののみだからである。

②民主主義という言葉の本来的な定義不能性は、政治思想史家の宇野重規もまた認めるところである。宇野は、唯一の正しい民主主義の理解という答えにすぐに飛びつくのではなく、「変化し、相互に矛盾する多様な民主主義の意味を、少しずつ丁寧に解きほぐして、分析」する必要があるとする。この点で、宇野は定義不能説に近い[宇野2020, 7]。しかし宇野は進んで、民主主義を「自分たちの問題を自分たちで解決しようとすること」、「普通の人々が力をもち、その声が政治に反映されること、あるいはそのための具体的な制度や実践を指」すものであるともする[宇野2022, 7]。

さらに宇野は、民主主義は「参加と責任のシステム」をキーワードとするシステムであり、それは、「人々が自分たちの社会の問題解説に参加すること、それを通じて、政治権力の責任を厳しく問い直す」システムであるとも述べる[宇野2020, 8] [2]。さらに、民主主義の理念とは、「平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない過程」として、永久に終わらない平等化へのあゆみと、それに基づく人々の変化が含まれるものだとする[宇野2020, 252-254]。

③民主主義の理念とは、「自由を守るべく、共有のものの私物化とそこから生まれる支配・隷従に抗うように命じるとする説」であり、「くじ引きや選挙という制度はその理念の実現のための制度であるとする」のが、政治理論家の藤井達夫である[藤井2021]。藤井は、民主主義を、古代アテナイの人びとにとって「自分たちで統治すること」、「自治」こそが、専制政治に対抗するための最良の手段であったとも言う[藤井2021, 92] [3]

④政治学者の待鳥聡は、民主主義をより明確に定義する。待鳥によれば、民主主義とは「社会を構成する全成人が決定過程に関与できる決定方式」であり、また「有権者の意思を反映した政策決定方法」である[待鳥2015, 12]。換言すれば、「社会を構成する人々の考えや望んでいることにもとづいて政治が進められ、政策が決められること」が民主主義であることになる[待鳥2018, i]。

ここからさらに進んで、待鳥は、「選挙で議員を選出することで政策決定を担わせる「代議制民主主義」は、民主主義の具体的仕組みの一つ」であるとする。この代議制民主主義体制においては、有権者が選挙を通じて政治家に「委任」し、政治家が政策決定を行い、その政策の実施を官僚にさらに「委任する」という形で「委任」の連鎖が存在する点が強調される。この委任の連鎖の体系はまた、責任の連鎖の体系でもある。委任された官僚は政治家に、政治家は有権者に対して、その期待や想定に応えた行動を取らねばならないからである。さもなければ政治家は落選させられ、官僚は左遷される[待鳥2015, 12-13]。このようにして有権者にはじまり政治家を経由して官僚にまで「委任と責任の連鎖」が貫徹しているならば、それは民主主義の定義に合致すると待鳥は論じるのである[4]

待鳥はまた、「治者と被治者の同質性」という「古い政治学の教科書」に見られた考えをも問い直していく[待鳥2015, 13-14]。すなわち、治者と被治者の同質性ではなく、治者と被治者が、「全く異なっているわけでも、完全に重なっているわけでもないところを、代議制民主主義は本来目指している」とする[待鳥2015, 252]。

⑤独自に定義された緊密な概念構成に則って民主主義を定義したのが、空井護である。空井は、democracyの訳語として「民衆支配」を当てた上で、それは、「政府に対する重要な指令である政策の策定において、民衆(デーモス)が決定的な役割を果たすことを可能にするような実効的な規則を備え」、「民衆が(豊田注:政府によって)支配されているのではなく、(豊田注:政府を)支配している」ような「政治体制の型」である、とする[空井2020, 82][5]。そして、そうした民衆支配体制という政治体制の下位類型として、「まともなレファレンダム」を特徴とする古典デモクラシーと、「まともな選挙」を特徴とする現代デモクラシーがあると論じ、それらが「まとも」であるための基準が明らかにされていく[空井2020, 84-126] [6]。さらに、現在の我々の民主体制は、まともなレファレンダムとまともな選挙を使い分けた混合型であるとする[空井2020, 190-196]。

空井はまた、明白に、「民主政治」は、「自分たちのことは自分たちで決める」仕組みではないと述べる[空井2020, 206]。空井自らが述べるように、この概念化は、デモクラシーを完全に手続き的に、すなわち、政治の「ソフト面」、つまり政治に関する思想や思考や心的傾向ではなく、「ハード」面である政治の仕組みに見出すものである[空井2020, 12]。

⑥最後の民主主義の定義は、民主主義と認定されるためには3つの条件が満たされる必要があると述べる比較政治学者の川中豪によるものである。すなわち、ア.異なる意見を持つ諸政党、諸候補が同じ条件で(選挙)競争に参加する、自由で公正な選挙が保証されていること(多元性)、イ.所得や職業、民族や性別といいた属性にかかわらず、すべての成人となった市民が選挙に参加して権力者を選択できること(包括的政治参加)、ウ.表現の自由や結社の自由など市民的な自由が保障されていること(市民的自由)の3条件が満たされていることである[川中2022, 12-13]。この定義は、「規範的な議論から離れた実証主義的な政治学」であり、「どうあるべきか」ではなく「どうなっているか」を明らかにする比較政治学における政治体制類型の一つとしての民主主義である[川中2022, 12][7]

以上、報告者は民主主義について少なくとも6つの定義を識別した。これらの定義は、ア.現状を維持する。イ.民主主義と言う言葉を、現存する制度の側に寄せて定義する。ウ.民主主義と言う言葉を、その理念に寄せて定義するという先に論じた3つの可能性という観点から、どのように区別できるだろうか。

定義不能説


まず、①の定義不能(不要)説を考えよう。定義不能(不要)説は、言葉のもつ歴史的変遷に忠実である。一方で、それはその言葉のもたらす混乱をも忠実に維持してしまうというデメリットがある。また、現実を導く上での理念としても機能しない。山本が言うように、「民主主義の概念のゆらぎは、現実の民主主義にただ一つの正解やゴールのような到達点がないことを示す」[山本2021, 227-228]。従って、「将来のいつかの時点で完全な民主主義が実現されるという甘い期待を抱くべきでない」という結論が導かれてくる[山本2021, 228]。定義されえないものに到達することはできない以上、これは当然である。定義不能(不要)説は、民主主義という語の混乱をそのまま受け入れるべきだとする立場であり、また、具体的な改革の方向性を与えることもない。その限りで、保守的な立場である。

民主主義の定義不能説は、ア.の選択肢すなわち民主主義という言葉を現状のまま維持しようとするものでもある。


理念制度両立説


「参加し、責任を問う」ことを重視し、「平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない過程が民主主義」とする②の宇野説、および③の「自由を守るべく、共有のものの私物化とそこから生まれる支配・隷従に抗う」ことを民主主義の理念であるとする藤井説は、ともに、民主主義を理念の観点から定義すると同時に、その理念の実現のための制度として、抽籤や選挙という制度が存在する(した)とする。

民主主義という言葉で、理念と制度を同時に表現しており、やはりア.の現状維持的な定義である。理念と制度を区別しないために、その言葉がもたらす混乱は、やはり解消されない。他方で、宇野説と藤井説は、民主主義の理念を明確に規定するために、現実に対する批判力を有している。


制度寄り定義説


最後に、④の待鳥説および⑤の空井説および⑥の川中説である。待鳥説、空井説、川中説はいずれも、イ.の選択を取っている。すなわち、民主主義という言葉を、現実に存在する制度に寄せて定義している。この制度寄りの定義には、確かに言葉の多義性から来る混乱を最小限に抑えられるという大きなメリットがある。

他方、現実に存在する政治制度をもって、民主主義の実現であると定義するために、現実に対する批判力が失われるというデメリットがある。理念に照らして、制度の更なる改革を模索する動機づけが失われるのである。現実に存在する政治を、「ある理念の体現であるという面からだけ見ると、特定の現実を過度に理想化し美化することになり、批判の精神が乏しくなって、ヨリ以上の民主化への情熱が失われてしまう」[丸山眞男 1996, 90]。「現実を超える課題を指示できなくなった民主主義シンボルからは、かつてこのシンボルにかけられ、はげしく民衆をゆり動かした課題の意識、目標としての正確は失われる」[福田1998, 240]。

比例代表制という選挙制度を考えてみよう。比例代表制という政治制度の原型がヘアによって提案された時、J・S・ミルがそれを取り上げて強く推奨したのは、それ以前の選挙制度には少数者の排除という欠陥があり、これが民主政の本質に反するとJ・S・ミルは考えたためであった[ミル 2019, 127, 129-131]。すなわち、民主主義という理念が、新しい選挙制度を正当化したのである。ミルの同時代人であり、論敵でもあったバジョットは、ヘアが提案した新たな選挙制度を評して、「空想物語といった感じをいだかない者はないであろう」。「かれらのいうことを聞いていると、いつも若い熱狂家がこの上ない幸福な気分にひたりながら、自画自賛しているのとよく似ているように思われる」。「その実現のために努力するのは結構である。ただし1966年まで、それを採用しないということを条件としての話である」と1867年に出版された『イギリス憲政論』に書いたが[バジョット 2011, 182-183]。その後、比例代表制が世界各国に速やかに普及していったことは、歴史が示す通りである。なお、比例代表制の発明以降、選挙制度に大きな制度的イノベーションはない。

まとめよう。①民主主義の定義不能(不要)説を取れば、語彙の混乱は持続し、現状維持を導く。②民主主義の理念と制度を並置すれば、理念に基づく現実の批判力を維持できるものの、語彙の混乱は持続する。③民主主義を制度寄りに定義すれば、語彙の混乱はなくなるが、やはり現状維持を導く。

これらの議論は、民主主義という言葉について、ア.現状を維持する。イ.民主主義と言う言葉を、現存する制度の側に寄せて定義する。という二つの方向のいずれかを取るものであった。さて、ここでこれら現代の民主主義論が取っていない選択肢が一つ残っている。すなわち、ウ.民主主義と言う言葉を、その理念に寄せて定義するという方向性がありうる。


民主主義の理念への純化=「治者と被治者の一致」


繰り返しとなるが、ある語の定義は、その分析的・実用的な有益性に依存する。このことを確認した上で、報告者としては、民主主義を「治者と被治者の一致」という古典的な理念に寄せ、そして現存する政治制度を民主主義ではないと否定する形で、その意味を定義したい。何故か。理念寄りの定義を与えることで、語の混乱というデメリットを回避しつつ、かつ現実に対する批判能力を維持できるからである。

もちろん、理念に寄せた場合にも、デメリットはあるだろう。少なくとも3つのデメリットがありうる。①民主主義をいまだ完全には実現したことのない理念を指すものとした場合、「民主主義を含めた何らかのイデオロギーにいかれてしまうと、やがてそれは幻滅と失望に転化する」[丸山眞男1996, 90]。高い理念でありすぎれば、それを実現するための動機づけ自体が失われるのではないかという懸念があるのである。

①の点と関連して、②「民主主義の体制シンボル化」は、「民主化を要求する民衆運動を助ける」という側面があるかもしれない[福田1998, 239]。既存の政治制度を民主主義と切り離した場合には、民衆運動を意気阻喪させる可能性がある。

③最後に、民主主義を治者と被治者の一致として定義した場合、その理念は、スターリン主義的支配のような反ユートピア・ディストピアへと転じる危険があると言われるかもしれない[権左2020, 14]。確かに、民主主義を治者と被治者の一致としたワイマール・ドイツのシュミットは、ヒトラーとナチス・ドイツを肯定する思想家となった。

とはいえ、報告者は、民主主義を治者と被治者の一致とすることそれ自体が、全体主義体制を必然的に導くとは限らないように思う。先に見たように、オーストリアのH・ケルゼンは、民主主義を治者と被治者の一致とするシュミットと同じ定義から出発して、選挙を通じた「選挙人と被選挙人が擬制的に同一化される」論理を導いた[ケルゼン2015, 108-109]。選挙人と被選挙人の同一化が、擬制すなわちフィクションであるとケルゼンが言うのは、選挙という制度を通じて選ばれる治者と、被治者の一致が実現することはあり得ないと考えているからであろう。

かつて藤田省三が書いたように、「治者と被治者の一致」を理念とする民主主義の「実現の過程は自律的秩序の統合の過程であると同時に」、


「治者と被治者の不一致」に対する反抗(或は批判)の過程である。従って民主主義の政治理論は統合の理論であると同時に反抗の理論たらねばならない

藤田1997, 1-2


すなわち、治者と被治者の一致という民主主義の理念は、全体主義ではなく、むしろ、反全体主義の論拠として機能する筈なのである。

では、「治者と被治者の一致」という理念として民主主義を定義した場合、それは更に敷衍するとき何を意味するものとなるか。ケルゼンは、民主主義すなわち治者と被治者の一致の純粋理論とは、「統治者の不存在」を意味すると書く[ケルゼン2015, 102-103]。ケルゼンのこの議論を受けて、政治学者の矢部貞治は、ケルゼンの言う統治者(指導者)の不在とは、「万人が指導者と同じ水準にまで向上しようとする念願の表明だというべきである」と解している[矢部1977, 64]。

これは、矢部の慧眼である。被治者をして治者に成り代わることこそが、民主主義の理念の核心にあるというのである。であるならば、治者と被治者の一致を目指す民主主義国家においては、公民の全てが、治者に成り代わる気概を持たねばならないことになる。

これは、極度に困難な課題を被治者に要求することに等しい。例えば、日本国の首相は、ロシアについてもパレスナチについてもスーダンについてもミャンマーについても能登復興についても、公立学校の教師の給料についても、年金や医療費についても、意思決定せねばならない。国際政治・経済にはじまって、国内の経済と社会の在り方についてまで、政治的意思決定の影響は及ぶ。実際に意思決定を下す最高指導層にとっては、端的に予算の制約という条件から、全てはトレードオフ関係にある一つながりの問題となる。

であるならば、被治者が治者になるためには、被治者は全てのことに注意を向けなければいけなくなる。治者と被治者の一致に当てはまる条件を満たすためには、全員が、「少しの事について深く、全てのことについて少しずつ」知っていなければならないのである。

この民主主義の理念を現実において完全に満たすのは、困難であることを、私は認める。「民主主義」とは、かつて知られていたように、殆ど不可能な事を要求する、過激思想なのである。そして、過激思想であるべきなのである。であるならば、我々にできることはせいぜい、民主主義の理念にいかに接近していくか、であるだろう。ここで、丸山眞男の民主主義の「永久革命論」が思い起こされる[丸山眞男2006, 574-575]。

そして、現実的に可能な形で民主主義の理念に接近するために必要なことは、「多事争論」(福澤諭吉)の気風を持つことではないか。もし治者と被治者の一致という民主主義の理念を失い、従って多事争論の気風がない(失われた)のであれば、「民主主義」は遥か遠いものとなるだろう。そして、民主主義の理念を失うとはつまり、誰か少数の人びとによって支配されることを是認することに等しい。

我々が「自由」を求めるならば、そして、ヘーゲルにならって自由の自己実現の過程が歴史であると信じるならば(私は信じているが)、民主主義の理念を放棄することはできないはずである。もっと、もっと議論を!

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[1] 定義不能(不要)説は、現在においては比較的ポピュラーなものと言えるかもしれない。例えば森政稔は、決定(決断)、熟議、調整(交渉、妥協)、統治および統治性、「公」と「私」のあいだ、参加と抵抗という、6つの契機から民主主義が何であるかを考察した上で[森政稔2016, 第7章]、「民主主義とは複合的な観念や実践であり、何かひとつの視点から余すところなく実践的な指針が見出されるというものではない。このような民主主義や政治の複雑性に付き合っていくことが、政治的成熟ということになるであろう」とする[森政稔2016, 232]。杉田敦もまた、民主主義に定義を下すのではなく、それが何であるかを徹底的に対話する営みそのものなかに、民主主義を求めている[杉田2001]。 

[2] 宇野は「参加と責任のシステム」という言葉を、橋場弦[2016]から借用している[宇野2020, 65]。他方、橋場が古代アテネの政治制度を記述する際に用いる「参加と責任」とは、市民として抽籤を中心とする制度によって参加できる反面、責任を問われるという点に力点があったのではないかと思われる[橋場2016, 148-163]。ここで宇野が言う「責任」は、あくまで政治権力者の責任を問うものであるように思われ、従って、宇野と橋場の言う「参加と責任のシステム」という言葉は、その意味するところが合致していないようにも思われる。なお、宇野は「民主主義とは、自分たちの社会の問題を、自分たちで考え、自分たちの力で解決していくこと」であると定式化したこともあった[宇野2013, 12]。

[3] 藤井説は、「自由」を重視する一方で、「平等」をそれほど重視しない点に特色があると思われる。しかし、古代アテネのペリクレスによる葬送演説が「わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる」と強調するように[トゥーキュディデース1966, 226]、「平等」な発言権(イセゴリア)もまた、民主主義の理念として、極めて重要な位置づけを与えられていた。

[4] 待鳥は、委任と責任の連鎖関係を円滑に機能させるためには、適切な誘引構造に基づいた明確な契約関係の構築が不可欠であると言う。問題は、誰に何を委任するのか、委任内容が果たされた場合にいかなる報償を与えるのか、あるいは果たされなかったときにいかなる責任を問い、制裁を加えるのかについて、できるだけ明示するとともに、報償や制裁の水準を適正化することが必要であると[待鳥2015, 203]。

このように有権者―政治家―官僚の関係を、誘引すなわちインセンティブの構造から捉えるのは、ある意味で、現代政治科学の主流の考え方だといえよう。定評ある政治学の教科書は、基本的な発想をいわゆる国民を「本人」とし、政府をその「代理人」とする本人―代理人問題の枠組みを採用している[久米ほか2003]。他方、報告者はこの枠組みに対して一定の疑問を抱いている。待鳥は、責任の連鎖を支えるのは契約の考え方であるとする。委任によって政策決定や政策実施の権限を他のアクターに譲り渡す行為は、無条件で行われるのではなく、より迅速で的確な行動につながるならば、という条件付きの委任であって、通常の契約と同じように、条件が充足されていない(説明責任が果たされてない)ならば、委任は解除されうると主張されるのである[待鳥2015, 131]。

だが、有権者と政治家の関係を、果たして「契約」というアナロジーで捉えることが適切であろうか。もしも、政治家が選挙時点で有権者に対して行う「公約」や「マニフェスト」が、有権者との「契約」であると観念するならば、実は様々な問題が生じてくるように報告者には思われる。第1に、選挙時点と状況が変わったならば、あるいは権力を掌握した政治家が公約した政策が実行不可能であったり、逆効果であると認識したとすれば、政治家は公約を破ることをむしろ推奨される。第2に、有権者は、選挙時点での公約全てを守った政治家を再選させる必要はない。たとえ全ての公約を達成した政治家であっても、有権者はその政治家を落選させることができるし、落選させるべき場合さえある。例えば、財政再建を掲げて選挙に勝利した政治家(政党)があったとする。しかし、選挙後に大規模な自然災害が発生し、その救援と復興のために、大幅な財政支出が必要となったとする。この際、政治家は選挙時点での公約を破って大幅な財政支出を行う(べき)であろうし、有権者としても、杓子定規に財政再建路線をとる政治家は、落選させる(べき)なのである。待鳥は、政治家の裁量のみが目立ち、公約違反が起きる場合、有権者は代議制民主主義の機能不全として受け止めてしまうとするが[待鳥2015, 198]、公約に違反するという裁量権すら、代表には与えられている考えることもできるのではないだろうか。

さらに敷衍すれば、政治家は、選挙時点で公約といった形で約束していない(有権者が委任していない)ことをも行わねばならず、同時に、有権者は、政治家が約束していない(政治家が委任されていない)ことについてさえも、責任を問えるということになる。このような有権者と政治家の関係は、報告者には「契約」関係には見えないのである。何故なら、「契約」とは、契約当事者が明示的に合意した形で、財やサービスを取引することであって、その際、契約当事者は、契約した内容以外のことをする義務を負わないからである。

さらに、有権者は、選挙時点で自らが期待し、委任する政策の内容を政治家に明示することはない。むしろ、有権者が何を期待しているかを予測(忖度)することそのものが、政治家の仕事の内に含まれているのである。有権者が自らの望む政策の内容を明らかにしない結果として、政治家は、有権者が喜ぶであろうと政治家が考えるあらゆることをしなければならなくなる。このような非対称関係は、実は有権者にとって有利なものだと考えられる。もし有権者が自らの期待する(委任する)政策を政治家に明示したならば、政治家は、有権者が明示的に委任したことをしかしなくなるであろうし、有権者は、委任されたことを忠実に実行した政治家を処罰するのが難しくなるであろうからである。

以上の簡単な考察より、報告者は、有権者と政治家の関係を契約のアナロジーによって捉えることはできないと考える。待鳥が言うように、代議制民主主義の根幹に契約の一種として委任と責任の連鎖関係を置く見方は[待鳥2015, 203]、広く浸透した見解である。しかし報告者は、この見方を全面的に見直す時期に来ているのではないかと考えている。

[5] 空井による定義の大きな特徴は、民衆が支配するのは、あくまで政府だとされる点にある。空井は、「政府(government)」とは「一定の地理的領域内の人的・者的秩序の維持を目的に(あるいは目的にすると称して)活動する人的集団」であって、政府の存在によって、「一定の地理的領域内にあって政府によって行動を整序されることを共通の属性とする人的集団」であるところの、「政府的(統治的)共同体(governmental community)」が成立するとする[空井2020, 25, 35]。この時、政府によって「統治」される人々には[空井2020, 25]、「いかなる政策をも正面から受け止め、それを引き受けることはな」く、「政策が特定する行動範型に同調する義務も負わない」[空井2020, 54]。

空井による定義に対しては、一つの疑問が生じてくる。古典デモクラシーすなわち古代アテネにおいては、デーモスは、抽選による「評議会」への選抜によって、現代ならば専門官僚層が担うアジェンダの設定に直接、与ると同時に、司法権の行使においても、抽籤によって直接的に参加した。先述のように、古典デモクラシーの特徴は、デーモスが、今でいう執政権・立法権・司法権の全てに、直接、かつ、平等に参加した。である以上、古典デモクラシーを、立法権を司る民会への全員参加(レファレンダム)によってのみ特徴づけることがは、適切ではないように思われる。

[6] 政治理論家の田畑真一のデモクラシーの定義は、空井に近い。田畑によれば、デモクラシーとは、「集合的決定の重要な段階で、集団のすべての構成員に対して一人一票を付与する集合的な意思決定の手法」であるとされる。この定義は、代表制民主主義とレファレンダムとも両立するからである[田畑2021, 10]。

[7] この定義に基づき、川中は「自由な競争が行きすぎると秩序が壊れ、秩序を重視しすぎると自由な競争が制限される」ために、自由な競争と秩序を両立させる制度の役割を重視する[川中2022, 19]。他方で、様々な概念化が可能であるはずの「民主主義」を、選挙という政治制度によって定義した上で、さらにその選挙の競争が行きすぎれば秩序が破壊されうると論じるよりも、民主主義という言葉をそもそも用いずに、単に、選挙という政治制度は一定の条件の下で秩序を破壊しうると述べた方が、よけいな概念操作を含まないために、より単純で実証的なアプローチであるとは言えないであろうか。そして、後に見るように、これが本報告の採用するアプローチである。




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