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今は『ミステリと言う勿れ』が大人気の田村由美先生だが、それまでに『BASARA』『7SEEDS』と、とんでもない大傑作を描いてこられた。
いかに不遜な私でも、これはもう「先生」をつけなければならない、否つけさせていただきたい、と思う偉大な漫画家の一人だ。

と言っておいて、『ミステリと言う勿れ』も『BASARA』も『7SEEDS』も田村先生ファンの友人宅で読ませてもらった作品で、『7SEEDS』は昨年の夏、大陸に飛ぶ前に友人宅で宴をした際に読んだ。夜にさんざん飲み食いした後、友人が爆睡している近くで読み始め、あまりの面白さに徹夜どころか翌日の夕方までぶっ通しで読み倒した。

その『7SEEDS』には“安居(あんご)”をはじめとする尋常ではないエリートのグループが登場する。そして、過去に安居たちが受けてきた狂育(*誤字ではなく)と、文字通りの【選別】過程も描かれている。未読の方にはぜひとも本編をお読みいただくとして、その凄まじさは「そりゃあ、だれでもこんな目に遭ったら、いつまで経っても『これはテストか? まだテストは続いているのか?』ともなるよな」というトラウマ的説得力に満ち満ちた狂気の沙汰であり、改めて田村由美先生の【描く力】に対する尊敬の念が強められることは間違いない。

それから大陸に飛んだ私は——
そこで出会ったエリート学生たちの言動に安居を見出し、
「ちょっと、待て」
と、ありていにいって震えがくるほどの戦慄を覚えた。

そこには落第者に対する殺処分こそなかったものの、本物の【選別】があり、学生たちは常に選別にさらされていた。しかしながら同時に、千数百年もの長きにわたり、時に根腐れしながらも絶えることなく続き、もはやモノノケでさえなく神と化したかのような科挙の文化と精神の根付いた風土に生まれ育った彼ら彼女らにとって、選別はなんら特別なことではなく日常茶飯事だった。

だからこそ私はよけいに安居を感じたのだろうと思う。

かの地では、教師たちはもちろん、義務教育も終わっていない学生たちが普通に、そう、あくまでも普通に「選別」という表現を用いて、自分たちの置かれている状況を私に説明してくれた。

それも、どこまでも冷静に。
アホみたいに流暢で、私とは比較にならないほど上品な日本語で。

彼ら彼女らは掛け値なしのエリートであり、確かに知的能力という点では普通の学生たちとはいえなかったが、それにしてもと思わずにはいられなかった。初音ミクや名探偵コナンが大好きだというような、バカみたいに勉強ができる以外はきわめて普通の子供たちが、きわめて普通に「選別」という言葉を口にするのだから(*『選抜』でも衝撃を受けただろうことは疑いなく、だからこそ『選別』の破壊力は圧倒的だった)。

かくも選別は絶対的な前提条件であり、その絶対的な存在感は存在を主張することさえ必要としない無色透明の空気のようでさえあった。

おそろしかった。

それが、いい悪いではなく、私がかの地で抱いた率直な感想だ。

私が知らないだけで日本にも安居は存在するだろう。
だがしかし、まだ無色透明の空気のような存在ではない。

休暇で日本に戻った私は『約束のネバーランド』を読み、主人公であるエマたちの農園での生活——とくに毎日の狂育的テストから『7SEEDS』をそして安居を思い出した。そして今、頭は暗い方向に暴走して、かつて読んだカズオイシグロの『わたしを離さないで』の世界観に至っている。

「雨上がりの世界」は遥か遠く、しかしだからこそ私はそういう世界のことを歌うし、不惑をせせら笑うかのように居座る私の感傷がそれを歌わせるのだろう。

そしてただ感傷に溺れてもいけない。

絶え間ない選別にさらされながら笑いの精神を忘れず、バカみたいに勉強ができてアホみたいに日本語がうまく、アニメやマンガそれにゲームが大好きで、たくましさと図太さを持って日々を生き延び、それでいてまだ優しさや愛嬌を失っていない彼ら彼女らが私は好きだ。


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