「擬似空間での学び」を「擬似的な学び」で終わらせないために


新型コロナウィルスの感染拡大により、上演芸術を扱う大学のほとんどは、学内における劇場設備や工房、稽古場やレッスン室を備えた施設なども入構規制が敷かれ、授業は一斉にオンラインとなっています。学修を止めないために、かつ学生・および教職員の安全を考えれば止むを得ない措置だと理解しています。


しかし上演芸術は、創造の息吹が芽生え、創作を通して知識を広げ、技能を磨き、やがて作品として客席に届けるに至るまで、「集うこと」そのものがものづくりの大切な要素です。学科ではその教育の根幹をなす「集うこと」を学ぶ意味を根本から問い直す事態となっています。

◆擬似空間を利用した学修と上演芸術
ビデオ会議アプリなどを駆使して、バーチャル空間で「集うこと」を擬似的に体験することでどれほどの学修が可能なのか、学生・教員共に試行錯誤が続いています。
私の学科では、カリキュラムポリシーの中に挙げられている教育課程の編成において、「上演芸術全般(演劇・舞踊・音楽・舞台技術・企画運営)の基礎教育を重視し、各分野の基礎科目を必修とする」としています。
ここで示す基礎教育とは、大きく講義科目と実技科目の2つに分けられます。
上演芸術の学びを通して「学士力」を修得するための歴史や理論といった知識提供型の科目は、オンライン講義でオンデマンドでの知識提供とリアルタイム講義によるディスカッションの併用によって、ある程度の充実した学修が可能であることがわかりました。上級生ではより専門的になり、少人数のゼミナール形式での学修となりますが、ICTを活用したプレゼンテーションスキルが身につきやすく有用です。一人一人の学生との対話の時間は十分に取れ、個人個人の悩みにアドヴァイスを送るなど教員と学生の関係は濃厚である側面もあります。

一方で実技科目では深刻な問題に直面しています。
演技や舞踊では、表現者としての身体を体験し、理解することで、自らの適性を見出し、徐々に演技や踊れる身体を形成していかなければなりません。もともと学修環境として自宅は想定されておらず、身体表現の学修では、面積や静音環境を十分確保する事が出来ず、また振動や騒音に配慮せざるを得ない学生が大半を占めています。そのためオンラインでは明らかにトレーニングとしての質は確実に落ちます。また教員がPC画面の目視のみで直接学生の身体の状態を確認する事が出来ないため、誤った呼吸法や不十分な発声、筋肉や関節の誤った用法に気づかない危険性があります。
演技の授業はビデオ会議アプリの写り具合の中でのみ行うため、相手との関係性や距離感が図れず、ドラマを全身で表現する学修が極めて不十分です。また二人以上の群舞など複数人での身体表現はビデオ会議アプリの特性上音声や画像が遅延するため合わせることは不可能です。アプリを駆使して録音録画データを合成し、動きや台詞、歌を合わせた場面を擬似的に生み出すことは可能ですが、あくまで「編集」であり身体的な学修には全くなりません。
音楽は演劇・舞踊と同様で、もともと学修環境として自宅は想定されていないことが多く、歌唱を伴う学修および管弦打楽器など器楽では、選択した楽器の不所持や演奏不可の居住環境の学生が大半を占めていることも少なくありません。また重唱や合唱などはビデオ会議アプリの特性上音声が遅延するため声を合わせることは不可能です。アプリを駆使して録音録画データを合成し、合唱や合奏を擬似的に生み出すことは可能ですが、これもあくまで「編集」であり音楽的な学修には全くなりません。

舞台技術や企画運営は、音響・照明・劇場機構・衣裳製作・舞台美術製作など、劇場付帯設備や工房がなければ実施する事が不可能です。企画運営は上演実習がなければ広報製作物などを作製するだけでなく、学外営業やチケット予約といった票券などの制作業務、観客に対する接遇など劇場運営を実践的に学ぶ場を失っています。一方で作品分析やデザイン、機材の扱い方についての知識を重点的に学ぶことはオンライン授業で実施できますが、劇場付帯設備を実際に扱って学修しなければ機材の運用の仕方や安全性を確保できず、上演するための技術講習・安全講習には相当数の時間を要することになるでしょう。プロの現場とは異なり、学生は入れ替わります。

◆「集うこと」の準備
こうした問題点を抱えつつも、「集うこと」でものづくりを行うための基礎的な知識や身体訓練の修得を今学期の全体的な目標として挙げ、学科全体で可能な範囲で実践してきました。教員の会議では毎週各分野の取りまとめの教員より状況報告を行い、こまめに情報共有を行ってオンライン授業での脱落者を出さない、内閣府の提唱する「Society 5.0」での学修を目指す工夫を行っています。
2年生以上の学生にとっては、1年生で各分野に対して実践的に修得した身体感覚があるため、より専門的に学ぶための「準備」として今学期の学修を捉え、非常に前向きな様子が伺われます。
ただし、この「順調」は特別教育期間や秋学期以降の対面授業の再開を念頭においての「順調」です。「準備」の次には取り掛かるべき対象が必要です。今後の大学の動向が注目されます。
そして上演芸術系の大学のほとんどに言えることだと思いますが、大学の指示に限らず、長距離移動を繰り返す通勤を警戒する一方で、オンライン授業が長引けば学外スタジオやレッスン室などを借り切って教材用の動画撮影を行ったり、リアルタイム授業を行ったりせざるを得ない場合、経済的負担が増大する恐れがあります。大学設備の有効な利用方法を考えるべきでしょう。

◆舞台芸術を学ぶことの魅力をどう伝えるか

舞台芸術を学ぶ高校生や保護者の多くは、教職免許のない学問である演劇・舞踊や一部の音楽は平時でさえリスキーな選択であることは十分理解した上で、充実した大学生活が送れるかどうか注視しており、実技のできない大学は技能が身につかないとみなされ、受験の選択肢から外れる恐れが多分にあります。

新型コロナ禍により既存の舞台芸術界は大きく影響を受け、疲弊し、先の見えない危機に瀕しています。日常から解き放たれた空間での身体接触や人間同士の距離と関係性から、ことばやからだが想像と創造の泉を満たしていくのが上演芸術の基本です。

上演芸術を通して社会貢献し、次代の文化創造の担い手ともなる世代を育成する役目を担う舞台芸術の実践系の大学では、実演家、劇場、技術者、デザイナー、制作者など現場の第一線で活躍するプロフェッショナルでさえ困窮する危機的状況を見て、将来この道に進むことを早々に諦め、学ぶことさえも敬遠する現役大学生や高校生が増えることにも大きな危惧を抱いています。
上演芸術が「人間が文化的な生活を送るために不可欠なもの」であること改めて認識し、現場と大学生と教員が一体となって「新しい舞台芸術」を提言していくプラットフォームとしてプロジェクトを立ち上げるなど意欲的な取り組みを行い、劇場や様々な大学と連携し、高等教育機関としての存在感と、多くの大学が掲げているであろう我が国の文化芸術の特色を活かした芸術活動を推進する人材の育成する役割を果たしていかなければなりません。

◆学びとしての「公演・コンサート」の未来
公益社団法人全国公立文化施設協会(以下、公文協)によって、令和2年5月14日付で「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」が策定されています。「劇場、音楽堂等の施設においては、これまでクラスターは基本的には発生しておらず、各種法令等により高機能の空調設備の整備が義務付けられており、強制的な機械換気が可能なこと、また、公演中は、来場者は一方向を向き対面による会話等が原則想定されない」こと等を踏まえて具体的な対策が講じられています。
さらに6月5日付で新国立劇場が7月の公演再開に合わせて、「新国立劇場における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」を策定しました。前述の公文協による「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」を参照とした具体的な劇場運用方法が記載されています。「政府や新国立劇場が所在する東京都からの要請等を踏まえるとともに、現代舞台芸術の実演家の意向の把握及び関係団体との連携にも努め、適切に対応して参ります」としており、専門家の意見も反映した広く参考にすべき指標の一つと思われます。すでに舞台芸術は灰塵に帰したに等しい荒野から、新たな芽を出し始めています。

上演芸術実践系大学における演劇・舞踊公演、コンサートは単なるイベントではなく、舞台芸術を理論的、実践的に学んできた学修成果を総合し、作品の提示と観客の鑑賞によってのみ得られる「観客の反応」を含んだ技術的・経験的な学修と舞台芸術研究の着地点として不可欠な最重要要素のうちの一つです。大学によっては、公演そのものが大学の文化的な地位を高める重要なコンテンツでもあります。こうした学修も全面オンラインでは次第に失われていくでしょう。一度途絶えた文化は数年単位では回復できません。安全衛生管理を徹底した上での上演を伴う実技科目の再開とともに、学内劇場設備の使用再開なども強く望まれます。一般観客の来場を想定するならば、製作側の学生および鑑賞者の感染防止対策を地域や大学が一体となっての迅速な対応を検討していく必要があるでしょう。

擬似空間を使って「集う」ことを学んだ学生の貴重な時間を、「擬似的な学び」にして終わらせてしまうことのないように、私たちは引き続きあらゆる可能性を模索していかなければなりません。そこに舞台芸術の未来が詰まっているのですから。

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