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【アーカイブ】SEIKOとROLEX

(『GENROQ Web』2019年1月公開より転載、加筆・修正あり)

 昔、メルセデスのエンジニアとディナーの席で交わした会話がいまでも鮮明に頭の中へ刻まれている。何の話の流れからそういう会話になったのかはよく覚えていないのだけれど、彼がとある質問を投げかけてきた。

「どうして日本人はロレックスとかオメガとか、外国の時計が好きなのですか」

 突然そんなことを言われても、自分としてはちょっと困ってしまい、返答に窮していると彼が続けた。

「日本にはセイコーやカシオといった素晴らしい時計メーカーがあるじゃないですか。ロレックスもオメガも、日本メーカーの時計と比べたら平気で時間は狂うしよく壊れますよ(笑)。時計の本来の性能は、常に時を正確に刻むことです。クルマに例えたら、走る曲がる止まるがしっかりできていて耐久性があるということ。走らない曲がらない止まらないその上よく壊れるクルマなんて誰も買わないでしょう。我々外国人からすると、日本人は日本という国や日本の製品に対して、強い誇りや敬意があまり感じられないように見受けられます。母国や母国の製品に、もっと自信を持ってもいいのではないでしょうか」

 あまりにも的を射た彼の言葉を聞いて、なんちゃら鳥のなんちゃらソース添えを頬ばっていた自分は顔から火が出るくらい恥ずかしくなり、慌ててフォークをナイフを皿の上に置き、ナプキンで口の周りを拭こうとしたらうっかりワイングラスを倒してしまった。

 確かに外国の方と話をしていると、母国愛を言葉の節々から感じる。彼らはそれを意図的に伝えようとしているのではなく、あくまでも自然とそうなっている。真っ白いテーブルクロスにこぼした赤ワインが繊維の奥まで染み込んでなかなか取れないように、母国愛が彼らの血やDNAに深く染み込んでいるからかもしれない。

 日本人だって母国愛がまったくないわけではないけれど、いっぽうで外国偏愛傾向が強いのも確かである。もちろん、外国の製品やデザインや技術には、いまでも追いつけない部分も少なくない。「日本製じゃあこうはいかないよな」と感心する機会も多々ある。でもだからといって外国製品を(ブランドや生産国に依存して)盲目的に「これはいいものだ」と信じて疑わない頭の硬さは、もう少しほぐしてもいいような気がする。

 日本の中にも世界に誇れるものはたくさんあって、それらをもっと堂々とうまくアピールすればいいのにと思うけれど、それには日本人自身がまず、その魅力や個性や性能や機能を正しく理解して、嬉しさを享受する必要もあるだろう。日本人の奥ゆかしさとは、特徴やおもてなしをことさらに主張しないことが善とされているから、私たちにはそれに気付く敏感な観察力や鑑識眼も求められる。

 外から見たほうがその魅力がよく分かったり容易に気が付くこともある。メルセデスは発表当時のマイバッハのサンルーフのシェードを、日本の障子をモチーフにデザインした。メルセデスは神奈川県内にアドバンスドデザインセンターを構えていて、マイバッハのデザインコンペではそこの提案が採用されたと言われている。この話を聞いた時は、「これって本来、レクサスやインフィニティやアキュラがやるべきでしょ」と、ビーチで食べていたサンドイッチをトンビに持って行かれたような悔しい思いをした。

 日本の自動車メーカーがいつか、車内のアナログ時計を「SEIKO(あるいはGrand Seiko)」や「G-SHOCK」にしてくれないか、アロマディフューザーにお香の香りを採用してくれないかとずっと待っているのだけれど、いっこうにその兆しが見えない。うかうかしていると、また外国のとんびにさらわれてしまうかもしれない。

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