【アーカイブ】デジタル開発の意義

(『GENROQ Web』2020年12月公開より転載、加筆・修正あり)

 自動車メーカー各社が現在積極的に進めているのがデジタル開発である。これまでのデータや知見や経験をベースに、PCのモニターに映るデータやグラフィックを見ながらシミュレーションを重ねてクルマを作るというやり方である。こうすることで開発期間の短縮はもちろん試作車の削減が図られて、時間とコストの大幅な節約が見込まれる。特に試作車は多くの部品を一品モノとして制作するため、1台あたりの金額は数億円とも言われている。いままでは開発中に50台作っていた試作車を半数以下に抑えることができれば、もの凄い金額の開発コスト削減につながるというわけだ。

 先日、某自動車メーカーの古参のエンジニアと久しぶりに話す機会があった。いつもより少し元気がなかった彼が嘆いていたのは「言葉が通じない」だった。これまでの自動車作りは、経験を積んだエンジニアの感性に頼るところが多く、でもそれがそれなりのクルマを仕上げるには必要不可欠だった。しかし、特定の人間の感性や経験やテクニックやスキルへの依存度が高いと、その人間がいなくなった時点で開発が止まってしまう。そういう事態を避けることもデジタル開発推進の理由のひとつでもある。例えば、ベテランエンジニアがいいといった乗り心地をきちんとデータ化しておけば、今後はそのデータに収まるようにクルマを作ればいい。感性のデジタル化である。

「ところがそんな簡単な話じゃないんだよ、クルマ作りは」と彼は言う。彼が試乗して納得いかない部分があっても「いやでもそれは規定の数値内に収まっていますから、そんなことはありません」と担当部署に言われてしまい、それ以上話が進まないそうだ。「人間がクルマを動かす以上、人間の感性が必ず働くわけで、その部分を100%データ化するのは不可能。データ化が悪いとは言わないが、それに依存し過ぎると絶対にいいクルマなんかできない。こっちは感性で話し、向こうはデータで話す。だから最近の現場では言葉が通じない」そうだ。こういう声は、他の自動車メーカーでも最近よく耳にする。しかしその自動車メーカーとは日本のメーカーであり、同じようにデジタル開発が進んでいる海外の自動車メーカーからは聞いたことがない。

 日本の自動車メーカーの、「効率の向上」のためだけのデジタル開発の台頭がいま、個人的には気がかりでならないのである。不必要に試作車をつくったり無闇に試走しなくてもいいけれど、必要最低限のテスト走行や試作車の活用までも削減されてしまうのはいかがものかと思うわけである。

「クルマを鍛える」なんてフレーズをたまに耳にするけれど、当然のことながらクルマには筋肉や神経は存在しないので、周回を重ねれば自動的にそのクルマの体幹が鍛えられるはずもない。鍛えられるのはむしろエンジニアである人間のほうであり、人間がクルマを鍛えるのだ。結局のところ、データを収集するのもそれをデジタル開発に活用するのも人間だし、エンジン・マネージメントやシフトプログラムやESPやトルクベクタリングや後輪操舵やeデフやアクティブ・スタビライザーや4輪駆動システムなどの電子デバイスの制御を決めるのも人間である。電子デバイスをどのようなタイミングでどれくらいの深度でフェードインさせてフェードアウトさせると違和感なくクルマの動きを上手にコントロールできるのかは、それをプラグラムする人間が実際にクルマを運転した経験値と感性次第である。

 海外の自動車メーカーと日本の自動車メーカーの違いについて聞かれることがあるけれど、そういう時はいつも「クルマと接する時間があまりにも違う」と答えている。彼方の彼らのほうがずっとクルマにたくさん乗っている。それは日常だけでなく仕事でも、である。性別や年齢や役職や部署など関係なく、とにかくクルマに乗る。彼らにしてみれば「自動車メーカーに勤めているのだから当たり前でしょ」である。

 以前、スイッチを設計する日本の某メーカーのエンジニアと話をした。彼はその有用性や使い勝手を、モックアップを使って懇切丁寧に説明してくれた。「このスイッチを運転しながら実際に使ったことはありますか?」と聞いたら「それは実験部の仕事なので」と彼は答えた。仕事の細分化とそれを越境しないというルール厳守の徹底ぶりもさることながら、「せっかく自分で作ったスイッチを、運転しながらいじってみたくならないのだろうか?」と自分なんかは思ってしまった。

 デジタル開発が進行したり、素晴らしいテストコースがあっても、いま以上に作り手側にもっとクルマをよくしたいという強い気持ちと、それを行動に移してクルマを乗り倒す気概がないと、いつまでたっても日本からは欧米のメーカーを震撼させるような名車は生まれないだろう。クルマを作るのはデータでもテストコースでもない。クルマは人が作る。そんなことはクルマがこの世に誕生した100年以上前から変わっていないのである。

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