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【アーカイブ】病室の天井を眺めて

(『CAR GRAPHIC』2014年7月号より転載、加筆・修正あり)

「え? もう一度お願いします」

「聞いただけじゃよく分からないですよね。じゃあ紙に書いて見せてあげましょう……はいどうぞ」

「第2頸椎骨折、第7頸椎破裂骨折、第3〜5腰椎横突起骨折、第3〜9右多発肋骨骨折、右肺挫傷、右血気胸……これつまり、いろんなところがたくさん折れていて、さらに肺も傷ついて、どちらかといえばかなり深刻な状態ってことですか」

「どちらかといえばそうなりますねえ」

「はあ」

「他に質問はありますか」

「えっとすいません、そもそも肋骨って何本あるんでしたっけ?」

 日本自動車研究所(JARI)から救急車で担ぎ込まれた先は、水戸ICにほど近い水戸済生会総合病院だった。着ていたレーシングスーツを救命救急センターで切り刻んで脱がされて、レントゲンやCTを撮った後にICUへ運ばれた。幸か不幸か、事故の瞬間から一瞬たりとも意識を失うことがなかったので、事故直後からずっと、これまで経験したことがない痛みと付き合ってきた(やっぱり不幸だ)。だからICUのベッドの上では、痛み止めを投与されているとはいえ自力ではまったく動くことができず、さていったい自分はいま、どういう状況下に置かれているのだろうとやや不安になり、看護師さんに容態を聞いてみたのである。

 正直、それを聞いた(読んだ)ところで、現実感はきわめて薄かった。どこか他人事みたいでもあり、「国の借金が1000兆円を超えました」というニュースのようでもあった。おかげで、「オペは必要なのか」「退院はいつ頃か」「社会復帰はできるのか」など、本来聞くべき質問は何ひとつ浮かんでこず、肋骨の総本数なんてどうでもいいことしか思い付かない始末だった。

 やれやれ。どうやらこれは結構やっかいだ。特に「破裂」なんて物騒な名前が付いている第7頸椎の状態が気になる。

 しかし、とりあえず肺の止血のほうが優先だったようで、それが安定するまでの12日間は水戸のICUでお世話になった。第7頸椎に関しては骨の移植手術が必要と判断、術後のリハビリも考慮して都内への転院が決まり、移送手段にはなんとドクターヘリが選ばれた。極悪な乗り心地の救急車による水戸からのロングドライブに、ボロボロになった自分の身体は耐えられないと推測されたからだ。

 せっかくのヘリコプター搭乗なのに、ストレッチャーに乗せられたままだったので景色を楽しむこともなく、約40分で新木場のヘリポートに着陸、そこからは結局また救急車に乗せられて(=揺すられて)都内の病院に無事到着した。例によって再びさまざまな検査を経て、転院してから10日後に、自分の腰骨の一部を第7頸椎(のあった場所)に移植するという手術を受ける。術後1週間でほぼ強制的に退院、しばらく自宅療養とリハビリをしてから出社の運びとなった。

 ここまでで、事故から40日が経過していた。

 この間、無機質で無表情な病院の天井を眺めながら考えていたことは3つ。まず、助手席に座っていたとはいえ、クルマがコントロールを失ってからでも自分に出来たことが、計測器を足元でしっかり保持すること以外にあったのではないか。次に、何が何でも絶対に元通りの身体に戻る(=仕事に復帰する)。そしてもうひとつが、一刻も早くクルマを運転したい、だった。

 クルマの事故によりかなりしんどい状況に置かれてしまったのだから、もう二度とクルマなんかには乗るまいと思っても仕方ない。でも、実際にはむしろ事故以前よりも運転に対する欲求は高まったようにさえ感じている。6月に入らないと運転の許可は出ないのに、よりによってそんなタイミングで「ファン・トゥ・ドライブ」なんて特集を組んだおかげで、ロケから戻ってくる(帰国する)スタッフが羨ましく、そして悔しかった。

 辛いことだらけの40日間だったけれど、結局は大好きなクルマを運転できないことが何より辛かったのである。

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