自分を、とりもどす
自分が何を感じてるか。何をしたいのか。
それに気づくのが、けっこう苦手です。
「気を使わず話してね」
「本音で話てほしい」
と言われることがあります。
ただ、当の本人がその「本音」とやらをわかっていないので
(わからないものを出せと言われても……)
という感じでもあるのです。
ネガティブな感情は自覚できるのですが、
それを出せ、と言われても、、いやぁ、やはり影響が出てしまう。
……あ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
つらつらと書いているこのnoteは、最もつまらないとされる話「結論のない自分語り。独り言」です。
(でも、僕にとっては、親しい人にしか言えていない、とても嬉しい話なんです)
ハードルはしっかり下げましたので、もしよろしければお読みください☺️
・・・
「自分を、とりもどす」
思えば、ここ2年くらいのテーマの一つだったような気がします。
昔と比べてどうかだけをいうと、カタツムリ並ではあるけれど、少しずつ前進し、取り戻せている気がします。
自分の「正」の感情。
これについて考えるとき、思い出す一つのシーンがあるんです。
大学生3年生の頃だったか。
仲のいい同級生や後輩と一緒に、バッティングセンターにいき、そのあと酒を飲みながらダーツをやっていたときのこと。
(雑な前振りですが、僕、元野球部ですし、マイダーツ持ってましたし、お酒もよく飲んだし、一緒にいたのも親しい仲間だったし、サークルの会長だったりもしたんですね)
その仲のいいサークルの後輩にふと言った、一言。
「俺、楽しいって感情がたぶん、ないんだよね」
え、先輩、何言っているんですか?人一倍エンジョイしてるじゃないっすか?みたいなことを言われた記憶もあるんですが、そのときは大真面目に話した、本音。言ったあと、とてもスッキリしたことを覚えています。
喜怒哀楽。
そのうちの「楽」だけが、断線しているような。
その影響か、ずーーーと何かを達成する「喜」をバランス悪く求めてしまう。結果、自分自身への「怒」や、現実とのギャップに「哀」しんでいたような気もします。
・・・
と、ここまで書きながら。
(もやっ)
と、してきました。
いま「楽しいって感情が、ない」という言葉を書くと
(そりゃ、嘘だよ。そんなことなだろ?)
と、自分にツッコむ自分がいるんです。
これが僕の中では、大きな変化、成長で。
他の人には、「楽しい」がないなんて、わからないかもしれません。きっと他の人には、あって当たり前の感情かもしれません(僕も生まれてすぐはあったのだと思います)。
でもそれが、着実に芽を出し、育ってきた、という感覚があるんです。
自分の年齢なんかを考えると、こんなことをいうのは、とても恥ずかしいのですが……
感じとることができなかった感情のアンテナが、少しずつ大きくなっていくこと。伸びていくこと。
それが僕は、いま、とても、嬉しい。
本を読むこと、なんかもそうです。
なかなか忙しくて、活字が苦手で。
本を読むことはずーっとずーっと苦行だったのですが、最近、新しい知識を得ることが、楽しくなってきているんです。
「知る楽しさ」って、あ〜、こういうことかもな。遅すぎるかもしれません、でも、とても嬉しいんです。
自分が何に本当に興味があるか。何が好きか。
まだ、よくはわかりません。
でも、少しずつ
好きになる広告の種類、やってみたいと思うものが、育ってきました。映画や音楽を聞くのも、最近は楽しいです。
・・・
「好き」「楽しい」「夢中」「個性」
これから時代に大切なことだ、とよく言われますよね。
その感情の感度が弱めだということ、とてももどかしく思います。
(特に、コピーライターという仕事をしていますしね、いや、これはこれでいいのかもしれません)
でも、人は人、自分は自分。
大切に育てていきたいと思います。
終着点のない旅だと思って、このこと自体を楽しみたいと思います。
さて、この話、
「なんか暗いな、かわいそうだな」
と、思われそうなもんですが、
「嬉しかったんだ!それはよかった!」
と、思ってくれる人がいると、嬉しいです。
あー、すっきりした。
今日は、大好きな、すき焼きにしよう。
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