第51回 十数年あとにも見返したり聴き返したりするものとは その2
こんにちは、STです。
今日はこれからバンド仲間とスタジオに入るために、夕暮れの鹿児島中央駅から天文館に歩く途中でこのブログを音声入力しています😄
さて、例えば、自分が歳をとった時、あなたは自分の人生において何かを見返したり読み返したり聴き返したりしますか?
それじゃ、あなたが死んだ時、あなたの周りの人たちは、あなたに関する何を追体験するでしょうか? あなたの残した日記? 仕事の資料? 撮りためた写真?
あなたが文筆家ならあなたの残した文章を読み返すかもしれません。小説とかビジネス本とか。
あなたが音楽家ならあなたが録音した音楽を聴き返すかもしれません。
あなたが映像作家ならばあなたが残した映像を見返すかとしれません。
あなたが写真家ならあなたが残した写真集を見返すかもしれません。
あなたが建築家ならあなたが残した建造物を見返すかもしれません。
あなたが起業家ならあなたが作ったサービスを利用して想い返すかもしれません。
あなたがブロガーなら、、
あなたが、、、
僕の父親は僕が33歳の時に亡くなりました。
今朝は一人で父親のお墓参りに行きました。家族は東京、そして僕は一人っ子なので基本は一人でお墓参りです。
僕の父親は元々カメラマンでその後短編映画を撮り、最後はテレビ局で番組やCMを作りました。
いま僕が父親を思い出しながら体験できるのは父親が残した写真やテレビ番組を保存したものになります。
昭和の緩い時代なので、父親の仕事現場で好き放題遊んだのも覚えてますし、父親の仕事ぶりも記憶にはあります。
しかしちゃんとした形として残っているのは、仕事の原稿などもありますが、大きいのは番組のビデオアーカイブなどです。
さて、僕が死んだ時、子供たちや周りの友人は、僕の“何”をトレースできるのだろう?と思うことがあります。
日々の仕事ぶりなどは記憶には残るでしょうし、仕事に使ったツールや資料なども残るでしょう。しかしそれはそれだけのこと。
僕がオープンした店は未来永劫残ることはありません。僕が商品開発のために作ったデザイン画やPOPデザインや数々のプレゼン資料なども見返されることはないでしょう。
そういう意味では、きっと僕の場合は、趣味でレコーディングした音楽や映像のほうが大きいのかもしれません。
アーカイブ:
人は何かを残すためだけに生きるわけではありません。しかし何かを残すこともとても大切なことかもしれないなと思います。それが趣味であれ仕事であれ。
仕事に限らずプライベートであれ、まとまった形のものを作り上げる。むしろプライベートのほうが大切なのではないかとこの頃は感じます。
そういうことの大切さを強く感じるこのところの日々です。
商売繁盛衰退記でも書くか! オリジナルの音楽をレコーディングして形に残すか! トレッキング紀行ムービーでも制作するか! ブロガー、コラムニストでも目指すか!
あなたが自分のため周りの人のためにいちばん残したいものは何ですか?
中央駅から天文館までひとり喋りしながら歩いて来て、そろそろ仲間たちと合流する手前まで来ましたので、今回はこのへんで、また来週!
JUST ROCK IT !