個性は平均の振れ幅の中に集約する法則
個性とはなんぞや、
もし、個性を追い求める人がいるなら
最初に言っておきたい。
個性など考えるだけ無駄だ!
個性など追い求めなくて良い!
少し過激な発言だが
これらは、あくまで「個性」という言葉そのものを意識することが無駄という意味で、
「誰もやっていないようなことをやる」「誰も知らない情報を知る」
というモチベーションはあって良い
人は集団で生きる動物として動物的遺伝子に組み込まれているもので、
個性を求めるというのは、種の保存を難しくさせることなので
個性を追求することに人間は向いていないことも遺伝子レベルで知っているはずだ
しかし、人は個性を求めたがる生き物で矛盾しているように見える、
おそらく、個性という言葉が間違っていて、本来違う何か表現があることを知らないだけなのだと推測した
そこで、個性を言葉に出す時に具体的にどういった心情であるのかを考察してみた
平成時代に、SMAPの「世界に一つだけの花」という歌が流行った時に、
「ナンバーワンじゃなくオンリーワン」というフレーズも流行り、
後にこれが「個性とはなんぞや」というテーマの様々な論議に引用符として用いられてきた
感覚的には、あまり誰もやってない独自のスタイルに対して
「個性的」という言葉を使っているように思う
しかし、
僕自身、意識高い系個性派人間で独自のスタイルが個性だと思っていたので、
そこをあまりに追求しすぎた結果、
「個性」はあるところに落ち着くことがわかった
僕みたいな意識高い系個性派人間ではなくて、一般の人が追い求める個性とは、
誰もやっていないことというよりは、平均より少し外れたとこで良くて、
平均より大きく外れる個性までは望んでいないという傾向にある
退屈は嫌、でもトラブルだらけや、仕事で忙しすぎるのも嫌、
だから退屈な日常に少し刺激がある程度が一番落ち着く
という表現がスッと入ってくるかも
「個性的」という言葉が頻繁に使われる分野で、わかりやすいのはやっぱりファッションだと思うけど
雑誌とかで個性的なファッションを見て、それをみんなが真似したら、それは個性的でなくなって、一般的(平均)になるのだが
誰もそういうことに気づかないし、気にもしていないように感じる
意識高い系個性派人間なら、雑誌に載っているすべてのファッションと被らないように独自の
着こなし方をしていこうという発想になるはずだ(そういった場合、売っている服より、自分で作りだす)
自分にとって個性的かというよりも
個性的なモデルの真似をして、心を好きなモデルに重ね合わせたいということだ
そこまで考えが行き着くと、
僕の追い求めていく個性も、結局誰かの個性的な生き方(アーティストや俳優)に重ね合わせたいだけだということに気づいた
どれだけ個性を追い求めても、平均値の範囲を越えることはできないのだ
個性を追い求めすぎて、平均より大きく外れてしまった人を
一般の目線からは、変な人に見えると思うけど、
平均の範囲である限りは、変な人の中でも「まぁたまにこういう人いるよね」の範囲で、
本気で個性の行き着く果ての人は、
「犯罪者」か「お前一回病院行ってこい」のどっちかかなと思う
結論、
個性は平均の振れ幅の中のもので語るものであって、それ以上は実は誰も求めてない
つまり、
100人に1人くらいの立ち位置くらいがよくて、誰も100万人に1人や、1000万人に1人になりたいというわけではないということ
僕自身があまりにも「個性=70億分の1に近づくこと」だと思い込んでた変な人間(平均より外に行きすぎ)なので
今まで、周りの人が個性を求めることに対して、
「個性求めてる割には、なんで平均的な発言や行動をするのだろう?」
と疑問を持っていたけど、
自分なりに色々考えてやっと自分の中の結論に達して
自分も個性をいくら求めても平均の範囲内だということがわかったと同時に、
周りの人の「個性」についてもとやかく言わなくなった
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