選択、はたまた状況という放射性のギフト。もしくは呪い。
久々のnoteです。こんにちわ。
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最近、転職の相談なんかをよく聞く受けるのですが、「選択には正解も不正解もなくて、選んだ方向を正解にする」的なマインドがトレンドになってきている気がします。
なるほど。たしかに良い考え方だなと思って各所から話を聞いております。
結構前に近内さんの下記の本を読んでいてとても良い本だった記憶があります。
「贈与は贈られた側が受け取った気づいて成立する」それが良い内容であればギフトだし、悪い内容であれば呪いである。つまり交換や取引とは違って時間差がある。贈与は時空を超える。物理的なものであってもメッセージ的な非物理的にも。
「高校の先生が言っていた話ってこういうことか」と20年後に思い出すみたいなことですよね。でそのインスピレーションを他の人に贈与として伝える。これが贈与連鎖の仕組みで取引との違い。私⇔あなた。ではなく、私→あなた→彼→彼女。みたいなイメージで捉えました私は。
これが、私→あなた→彼→彼女→「私」みたいな状況に偶然なると運命や感銘の感情につながるのだろうと思うので、ギフトを日頃からしておくと感動レベルのギフトがもしかしたら私にも降りてくるのではないかと邪な考えもチラつく今日この頃です。
贈与の強要「はいプレゼントです」みたいな交換のような贈与は、これまた呪いになりやすい。いらない誕生日プレゼントをもらって不快なのに、さらにお返しもしなければいけない。みたいなタスクも発生する。
つまり贈与は前提として見返りを求めない。受け取ってもらえる時期は未定。そこに自分というエゴは必要ないんですよね。
みたいな文脈の内容で書かれていた記憶があります(解釈違ったらすいません)
で、最初の話に戻るのですが、
「選択には正解も不正解もなくて、選んだ方向を正解にする」
これも似たようなものなのかなと思っていて、
例えば、自分に置き換えて考えると10年前とか20年前の選択って、今も正解なのかどうかわからないよなあと。もっというと15年前は不正解だったけど、5年前は正解で、3年前は不正解で、現在は正解、、、
みたいな固定的ではない流動的なエンドレスな解答になり、
「ひとつの選択」がつくった状況は、一羽の蝶々の動きが地球の反対側で嵐を巻き起こす「バタフライ効果」のようなもので、色んな人にも同じような状況をもたらす。
自分の選択で、Aさんの現在には不正解で、5年後は正解で、10年後には不正解で、はたまたBさんの現在には正解で、5年後は不正解で、10年後には正解みたいな。もっというとAさんの友達にも、Bさんのこどもにも、Cさんの何世代か渡った子孫に。これも時間軸で正解、不正解が入れ替わりながら。
こういう指数関数的な放射性のギフトを巻き起こすのが「選択」という行為なんだろうなと思うわけですね。世界中の人が大なり小なり毎日毎分毎秒「選択」を行って世界がつくられていく。
そう考えると「選択には正解も不正解もなくて、選んだ方向を正解にする」にする強いマインドも必要もないんじゃないかなと思ってしまい、
「選択するだけで偉いよ」
それだけで世界へ影響を十分与えている。という何も言っていない解答になってしまう。
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