学校ってえんとつ町ですね。
えんとつ町のプペルを観てないとわからないかものお話。
2回観て、2回とも泣いた映画。
1回目は前の方で見たから、大泣きできなかった。
2回目は一番後ろの席を取って、思う存分、泣きながら観た。
3、4回目はこれから行きます。
えんとつ町って煙に覆われて、外の社会と遮断され、えんとつ町だけで暮らしています。
星を見たなんて誰も言わないし、誰も言えない。
言ったら、そんなもんあるわけない、なんでそんなこと言うんだ、お前空気読めよ、目立ったこと言うんじゃねえよ、なんてことを言われまくって、仲間外れになる町。
ルビッチはお父さんが星はあるんだ!って言葉を信じて、信じ切って、星を探しにいく。
まわりからいろいろ言われても、言われても、あきらめず、心折れず、ひたすら信じて突き進む。
えんとつ町の人たちはそれを許さない。
いつまでも諦めないことを許さない。
なんでいつまでもあきらめないんだ!って、俺たちはとっくの昔にあきらめたのにって。
アントニオは昔、星を観た。
観たけど、それは言えなかった。
だから、黙った、沈黙した、あるって知ってるのに、知ってるのに空気読んだ、そして星があるっていうことをあきらめた。
けど、ルビッチの一途な姿に、俺はあきらめたのに、なんでお前は諦めないんだって、あきらめた俺はなんなんだって、自分を追い込み、そして、最後にはルビッチを応援する。
やっぱり星はあるんだって!
学校ってえんとつ町ですね。
画一的で、みんな一緒で、空気読んで、目立たぬように立居振る舞う。
目立ったら、足引っ張られるかもって、まわり気にして、意見も言わず、ただ沈黙する。
いじめられないようにって。
そこで変わったことをしようものなら、夢を語ろうものなら、なんでお前がそんなこと言うんだって、どーせ無理だって、笑われるのがオチ。
大人もどーせ無理って言う。
自主性、主体性で言うなら、えんとつ町って、自主性の町ですね。
自主的な、いい子たちの町。
言われたことをちゃんとやる。
空気を読んで、みんな同じが好き。
目立たぬように、逆らわないようにするよい子?の町。
アントニオは、星を観たのに、星はないという町に逆らわないように、空気を読んで、目立たぬように、立居振る舞う。
ルビッチは、お父さんを信じて、信じ切って、星を追いかける。
信じたことを、ワクワクすることを、好きなことを追いかけ、自分の頭で考えて行動する。
すると、その感情と思考が多くの人を引き寄せ、多くの人を変えていく。
覚悟と勇気がアントニオを変えていく。
自主性の町、えんとつ町を変えるには、本質を見抜き、本質を追いかけ、人と違っても、人から異端視されても、自分の意見を押し通す。
そして、自主性の町が、主体性の町へ変わっていく。
一人一人が自分で考え、自分の意見を言い、自分で行動を起こす。
いつまでえんとつ町の住人でいるの?
いつえんとつ町から出るの?
えんとつ町のまわりは、主体的な人でいっぱいですよ。