生きる術が学べない学校

今の学校で学べることって、生きていくことと真逆のことなのです。
校則とか、授業とか、部活動とか、道徳とか、学校行事とか、ほとんど全ては、単なる思い出づくりのためにあるだけです。
#思い出がいっぱい

このことに気がついている先生はわずか。
思い出づくりがすべてだと考えてる先生はまだマシ。
本当に生きていく上で必要な主体性、お金の生み出し方、使い方、コミュニケーション、対話、共同体感覚などは学べないようになっています。
学んだら扱いにくい国民になってしまいますから。
それよりも従順で、素直で、ボーッとしていてくれた方がいい。
#ボーッとしてんじゃねぇよ

いわゆる学校は「いい子」製造場です。
先生たちもなるべく考えないのがいい。
考えない、言われた通りにやることが出世にもつながる。
#マジで

学校を変えていくとか、新しいことに取り組むとか、そういうことよりも、今まで経験してきたいい子をつくる、画一的な教育がすべてです。
親も先生もシーラカンスなので、当然、子どもたちもシーラカンスの子どもです。
進路選択も、シーラカンスの子どもらしい選択をします。
先生もシーラカンスのような進路指導?をします。
絶対に生きていけない、生き残れないようにしてくれるのです。
でも、今まではそれで良かったのです。
自分たちの時代はそうだったのです。
それを押し付ける、そして安心する。
でも、未来はそれを許しません。
生きる術がない、昭和のシーラカンスの未来はないのです。
深海でじっとしているしかありません。
#ずっとジッとしとって

それが現場です。
一体、未来はどうなるのでしょう?
思い出を胸に、知恵もなく、お金も知らない、対話もできず、人の言うことはよく聞く。

定期テストは今まで通りの暗記のテスト。
暗記したもん勝ち。
そして、それは内申のため。
もし内申がなかったら、学校にいく必要ある?
#スタディサプリに勝てるわけねーだろ

先生も親も子どもたちも思考停止しているので、それが当たり前で、いいと思っている。

もう気持ち悪い状態なのです。

こんなバカにした学校、テスト、受験は世界中どこを探しても、アジアの一部だけ。
#とにかくバカばっかり

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