外へ、外へ出ろ。
外へ、外へ。
アドラー心理学にしろ、仮説実験授業にしろ、テスト廃止にしろ、宿題配信にしろ、その他いろいろあるのです。
いろんな学びや、いろんな選択肢があります。
で、それを知った時、学んだ時、これはいいなって思って取り組むって、ちょーあたりまえのことなんです。
すぐに実践する、してみる。
で、すごい成果が出る。
だから、継続する。
これってあたりまえのことです。
自分にとってあたりまえのこと、なぜなら、よりよい選択肢が目の前にあるのに、それをやらずにいるのって、気持ち悪いし、我慢できないし、なぜやらないんだって。
そうなるのがあたりまえです。
そうやって世間から異端と言われるようになっていくのですが、それがまた不思議で、なぜよりよい学びや、選択肢を目の前にして、動かないのかの方が、信じられません。
クラスマネジメントなんて、アドラー心理学を学べばすぐです。
楽しい授業なんて、仮設実験授業ですぐです。
テストなんて、定期テストなんかに縛られていたら、それまでに、その期限までに、縛られることばかり。
成績をつけるまでの時間がない?
採点する時間がない?
いやいやテストってわからないものをわかるようにするためにあるんで、暗記や成績をつけるためにあるんじゃないですよね。
だから、定期テストからはずれればいいだけのこと。
暗記じゃないんだから、教科書、資料、持ち込みにすればいいだけのこと。
再テストして、できなかった問題をできるようにすればいいだけのこと。
そして、成績はあたりまえのようによくなるに決まっています。
内申とか、受験とか、そんなことのためにテストやって、成績つけるなんて、期限に縛られてテストして、時間もなく採点して、成績つけるなんて、何でそれを我慢してできるのかが信じられない。
宿題?わかるものをまたやらなきゃいけないのか?そんな時間の無駄はない。
生徒の自立、自律なんて、既存の教育では遠ざかるばかり。
その教育はダメだ、テストはダメだ、内申なんて必要あるのか、暗記なんて役に立たない、創造力はどこへいったやら。
成果を出す、出せるものが目の前にあるのに、空気を読んだり、忖度したり、まわりの目を気にしたり、同調したり、そんなことを優先するなんて。
まさに時間のムダ。
それが我慢できる?我慢する?人たちに、自分が我慢できるはずがないのですね。
だから、会話は成り立たないし、話しても何もおもしろくない。
あたりまえです。
常にupdateする。
常に学びに行く。
そうでない教師と一緒にいたって成長するはずなんてありません。
既存の職場では成長はできないんです。
外へ、外へ学びにいかないと。
生徒も同じです、学校では学べないことばかりです。
だから、生徒も外へ外へ。
日本は学校を卒業すると、途端に学びを止めるそうです。
これもまた信じられない。
それでは、変わるわけない、成長もしない、夢なんて実現するわけもない。
夢を諦めたもの同士が集まり、夢を追いかけるものを排除し、仲間の中に夢を口にするものがいたら、空気を読め、そんなことやめろと誹謗中傷する。
「お前は、そんな場所にいつまでいるのか?」
「お前は、そんな奴らといつまで一緒にいるのか?」
外へ外へ。