独立宣言!平凡な会社員から「人間くさい」映像作家へ
こんにちは。
サムネで「ペンを置く」と言っておきながら、
さっそくペンを取っています。田中です。
今回はいつもお世話になっている皆様にご報告があります。
このたび、2023年7月31日をもちまして熊本日日新聞社を退職し、
ビデオグラファーとして独立します。
正直、びびりで小心者で保守的な私が、こんな決断をするなんて…!
数年前は思いもよりませんでした。
しかし、熊本県民の誰もが知る会社で5年半を過ごしているうち、私の胸にはふつふつと〝ある感情〟が芽生え、いつしか抑えられないものまで膨れていきました。そして…
今の自分にとって、「一番金ピカなこと」をしたい。
と、思うようになりました。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回の内容は、
熊日時代は、どんな仕事をしてきたのか
独立したいと思ったきっかけ
今後、どんな活動をしていくのか。
などについて話していきます。
全体的に盛りだくさんになってしまったので、
興味あるところまですっ飛ばして読んでください!よかったら、感想もコメントしてくれるとうれしいです。
がむしゃらに走った熊日時代
これまでの経歴をざっくりまとめると…
▶︎ 入社。業務推進局に配属
2018年4月、私は熊日に入社しました。
業務推進局に配属され、自社催事やイベント企画、県委託事業などを経験しました。予算編成、集客、ディレクション、運営管理…。あらゆる事業を滞りなく進めるためには何が必要か…。基礎的な部分を多く学びました。
具体的に実施した事業については…
・TOYOTA SOCIAL FES!!
(全国のトヨタディーラー各社と協力し、環境保護活動や啓発イベントを実施する事業。県内では、熊本トヨタさん、トヨタカローラ熊本さんら5〜6社と提携し、江津湖や荒尾干潟で実施)
・カントリー&クラフトフェア
(ハンドメイド作家ら約70〜80団体が集まり、グランメッセ熊本で実施する熊日主催事業。来場者数は7000人 【※当時】を超え、規模は「西日本最大級」【※作家さんたち曰く】)
といったところでしょうか。当時はわからないことだらけで、必死でした。
▶︎ 異動。念願の新聞記者に
2020年3月、私は編集局に異動することになりました。社会部に配属され、警察担当の記者に。まるでそこは、映画やドラマで見ていた世界でした…!
ところで、いきなりですが、
「署回り」「夜回り」「警電」「ガサ」「勾留」「書類送検」・・・!
こんな言葉、聞いたことはありますか?
一般的には聞き慣れない言葉もあるかもしれませんが、当時の私は日常的に使っていた用語です。
少し脱線しました。つまり、何が言いたいかというと…めちゃめちゃ〝特殊な職場〟でした。
刑事訴訟法、刑法といった専門的な知識が求められ、被害者への配慮、細心の注意を払いながら取材し、ときに前提を疑う。ときに世の中へ問題提起する。
火災、交通事故、殺人事件、2020熊本豪雨災害…!コロナ禍1年目もあいまって、異例の事態を取材する機会も多く、私にとっては激動の1年でした。
それから2021年、南関支局(=南関町・和水町の担当記者)に異動し、まちの話題・イベントといった柔らかい記事から、行政・町議会、選挙といった硬派な記事までいろいろ書ける機会に恵まれて、新鮮でしたね。
「家族湯」「ドローン」といった、いくつかの連載を企画したり、有名な南関町の竹箸メーカー「ヤマチク」さんの記事なども多く書かせていただきました。
2023年には、本社に戻り、デジタル編集部記者に。双方向型報道や他紙との合同企画といった新しい新聞のコンテンツも多く手がけました。
地域とつながり、見えたもの
端的な経歴紹介でしたが、ここでは書ききれないほど多くの教訓・学びを得ることができたと思っています。
何より、社会はどんな流れで回っているのか。
本当の意味で、地域の課題を解決するとは、何なのか。地域と経済、ハードとソフト、人口減少と高齢化…etc それらの本質について、面と向き合って考える場面も多くありました。
そこで見えたものはいったい何なのか。
意外とシンプルなことなのかもしれませんが、
世の中の課題は、複雑に条件が絡み合っていて、
1人でできることも限られる。だからこそ
持続可能な体制を組んで、解決に取り組むべき。
いくら世の中に良いことだとしても、お金がなければ続けられない。独りよがりに見えてしまうと、地域の共感や支持が得られず、ハレーションが起こる。相手の立場になって考えなければ、痛みや悩みを実感することはできない。逆に、相手の立場(消費者)の気持ちを理解できれば、どんな課題でも、解決の糸口くらいは絶対に見つかる。
独立したいと思ったきっかけ
私には、2年半、お付き合いしている女性がいます。〝海の幻想画家 Sayaka〟の名前で熊本で活動している画家で、
きっかけは、Sayakaが与えてくれたようなものです。
Instagram
▶︎ https://www.instagram.com/sayaka.umi/
Sayakaはさまざまなテーマの絵画作品を取り扱っています。アート時計をはじめとする美術関連品を販売したり、〝海の思い出〟をテーマとするオーダーアート事業を手掛けたり…。オーダーアート事業について具体例をあげると
・20年前に家族旅行で訪れた、イル・デ・パン島の風景
・奥様にサプライズでプロポーズしたモルディブの風景
など、依頼者さんの思い出に寄り添った作品を描いてきました。
そんな中、そのオーダーアート事業のなかで、とても印象深いお仕事がありました。そのお仕事こそ、私のなかの熱い何かに、さらに薪をくべ、一層燃え上がる機会になったのです。
▶︎ 心を震わせるクリエイティブ
昨年春ごろ、県内在住のある20代女性から、オーダーアートの依頼がありました。
「親友が病気で亡くなってしまって悲しんでいる父を元気づけるために、親友と父が並んだ絵画を描いてほしい」という内容。
Sayaka自身も以前、とても親しい人物を亡くしてしまった経験もあったため、「どんなふうに想いを絵画に表現するべきか…」と苦悩していました。
場合によっては「もっと落ち込ませてしまうのではないか」という不安もよぎったそうです。しかし最終的には、依頼者さんの「お父さんを元気づけたい」という想いに寄り添いながら、作品と向き合うことこそが、自分のやるべきことなんだ、と決意していました。
そして…昨年5月、
お父様が経営する熊本市中央区のレストランにて作品をお渡し。依頼者さんは、私の友人でもあったため、自分も同席しました。
お父様はシェフでもあったので、
お客さんのピークが過ぎ去ったころを見計らい、
Sayakaは依頼者さんと一緒にサプライズ。
リボンをゆっくりと解き、箱を開けて作品が露わになった瞬間…
お父様は双眸を細め、つらつらと涙を流し、絵画を抱きかかえました。
「ありがとう」
感動されたお父様の表情は
今でも忘れられません。
———クリエイティブは、ここまで人の心を動かすのか。
私は小さい頃から、映画や漫画、小説などの作品たちから元気をもらったり、勇気づけられたりしてきました。つまり私にとって、作者は皆〝ヒーロー的な存在〟でした。
それを目の前で、彼女が画業で実現。
その姿を見て、
「自分だからこそやれる仕事をしてみたい」
「同じ目線で寄り添って、人の役に立ちたい」
「人々の感情を動かす大きな挑戦をしてみたい」
などと強く思うようになりました。
▶︎ 「ある感情」 の正体とは?
さて、結論を出すまでに少し時間がかかりましたが冒頭に申し上げた部分に言及します。
5年半で、ふつふつと込み上げてきた感情の正体…それは、
「物足りなさ」でした。
私は熊日の就活のときに、ありがちなものですが、「熊本を盛り上げたい」と口にしていました。県内にいくつものコネクションがあり、時代に沿った社会課題に向き合ってきた企業ならば、それができると信じていました。
全くできなかった、とは言いません。
どちらかというと、自分自身の「盛り上げる」ということの解釈が変わってきたのだと、今では思います。
記者の仕事は、多くが知るor知られざる 課題を見つけ、広く提起することはできても、解決に向けて、自らが旗頭となったり、チームメンバーとなったりしてコミットすることはほぼありません。
(そんな眩しい人たちを取材することはありましたが…!)
イベントにしても、それはあくまで「手段のひとつ」に過ぎないのです。「こうしたらもっとよくなるはず」と思い、私が企画したとしても、前年踏襲しなければ、マイナスなことが起きるかもしれない、と言われ、実行できないことも何度かありました。
「自分の本当にやりたかったことは、これなのか…?」
自問自答するうちに、ぼやけた思いは洗練され、明確化していきました。
私は、熊本の発展をもっと肌で実感できる仕事をしたかったんです。
例えば…「若者の熊本離れ」というテーマであれば
→ 面白い企業たくさんある!を楽しく気軽に伝えられる機会を創出したい。
→ 見せ方がもったいないが面白い!→〝見える化〟のお手伝いをしたい。
→面白い起業家、クリエイターを紹介したい!→面白い部分(素性など)をドキュメントしたい。
→働く場所がない→もっと売上を上げるお手伝いしたい。
のような。
ひとつの課題に対し、選択肢を広く持ち、持続可能な形で。会社員ではなく、私個人の仕事としてご協力できれば、もっと多くの時間も使えるし、それで食べていけるのであれば、これほど楽しいことはない、と思えました。
1年間、死ぬ気で勉強した
とはいえ、スキルや知識がなければ「課題解決にコミット!」なんて、できるはずがありません。
口だけならなんとでも言えますし。口だけの人間には、なりたくない。
そこで、昨年8月ごろから、続けてきたことは以下の通り。
・尊敬する人物の本を毎日読む
・ビジネスメディア〝PIVOT〟を視聴する
・少額でもいいので〝稼ぐ〟を実践する
・現場の生の声を聞く、体験する
フリーランスの語源の通り、今後私は
「傭兵」として力を発揮しなければならない。
誰よりも詳しくなければならないし、
成果に対しての責任も持たなければならない。
「本当はもう少し勉強してからでもよかったかも」と頭をよぎることもありましたが、それよりも、もっと計画→実行→評価→改善(PDCA)を加速させる必要がありました。本業の合間を縫ってやる、という実行スピードでは、限界を感じていたのです。
だから、「挑戦」の道を選択しました。
20代のうちなら、独立して失敗したとしても全然巻き返せます。私は結婚もまだだし、もちろん子供もいません。ビビリで小心者で保守的だからこそ、身軽な状態の今しかフリーランスに挑戦できないと思いました。
またこの1年、熊本で活躍される多くのクリエイターの皆さんに出会いました。いきなり「お話聞かせてください!」とメッセンジャーでお送りして、ノウハウを根掘り葉掘り聞かせていただきました。
ときにはお仕事をご一緒させていただいたりすることも。全て貴重なお話、体験ばかりで、今の自分自身の決断に大きく影響を及ぼしていることは間違いありません。本当にありがとうございます。
今後、どんな活動をしていくのか。
動画が必要とされる場面は、SNSの発達もあり、多岐にわたっています。
そのため、ビデオグラファーを生業とする方々もめちゃくちゃ増えてきています。つまり、ライバルがいっぱいですね。ドキドキします。
——自分が生き残っていくためにはどうしたらいいか。
自分自身を掘り下げ、ブランディングをしてみました。
熊日新聞記者時代、私は執筆よりも、取材が好きでした。
記事とは、読みやすくするために最適化されているコンテンツですので
仕方なく省いたりしている内容が、実はいくつかあります。
一方、取材は記事よりも、多くの情報を知ることができます。
起業家の方に取材したのであれば、人間性やマインドセット、ちょっとした失敗から、普段意識していることまで。声高や表情、姿勢などから感じ取ることができます。つまり、最適化された表の部分には載っていない、裏の生々しい部分、〝らしさ〟が全開です。それらは記事に字にすることはできないものですが、それこそが私にとって
めちゃくちゃ面白い!と感じてしまうコンテンツそのものだったのです。
〝人間くさい〟を映像に。
これが、当面の私のキャッチコピーです。
「表も裏も含め、人間味がある映像を作り、もっと好きになってもらう」
ということです。B to B のビジネスモデルを基本とします。
物(商品)が大量に溢れてしまっている現代において、人々の消費行動は、その商品や企業にどんな「ストーリー」「理念」「願い」が込められているのか、という点で、大きく結果が左右されるようになってきました。
「どうせ買うのなら、サステナブルなものを」
「この企業を応援したい」
「デザインや商品コンセプトがとにかく好き。毎日触れていたい」
これは、採用面においても同様の傾向が見られます。
しかし、未だに多くの企業が「いい物を作れば必ず売れる」というお言葉を口にし「どういう機能を追加すればいいのか」「どうすればさらに美味しくなるのか」といった部分に、大半以上のリソースを割いている現状です。
もちろん、これらは決して悪いことではありません。
しかし、それが伝わっていなければ、無いもの同然です。それでは、あまりに勿体無い。
まずは選択肢に入れてもらうことが重要です。
だからこそ、私がご協力できること(ビジネスチャンス)は
あると思っています。
Instagram、TikTok、YouTube、Twitter、note…!ホームページ、メディア露出、リアルイベント企画…!状況に応じてこれらを展開し、
より多くの人たちに企業ブランドイメージを訴求する。
企業の「強み」や「存在意義」を、みんなが自由に語り合うことができる
最終的には、そんなビジョンを達成していくように動画をひとつの手段として、サポートしていきたいと考えています。
ドキュメンタリー映像を作るも良し。インタビュー映像を作るも良し。映画風がいいなら、脚本も書きますし、縦動画で端的に伝えるのも最近は流行りです。YouTubeでハウツーメディアを立ち上げても、きっと面白い。
経営者や社員の人柄が見え、商品やサービスの思いが伝わる文脈に。
誰しも、必ず強みはある。
どんな辺境の「何もない」自治体でも。
みんなに説明しても、事業内容がわからない会社でも。
失敗ばかりで、自信がなくなっていたとしても。
万年1回戦敗退の弱小チームでも。
全く、モテたことがなかったとしても。
絶対に1つ以上は、みんなに誇れる「強み」があります。もし見つからないのであれば、私が見つけて、言語化します。それを伝える算段を、一緒に汗水流して考えたい。
記者上がりのビデオグラファーだからこそ、物事を掘り下げて考えることができるのは、私の〝強み〟ですし、どんな切り口でコンテンツを作っていくのかを考えることは、記者として実直に続けてきたことです。
たくさんの言葉(素材)を集めて、
「人間くさい映像」を手段に、
伝えたい人たちへ、伝わるように。
中長期的に、PDCAを回しながら、粘り強く続けていけば、売上向上、採用力強化、新規顧客の開拓、新規事業の成功、ブランディング…!
それらの課題解決の糸口になれると
私は信じています。
最後に
今まで書いたこと。これこそが、
私にとって、今最もワクワクすることであり、
一番金ピカなことなのです。
自分だからこそできる仕事で、
誰かの役に立ちたい。幸せになってほしい。
役に立てるような努力も続けたい。
そして、活動を続けているうちに
「田中さんとだから、一緒にやりたかったんです」と言われるような仕事ができれば
私はこの上なくうれしい気持ちになります。
というわけで、そろそろ書きおさめです。
シン・タナカ・シンタロウ!
一体どんな結果になるやら…。
大成功?はたまた無様に大敗?
将来、どんな結果になるかわかりませんが、
挑戦なくして、成功なしです。
誰よりも凡庸だという自覚はあるので、
誰よりも泥くさく、足掻いて、再出発していこうと思います!
(余談ですが、小中高でずっとやってきた野球では、ほとんど🌱(芽)が出なかったので、今度こそやってやる!って感じです)
もしご興味がある方は、ぜひ一緒にお仕事したいです!ご連絡お待ちしております。
ここまで、読んでくださって、ありがとうございました。気づけば、6900字まで達していました。今後の活動や思ったことについては、随時noteで更新していくつもりなので、どうぞ今後ともよろしくお願いします!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?