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しんすけの読書日記 『男色大鑑』
西鶴は嘆いている。
BLほど美しいもてあそびはないのに、今どきの人はこのすばらしさをしらない。
素戔嗚が稲田姫に血迷って女に恋することを、知ってしまったからだって。
さすが世之介を世に登場せしめた西鶴先生、読みが深い。
世之介のBL体験の始まりは、十歳くらいだったはず。天才は観るべきところは草葉の頃から嗅ぎ出すと。
大和ことばでBLは陰間と呼ばれるゆえに、以後記すに混乱が起こるべくもあらずかな。
読み人の心太きを期待して、以下を書き進めん。
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後半に至りせば、なぜか哀切の感すらありて涙の零るるを知る。
それはジャン・ジュネの『花のノートルダム』に似たる涙の如し。
![](https://assets.st-note.com/img/1656515465684-XAuzAgdVFO.jpg)
BLを認知せるの増えたる感も無きにしあらずなれど、まだまだ影の存在に近し。
だから陰間の響きも快いい。
その昔、美しき男の営む店に、妻と通いしことありき。
男の言うには、
「この店も、もうすぐ閉じなきゃね」
「なんで?」
って妻が聞くに、
「ぼくの容貌だけで稼いでる店だから」
西鶴も、老いたる陰間の悲哀を切々と描く。
誘う涙は、世之介では得られもせずと気づかされし。
その昔、BLは悲しき性なりか。
はたして今の世に、この悲しさは消えたるか?
付記:
本書の解説を担当した佐伯順子は書いている。
西鶴の時代には、男どうしの恋は社会的実践であったが、現代の女性読者にとって、それはまさに過去の美しい物語である。
このくらいに冷めた目が欲しいとは思うが、現実は遠く感じることも多い。
本書は日本のBLの様を最初にまとめた古典である。
西鶴の出世作の主人公である世之介にも、BL癖があったから、西鶴自身にもあったのかもしれない。