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母と息子 203『魅惑の魂』第3巻 第3部 第3回
ジェルマン・シャヴァンヌがセイジ家のマレイユ夫人と親戚なのは、彼の妹がセイジ家の兄弟の一人に嫁いでいるからだった。しかしシャヴァンヌとセイジの両家は、その結婚以前から長く親密な利害関係で結ばれていた。どちらの家もかなり昔からこの地方に住んでいた。両家には考え方の違いもあったが、見えていたのは実際以上のものだった。シャヴァンヌ家は共和主義を自任していたが、それは淡いものでしかなかった。最初から控えめな赤だったが、それも徐々に薄れていった。今では桃色と言えるくらいにはなっていた。白まで行かなくても、それで両家の間の交流はかなり調和したものになっていた。両家とも貴族としては豊かな部類とは言えなかったが堅実だとも言えるものだった。その堅実さが後代での分離に制限を加えることにも少なからず貢献していた。 (どんな時代でも、どんな場所でも、家の財産が親族を保ってはいる。)何よりも彼らには自分たちの土地に強い愛着があった。そこには二十ほどの農家があり、巣のなかの雛の群れのように生きることに懸命になっていた。類としての愛着は、どんな時代であっても生きることの根幹であり秩序もそこから生まれる。秩序には、宗教のようなカルト性はないが、似たところはある(ここで宗教と言ったのはとうぜんだが、西洋の秩序と拘束であるローマカトリックことを指している)。それはこの地方の地主である小貴族に共通なものでもあった。マレイユ家、テセー家、セイジ家… だけに限られるようなものでもなかった。そしてその習慣は、彼らに固有の自尊心を高めるものでもあったが、それ以上については何の違いも彼らには何も残っていなかった。それでも彼らの隣人への自負心はあると互いが信じてはいた。それは彼らにとっての弱点でもあった。もっとも、ド・セイジ家とシャヴァンヌ家もそれを表にして吹聴するには、あまりにも育ちがいい家柄ではあった。そうしたものは、各々が自分たちの愉しみのために隠しておく類のものでしかなかった 。