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母と息子 211『魅惑の魂』第3巻 第3部 第11回
承前
「大半が考えてるのはこんなことだと思っています『わが隣人よ、あなたのリズムがわたしと合えばすべてうまくいくのだ。 それであなたはわたしの同胞になれるのだ。もしあなたがそれから逸脱することがあれば、あなたはそのときから他人だ。もしそこに攻撃があでれば、敵でしかない』 …これは一番最初に理解できたものだけが報われる考え方です。二番目じゃ二流の立場かそれ以下しか認められない、さらに三番目なんて、言うことも小理屈でしかないでしょう。「三番目は何も持たず運んでいなかった」ってわけで、一切の権利はありはしない。そこでは動物に認めなかったと同じように思考も認められません。(ドイツ人って人間なんだろうか?)… その結果として「他者」が何なのかも判らなくなってしまう。第一級、第二級、第三級のどれなかも、どれであってもだれも判ってなんかいないし、知ろうともしないのです。
「ぼくは自分を見て、自分の声を聞いて、自分と話します。ぼくは蛙なのだ。ガァー! …自惚れて自分を情熱家と勘違いしているとき人間は蛙になってしまいます。そうして精一杯に身体を膨らませていきます。そして牛になり、さらには自分を「国家」や「祖国」と呼ぶようになります。そして行き着いたとこでは、「理性」とか「神」とも呼んでいます。これはとても危険な状態でしかありません。ぼくたちはぼくたちの池に戻なければ!… でもあそこいたときに… ああ! ぼくは満足に鳴くこともできなかった。自分の皮膚でできたレインコートを着て首までもボタンで留めていた、そこでは平和に鳴く方法をけし知ることができなかった。そんなぼくの好奇心(もしくは熱情の身振り?)に悪魔がとり憑いてきたのでした。そのときから、ぼくはそれを知りたいと思ったのだった(理解したいとはぼくは言わない。そんなことができるなんて誰がそこまで己惚れることができるのだろうか? それでも少しくらいは触れて、そこに生き生きとした温かさを感じたいと思っていたた。ぼくの指のなかにある山鶉(やまうずら)の暖かく柔らかい体のような精神、それを感じていたのです。そして味見してみました。彼らを愛しながら、彼らを殺すことで… それはぼくも殺したからなんです」
アネットはしり込みしながらも、ようやく言葉を発していた。
「あなたが人を殺したのですか!」
「それは必要なことでした。ぼくを責めないでほしい! 彼らも返事のかわりに、それなりのものをぼくい返してくれたのですから!…」