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夏 第308回 『魅惑の魂』第2巻第3部第28回

 二人は一緒に歩いた。アネットは戸惑いながらも嬉しさを感じていた。フィリップが語ることは、ある者たちへの敵意が観えていたがユーモアがあった。戯曲に対しては、トルストイ自身が気に入らない連中に対して使った褒め言葉(意趣返し)を偲ばせた。彼は自分の言葉の過酷さに気づいたように話を区切るように、こう言った。
「ぼくは公平に観ることができません… ある作品を観るときには、それを観ている人たちのことを思い浮かべてしまいます。その人たちの心の中を見ています。それは美しい芝居ではありません」
「美しく観ている人もいるはずですけど」アネットは言った。
「ええ、世間の悲惨を美しく見せる才能を持った人もいますね。そうすれば、救済なんてしなくっていいってことになるんです。こうした善良な理想主義者には、不幸な他人の存在が糧となってその喜ばしい時間が獲得できるのです。彼らにとってそれは無難な休息という芸術を装った慈善的な感情の発露です。しかしそれは同時に、多くの不幸を食い物にする悪党たちが稼ぐ機会を与えている、そういうことになってしまいます。実際に彼らの感傷の結果は、植民移民を多く生み、海外債券発行の暴利と植民地戦争を生んでしまいます。それが博愛と言う名の慈善活動が及ぼすものと言えるでしょう… 涙なしでは語れないそれが今の時代と言えませんか!… まったく潤いもなく、救いも観えないそういう時代です… ピエール・アンプだったでしょうか。両極端が一つになってもだれも不思議とも思わない、現実がそうなのです。教会が酒場を営んで、病院は売春宿を造るという… 彼らは人生を二つの部分の分けました。一つでは文明、進歩、民主主義が議論して、もう一方では、世界の全未来に搾取と卑劣な破壊、人種の毒殺、アジアとアフリカの他の人種の絶滅を進めています… そうした彼らは、マズロワの言葉に感動し、ドビュッシーの柔らかなハーモニーのなかで午睡を貪るのでしょう… でも目覚めるときは注意なければならないでしょう! 周りでは猛烈な憎悪が溜まりはじめているんです。破滅はもうすぐやってきます。それはそれで良いでしょう! 彼らのまやかしの医学では病気の現状維持することしかを求めていないからです。ほんとうは手術で病原を切り取ってしまうべきなのです」
「そうすれば、病人は生き残れるんでしょうか?」
「ええ、ぼくは病を取り除きます。病人には辛いこともあるでしょうけど!」
 なんて奇抜な考え方なのだ。アネットは微笑んだ。フィリップはそれを横目で見つめていた。

つづく

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