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夏 第275回 『魅惑の魂』第2巻第2部第118回

 ところがそれから数週間が経ったき、ルースのほうから彼女を訪ねてきた。彼女は、先日は礼を失したと謝った。そしてここまで生きてきて体験したできごとを、少し(多くはなかった)だけ話した。彼女は裕福な農家の家庭に生まれたが、パリにでて教師になる夢があった。だがそれが原因で父親と不仲になっていた。父親から自尊心を傷つけられたと知った彼女は、パリにでても父親からの援助はけっして受け取らないことを誓った。彼女は一人で生活するために、自分自身で金を稼ごうとした。しかし精神の営みの、思うならない様には根が尽きてしまった。体力はあったものの、彼女のこれまでの体験で得たものだけでは、一人で学問に挑むことは無理があった。彼女にとってそれは多くの疲労をもたらすものだった。それでも懸命に野を耕す牛馬のように苦労して本を読んでいった。その結果こめかみでは血が腫れてしまい、充血となって、本を読むことも止めねばならなかった。それは神経衰弱の初期の状態だったため、彼女は受験する予定だった教師になるための試験を断念するしかなくなってしまった。そうして個人教授の方向へと、途を変更したのだった。それからは苦労もあったが、生活ができるだけの稼ぎを獲るようになっていた。そんなときに、彼女はある男に恋をして結婚したのだった。だが(彼女はこれだけはアネットに話さなかった)、それは彼女にとって、負担を増やすだけのものだった。しかしアネットは知っていた。他からのいくつかの話を組み合わせて事実を探り出す洞察力が、彼女にはあった。この新しい友にそれとなく尋ねているなかで、彼女は夫がまったく働いていなないことを見抜いていた。男は(自称の)知識人、芸術家、そして作家だった。だが男が何を書いているかまでは、解らなかった。詩ですか?… ルースのような田舎の金持ちの娘には詩を理解できるようなセンスは、持ちあわせてはいなかった。だがルースは男が書く詩が、とても素晴らしいものに観えて、感銘すらしていた。

つづく

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