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夏 第329回 『魅惑の魂』第2巻第3部第49回

「愛するあなた、わたしはあなたに嘘をついてるの。いい勉強になったでしょ! あなた…!」
 この口にしない彼女の言葉をフィリップがそれを知ったなら、そう思う気持ちが一方で抱く恐怖とともに興味を大きくしていた。フィリップは正確な事実については何も知らなかったが、彼女の眼に嘘があることは読み取っていた。ノエミが彼を騙していたかどうかは関係なく、彼女がそのことを考えていることは解っていた。そして彼女は彼の目の中で閃光が通過するのが観えていた。彼女は彼の手で押しつぶされるかもしれなかった。だが彼は何も知らず、決して何も知ることもなかった。彼女は鳩のような気だるさを見せて眼を閉じていた。彼が声を荒げた。
「ぼくをよく観るんだ!」
 彼女には素直さを装う余裕がまだあった。彼にはそれが造られたものであることが観えてはいたが、…それに抗うようなこともなかった。
 彼は彼女を責めなかった。もし彼女に裏側を捕らえていたなら、彼女に打撃を与えたかもしれない。彼女に彼が与えられなかったもの、彼女が率直で忠実であることの期待、それは最初からなかった。彼女への好意は存在したものの存在しているだけのものだった。それでもそれがある限り、すべてが好都合に進んできた。しかしそれがもし無くなったとしたなら、別れることも自由なことだと、彼は考えていた。

つづく

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