ボリュームを一つ上げる 〜GLIM SPANKY〜
昔掛け持ちで働いていた店でお世話になったひょうきん物の先輩が去年の冬に夢だった自分の店を構えた。
なんにしても自分の考えを曲げない頑固な人だったけど、料理とお酒の知識は確かに人一倍だったし、何よりもその人はとっても楽しそうに働いていた。
「仕事するなら絶対に楽しくやったほうがいいよ、楽しいことがないなら自分で楽しくするための努力をしなきゃ。大人って言われたことをやるだけじゃダメだからな。」
当時仕事で先輩達の後ろをついていくのがやっとの思いだった。毎日毎日汗をかいたし、怒られた時は何やってんだろうと自分のことを責めた時もある。誰もが経験する大人の洗礼だ。正直楽しい時間よりも辛い時間の方が多かった気がする。
そんな僕の姿を見て先輩がかけてくれた言葉だった。
その言葉を聞いて僕はまかない作りをこれでもかと言うほど毎回変わったテイストで作るようにした。
「なんだよこの料理!」「うまいけど全然足りねーわこんなんじゃ!絶対すぐに腹減る!」
はぁ、文句ばっかり言う人だ。
でも、そんな文句が先輩とのコミュニケーションの一つになり、僕にとっては嬉しくて気づけばそれが楽しい仕事になっていた。
元気にしてるだろうか。
大変な世の中だからこそ、何か力になれないかなって考えてしまう。近々店に顔を出そう。
高校の時に大好きだった先生がある日を境に学校に来なくなってしまった。
若い数学の先生だった。すごく丁寧でわかりやすい授業、面白い小話。さらに、朝に剃った髭が昼過ぎになるとすぐ生えてきてチクチクし始める体質という僕との共通点まで持ち合わせている。
その人に褒めてもらいたくて苦手だった数学を猛勉強して、結果として僕は毎回クラスで必ず3位以内の場所に立っていた。
そんな先生が学校に来なくなってしまった理由を他の先生に聞いてみるとあまりにも淡白な一言。「心がやられちゃったらしい。」
そうなっちゃったのはあんたら教員達の作ったこの職場のせいなんじゃないの?と当時は思ったけど、今思えばそれだけじゃないんだろうなと思う。
情けないことにその正体は大人になってからわかった。大人になると課せられる沢山の重荷。それに耐えられなかったんだ。
そんな状況であったとしても沢山の優しさを教えてくれた先生をやっぱり僕は尊敬してる。
学校祭の有志発表でコピーバンドを組んで出た時、先生は僕のギターをすごく褒めてくれた。
仲のいい先生と生徒達で集まってお忍びでたこ焼きパーティーをした時も先生はみんなの話の真ん中に立って盛り上げてくれた。
思えば僕はあの先生みたいな大人になりたくてその影を今でも追いかけているのかもしれない。
元気にしてるだろうか。
忘れてしまったFacebookのパスワードを再設定しなおして昔のアカウントにログインしてみた、今でも教師を続けているらしい。
良かった。楽しそうだ。
保育所から中学校までの時間を一緒に過ごした2人の幼馴染。連絡を取らなくなったのはいつからだろうか。
高校はバラバラだったけど、卒業してから2人と連絡をとってたまに遊ぶようになった。カラオケルームを風船だらけにして誕生日を祝ったり、安い居酒屋にお酒を飲みに行ったり、車で海までドライブしたり。
中学校の時に思い描いてた「大人になったらやりたい事」を思い出しながら3人で満喫した。
幼い頃は意味のわからない遊びを夢中になって3人でやっていた。
秘密基地を作ったり、川遊びをしたり、なぜかおんなじアーティストを好きになったり、家に集まって何が面白いのかわからないゲームをした。その時間はもちろん楽しかった。
大人になってからは意味を持ち寄って会うことが増えた。
大人になると意味も無く人に会う事が少なくなる。子供の頃はあんなに簡単に理由もなく集まってたのに。なんだか寂しい。
でも、その2人の幼馴染のおかげで意味を噛み締めるのも大人の醍醐味の一つなんだと思う事ができた。
そうして集まって遊んでる時は子供の頃よりもなんだか楽しかった。
そんな幼馴染は、1人は農業協同組合として。1人は医療従事者として。立派に大人としての役割を果たしてる。
僕は2人と比べるとすごくか細い道を歩いてる。この状況でもまだ夢なんてものを追いかけてる。
馬鹿にされる事だってもちろんある。厨二病だとか、意識高い系だとか。心ない言葉をかけられる事は沢山ある。
日本人は冷や水を人にかけるのが大好きだ、きっとこの文化はこの先も無くならないし、この先コロナが明けた後にボコボコになっているこの日本の責務を負うのは間違いなく今の若い世代だ。なのでそんな現実の中で夢を見ている人間を冷笑する文化は確実にもっともっと増える。
それでも、いつか夢を叶えたとき、また3人で一緒にお酒を飲みたい。その時だけは意味のないことで大はしゃぎしたい。
元気にしてるだろうか。
そういえば大人になったら3人でキャンピングカーで旅をしたいねと話してたことを思い出した。その夢を叶えるためだったらキッチンカー事業を立ち上げていろんな場所を巡りながら3人でやるのも悪くないかもしれない。
ーーー
高いブランドの服を買うとか、あいつよりも給料が良いとか、襟足を伸ばすか伸ばさないかとか、
そんなことで大人になったつもりなんだろうか。
僕がこれまで感じてきた「大人」はみんなそんなもの無くてもキラキラと輝いてたよ。
そんな人たちに生かされて、そして時に感化されて僕という人間を構成し続けてきた。
自分の中の日向と影、両面を知りながら自分がそうであることを否定しない。堂々と胸を張って自分を謳歌し続ける。それが僕が思うかっこいい大人だ。
言いたいことを素直に伝えることができる先輩、優しさの強さを教えてくれた数学の先生、大人になっても意味を持ち寄って集まることができる幼馴染。
僕が思うかっこいい大人はみんなしっかり自分を持っている。
そんな人達の背中を見て、僕は大人という世界をどんな自分で歩いていきたいのか、どんな気持ちを大切にしたいのか。
似合わないカッコつけた文章でつらつらと書いてきたけど、僕の答えはすごくシンプルなものだと思う。
「あの人は今元気にしてるだろうか。」
きっとそんな感情だ。