ボリュームを一つ上げる 〜Halo at 四畳半〜
僕は音楽を聴く。
自分を構成するものの中で1番僕と付き合ってきた年数が長い、大切な存在だ。
ずーーっと寄り添いながら歩いてきて思うけれど、いまだにハッキリとした説明がつかない。
音楽の何がそんなに良いんだろう?
自分は音楽に対してメロディや歌詞といった音楽を構成する基本要素以外の価値を感じている。
でも、何をもって大切なのか、上手に言い表せない。
音楽に関する思い出は数えきれない。自分の中で強く心に残ってるエピソードがいくつかある。
高校の時、学校祭でコピーバンドを組んで全校生徒の前で披露した。
3年間ずっとスポットライトを浴びてこなかった自分が唯一その瞬間だけは主役になれた気がして、楽しさのあまり自分がわからなくなるような、はちきれそうな感覚になったのを覚えてる。沢山の人が自分の演奏で楽しんでくれたし、何よりも大好きな先生に最高だったと言ってもらえた時は本当に嬉しかった。
ステージを終えてからしばらくして、生まれて初めて誰かに認めてもらったことに気がついた。
僕は昔からスポーツも勉強も誰かに褒められた記憶がない。
ある日母が「周りの人が部活やってるからお前もやりなさい」と言った。住んでる場所が小さい地域であるが故に、周りがやってることに入れずに孤立してしまうといけないと思った親の優しさだったのだろう。
仕方なくやりたくもない部活を最後まで続けた。
勉強は好きな先生の教科はしっかりと勉強して良い点数を取るのに、嫌いな先生の教科は喧嘩腰。対策プリントを一枚も解く事なくでテストに臨んで悪い点数を取って「お前の授業はクソだから良い点数が取れないんだ」と無言のメッセージを浴びせていた。馬鹿丸出し、幼稚だ。
そんな風に過ごしたせいもあって親からも先生からも褒められたことが1度もなかった自分だったけど。たった30分、たった1回きりの体育館ステージの上で世界が変わった。
枷が外れたように自分がやりたいこと思うことを全部挑戦してみたいと思うようになった。
Halo at 四畳半の音楽に出会えたことも僕にとっては大切な音楽の思い出だ。
今から5年前、18の時。料理の夢を追いかけて田舎の家を飛び出し専門学校に入学。挑戦とは無縁な人生を歩んできた自分がこれまでで1番腹を括った決断だったと思う。
けど、一瞬で折れることになる。アルバイトで入った店でハラスメントが僕の心を殺した。
思い返してみると人生で1番苦しい時間だった。何をしていても生きた心地がしないし、「明日もまた殴られるんじゃないか」「また蹴られるんじゃないか」そう思うとベットに入るのが怖くなって3日寝れなかったこともあった。
体験談を踏まえて思う事がある、それは人を1番変えるのは間違いなく恐怖だということだ。過度のストレスで食事の味は感じられなくなり、学校にいても常に「学校が終わって、出勤するとまた殴られるんだ」という気持ちが蔓延る。何度も保健室に駆け込んでは嘔吐する毎日。
終いには授業にも影響が出た。授業で包丁を握り、数分すると具合が悪くなってくる。こんな漫画のようなことが現実に起こるなんて思ってもいなかったのでこれには流石に驚いた。
クラスの人や先生に相談してみると「お前のメンタルが弱いからだ」「しんやにあの店は少し早かったかもしれないね」と冷たい言葉が返ってきた。
確かに引っ越してきたばかりで気疲れしていた、仕事にもかなり支障が出ていたし、それにあの時は右も左も分からない青二才だ。仕事ができなくて殴られても仕方ないのかもしれない。
でも、すぐに我に返った、ちょっと待ってくれ。
そもそも。暴力に早いも遅いも無いし、暴力にメンタルもクソも無い。
当事者以外はなんとでも言えるんだ。想像力を働かせる事をやめた人間の無責任な言葉ほど稚拙なものはない。意味不明な言葉で暴力を正当化しないでほしい、暴力は暴力が確実に悪い。至極当然のことだ。
「僕には誰も味方は居ないのか。」
ぐるぐるとネガティブを巡らせているうちに僕は人嫌いになっていた。
全部どうでもいいと思った、夢も憧れも、こんなにも簡単に火が消える。冷笑も、嘲笑も、鬱陶しくて鼓膜が破れそうになった。
学校祭で少しいい気分になったからって僕のような才能のない選ばれなかった人間が挑戦するなんて、間違っていたんだ。
挑戦なんてしなきゃ良かった。出る杭は打たれるし臭いものには蓋をする。それが現実だ。
自己嫌悪に塗れながら無限に続く雑踏を1人で歩いてた時にヒーローに出会えた。
聞いた瞬間に思った。「これは僕の歌だ」
生きる事を「水槽の中にいる」と例えた歌。内容は生々しいのに歌詞の随所で優しい気持ちが見えて、不思議な歌。
現実的なのに、どこか空想的。
現実と空想の間に位置するような世界観が心地よくて、優しかった。
あの時のどうしようもなかった時の僕をの心を温めたのは紛れもなく『水槽』だった。
クラスの人でもなく、先生でもなく、親でもない。インディーズバンドの温かい音楽に救われた。
Halo at 四畳半に出会ったとき彼らはインディーズで活躍するバンドだった。今まで聞いたことのない音楽性、独自の世界観をしっかりと音楽に昇華させている。「このレベルで、インディーズ?」と、素直に驚いた。
音楽でこれほどまでに情景、哀愁、世界観を感じた事があっただろうか。聞いた瞬間に心を鷲掴みにされた。今まで聴いてきたメジャーのフィールドにいる音楽家とは明らかにベクトルが違うインディーズミュージックの作品性。
メジャーミュージックを卑下するつもりは一切ないし、メジャーにも大好きなアーティストは沢山いるという前提はしっかり片手に持ちつつ言わせてもらうと、僕はインディーズミュージックが大好きだ。メジャーという夢に向かって走っている人間の熱量が音楽に込められている。既にある形の音楽に囚われることなく、まだ見たことのない音楽を表現したいと言わんばかりの静かな気迫とアイデアが音楽に込められてる。
僕はメジャーミュージックにはまだ無い音楽を聞きたいと思う傾向が強くなり、インディーズミュージックを好んで聞くようになった。
今でも時間さえあればyoutubeやSNSで新たな出会いを求めてサーフィンを繰り返している。
知れば知るほど魅力がわかるようになったし、何より彼らをみてると安心する。変な感情かもしれないけど、僕はそう思う。
世間からの証明を浴びづらいアンダーグラウンドなフィールドで声高らかに歌うヒーローを見てると安心する。
「よかった、挑戦することって素敵なことなんだ。」
しばらくしてアルバイトを辞めた。
辞めた後、イヤホンの中のヒーローに会行きたいと思うようになり、暴力を受けながら必死に稼いだお金でライブハウスに行ってみることにした。
紛れもなく、僕が音楽に魅せられた瞬間だ。
ーーー
昨日、Halo at 四畳半は活動休止した。
活動休止が発表されたのは今年の1月。ホームページの全文を読むと、メンバーがそれぞれの道を歩く決断をしたということだったらしい。
不仲とか音楽が嫌いになったとか、そういう心が軋むような理由じゃなくて少し安心したけど、しばらく直に見る事ができないのはやっぱり寂しいという気持ちが1番大きかった。
コロナの不安が完全には拭えない以上は飛行機という密室の移動手段を使うのは流石にまずいと思い、現地で見るのは断念。部屋を暗くして雰囲気をバッチリにし、配信ライブで最後の瞬間を見ることにした。
解散ではなく活動休止だからこのライブ配信が最後ではないのかもしれないが、とりあえず現段階でのラストライブ。しっかりこの目に焼き付けなければ。
「嘘でしょう。。。」
部屋で1人、思わず声に出した。
近年稀に見るインターネット全域の通信障害で途中から配信が見れなくなってしまった。最初の1時間は調子良く写ってたのに、こんなに悔しいことは無い。
「なんで現地に行かなかったんだ。。。僕は。。。」
さっき言ったことを全て撤回し、正々堂々と掌を返させていただこう。ライブは直が1番だ。
映像が復旧するまでの間、せめて今日この時間だけはHalo at 四畳半との思い出を振り返りたいと思ってスマホの写真フォルダを遡ってみることにした。
画面をスクロールしていると一枚の写真が出てきた。バイト先の近くの商店街小路でボーカルの渡井さんが弾き語りライブをした時の写真だった。
僕と渡井さんがツーショットで写ってる。
僕は世の中に反抗期真っ只中だったので似合わない金髪の姿をしてる。こうして見ると、どの角度から見ても似合わない。恥ずかしいほどに青二才だ。
隣の渡井さんは僕のスマホケースにサインをしてくれたペンを持って写真に写っている。なんだか微笑ましい。
そういえばあの日、渡井さんは水槽を歌ってたなぁ。
そう思い出した時に涙がこぼれてきた。
Halo at 四畳半は活動休止した。
今まで好きなロックバンドが活動休止することは何度かあったけれど、ここまで自分に影響を与えたロックバンドが活動休止するのは初めてで、数日前までどんな気持ちでライブ当日を迎えればいいのか分からなかった。
未だに回線が復旧しないパソコンの配信画面。そこで生まれた空白の時間はこれまでの思い出を振り返るのに十分な時間だった。
僕という人間はあれもこれも全部ライブハウスから始まった、つまりライブハウスに連れ出してくれたHalo at 四畳半は僕のヒーローだ。
あなたがライブハウスに連れ出してくれたから、僕は1人じゃなかった。
あなたがライブハウスに連れ出してくれたから、今の仲間に出会えた。
あなたがライブハウスに連れ出してくれたから、かけがえのない気持ちと出会えた。
あなたがライブハウスに連れ出してくれたから、また人を信じられた。
あなたがライブハウスに連れ出してくれたから、もう1度挑戦しようと思えた。
代わりなんているわけがない。
今まで本当にお疲れ様でした。
ーーー
活動休止をするという発表があったあの日からHalo at 四畳半のnoteを絶対に投稿したいと思い、何度も何度も書いては消してを繰り返して今日に至る。
けれど、配信ライブを見てから今まで書いた文章を全部消してしまった。
このnoteは0から書いている。ライブが終わってから気持ちが爆発して書きたいことが抑えられなくなってしまったからだ。
パソコン画面の右上に表記されている「4175文字」という表記がなんだか誇らしい。そっか、そんなに書いたんだ。
結局あの後配信が復旧されたのは19時45分ごろ、ライブの本編はとっくに終わってアンコールがこれから始まろうとしてる時だった。メンバーが1人ずつ話をしている。
まだ見ていない方もいると思うからネタバレはしたくないので詳しくは言えないけど、4人は最後の最後までロックバンドだった。
「ロックバンドだった」という曖昧な表現を使ったのは本当にそれ以外の言葉は要らないんじゃないかと思ったからだ。
ギター持って、ベース持って、ドラムを叩いて、歌を歌って、音楽を表現するアーティストがロックバンド。
言葉の意味だけを解釈するとこんなところだけど、僕はこの「ロック」という言葉に説明がつかない魅力を感じる。
ロックの何がそんなにいいんだろう?
何をもってしてロックなのか、上手に言い表せない。
けど、それでいいんだ。
複雑な言葉はいらない、単純でいい。今日も音楽は素敵だ。
僕の住んでる街にはそろそろ夏が来る。
季節が変わる前に、春が終わる前に。あなたと一緒に歩いてきた日々をこうして書き留められて良かった。
また活動を再開するその時はこの記事を読み返して「あの時は恥ずかしいこと書いたな」って笑えたらいいな。
たとえ、選ばれた僕らじゃないとしても。あなたが名前を呼んでくれるなら。きっとこの先もどこまでも行けるだろうと思う。その手を離さぬ限り、どこまでもいけると確信してる。
この先もずっとあなたの生み出した音楽を聴きながら、限りある命を燃やし続ける。泣いてしまいそうな日には思い出すよ、あなたが照らしてくれた日々を。
イヤホンのボリュームを一つあげて前を向く。
今日は快晴だ。