子どもも大人も老人も、驚かすのが大好き
(子どもと大人は接し方を仕分けるべきだという意見に対し)
ここは、子育てや部下育成で重要になる分かれ目で。「その先」があるのを承知していても、目の前のことを見事達成できたことに「驚く」か、「まだまだその先があるんだぞ、その程度で満足してちゃいけない」と「驚かない」かで、その後の意欲が変わってしまいます。
前者だと、その先に進もうという意欲が生まれます。何かを達成したらこの人を驚かすことができる、という体験が、その先に進み、見事達成することで、ことでこの人を驚かせよう、という企みをするようになるからだと思います。
でも後者だと。
この人は、何かを達成しても驚かないんだ、その次を目指すべきだと言うけれど、きっとそれを達成しても「その次がある」と言って、驚かないんだろうな、ということを推察します。すると、子どもや部下は辟易します。いつまで経っても自分を下に見下げるだろうな、ということを察して。
これを多くの親や上司がやってしまいます。「その程度で満足するな、まだまだ上がある」と子どもや部下に告げることで、「さいですか。疲れました。もういいですわ」という反応を導きます。親や上司はその様子を見て「なぜ上を目指さないのか?なぜ私のように上を目指さない?」と考えます。
子どもや部下のやる気のなさを見て嘆く一方で、上昇志向をもつ自分の特別さを誇る気持ちが湧いてきます。これはとても甘美な感覚です。でも、子どもや部下の意欲を奪っているのは、実は「もっと先があるんだぞ」と先回りすることに原因がある。実は自分が、意欲を奪ってる元凶なんですよね。
私は何度もこの「甘美な感覚」に酔いしれ、子どもや後輩の意欲を奪った経験があります。そして自分こそが彼らから意欲を奪い、成長の芽を摘んできたのだという現実に愕然としました。
私はもう一度、人間の意欲はどうして湧いてくるのかを観察することにしました。
最も理想的な接し方は、赤ちゃんに対する母親の接し方だと考えるようになりました。母親は、赤ちゃんに対して急かすことはありません。急かしても言葉が通じませんから、ムダ。ただひたすら、立ちますように、言葉を話せるようになりますように、と祈り、待ち続けます。そしてその瞬間がきたとき。
驚嘆します。「いま、立ったよ!」「今の、ママって言ったよね!」恐らく赤ちゃんは、どこかでこの体験を覚えています。親が驚き、喜んでくれたことを。
幼児は「ねえ、見て見て!」が口ぐせです。これは、自分の成長で驚かせたいから出てくる言葉だと思います。そしてそれに驚きの声を上げると。
子どもはますますハッスルして、次のステージへと進もうと意欲をたぎらせます。これと同じように部下育成すると、スタッフも「さらにその次へ」と意欲をたぎらせることがわかってきました。「先回り」ではなく「後回り」したほうが、むしろその先に子どもや部下は進もうとするようです。
先回りすることは、先に進むことができた喜びを横取りする行為なのだと思います。「お前はまだそこなのか、オレはもうさらにその先に進んでるぞ」と。それでは、後続の人間は面白くありません。自分も努力して先に進んだのに、その度にその先に進んでいる人間から誇られるのが腹立たしくて。
だから私は「後回り」します。たった今、相手が達成したことに驚き喜び、ハイタッチします。でも、その先に進もうとするのかどうかは、相手に委ねます。そして先に進もうとする意欲を見せたときに驚き、再び何かを達成したときに驚きます。すると、ズンズカ先に進むようになります。意欲的に。
「先回り」しても、意欲を奪わない存在は、いることはいます。世間がこの人は第一人者だと認め、崇めている人物です。その圧倒的位置にいる人が「御前はまだまだだ」と言っても、「そりゃそうだろうな」と思うだけで傷つきません。むしろ、そんな尊貴な存在から声をかけられた光栄に喜ぶくらいです。
でも、多くの人は、私も含め、そんな尊貴なそんざいではありません。卓抜した存在ではありません。近しい人が尊貴な人間のフリをするのは滑稽になります。それがわかったので、私は賢いフリをするのはやめました。むしろ「後回り」し、驚くようになりました。
すると子どもたちも学生もスタッフも、みなさん先へと進むようになりました。驚きです。私はただの驚き屋。私が先へと勧めることをやめ、相手が勝手に自主的に進もうとすることに驚きの声を上げていたら、どんどん前に進むので、驚きです。だから私は、先回りを戒め、後回りするのだと思います。
これはどうやら、高齢者になっても同じなようです。介護を必要としているのに、暴力的で扱いに困っていた高齢者。これに、ユマニチュードの使い手が接しました。その人は高齢者の目を見て笑い、遠慮しつつも「あなたに興味津津」といった形で近づいていき、高齢者の手のひらを自分の手に乗せました。
そして高齢者が指を動かし、手を少し握る感じを見せてくれると、ユマニチュードの人は驚きと喜びを目にたたえ。するとご老人はだんだんと表情が柔らかくなり、その変化にその都度驚きの表情を示し。すると、誰にでも暴力的で手がつけられないと思われていたその高齢者は。
その人物が立ち去ろうとするとき、自分で立ち上がろうとし、Vサインして別れを告げました。
ユマニチュードという介護の技術も「驚き」をベースにしています。そして「驚き」は、高齢者の意欲をも高めるもののようです。こう考えると、「驚く」は年齢を問わず、意欲を引き出すようです。
先回りしないこと。後回りして驚くこと。これは恐らく、子どもから高齢者まで、意欲を掻き立てる原則のように思います。人間は恐らく、死ぬまで人を驚かせたい生き物なのだと思います。