自分を牢獄に押し込め、自分で自分の牢番をしていた若い頃
哲学・思想本が重版になったことで、私が出させて頂いた本の重版率は83%に。6冊ある拙著の中で重版していないのは唯一「思考の枠を超える」のみ。この本は実に可哀想な滑り出しだった。原因は新型コロナ。なんと発売日に外出自粛要請。全国の書店が休業。 https://www.amazon.co.jp/思考の枠を超える-自分の「思い込み」の外にある「アイデア」を見つける方法-篠原-信/dp/4534057717/ref=pd_aw_sim_hxwPO1_sspa_mw_detail_m_sccl_2/356-6969291-1864212?pd_rd_w=AaU0i&content-id=amzn1.sym.79bc41f3-2833-44ed-a262-049be8aa1b2d&pf_rd_p=79bc41f3-2833-44ed-a262-049be8aa1b2d&pf_rd_r=N68NC50VMR5J1W9NDH0M&pd_rd_wg=px9zP&pd_rd_r=496451dc-e1d6-4987-8945-76381e645d28&pd_rd_i=4534057717&psc=1
発売日には、書店の目立つ場所に陳列される予定になっていた。しかし誰も外出しない、そもそも書店もみんな閉まってるという状況で、販促もクソもない。外出自粛要請が解けた時には販促期間終了。一度も書店の目立つ場所に陳列させてもらえる機会がないままに終わったのは、私の本では本書のみ。
そういう非常に不運な本な割に、評価は悪くない様子。古本の最低価格は740円とかなり高め。人気のない本は1円とかになることがあるけど、本書は発刊して5年になろうというのに中古の値崩れが起きていない。読んだ方が手放さずに手元に置いておこうとしてくれてるからではないかと思う。
出版社によると、本書は重版こそまだだけれど、すでに黒字化はしているという。最悪なスタートを切った割には、それなりに読んでもらえてる様子。まずまず、よかった。
さて、本書の内容だけど、この本は私が最初に書いた部下育成本、次の子育て本の「基礎」を著したものになる。
私は今でこそ、部下育成とか子育てとか、人間に関することをいろいろ発言してるけど、若い頃は極めて不器用な人間だった。カスミがかかったように物事が見えていなかった。目の前で起きてるのに、他の人が感づいていることを、私は気づくことができなかった、超鈍感男だった。
私が変わったきっかけが2つある。教育実習と阪神大震災。
私は塾を始めてすでに5年になっていたが、子どもをどう指導したものか、頭を悩ましていた。子どもたちが何に困っているのかを察知することができない。だから何をしたらよいのかも見当つかない。目をつむって指導してる感じだった。
さて、教育実習では通常、指導案というものを作り込む。それを指導してくださる先生に見てもらい、十分に練り上げてから授業に臨むのが普通。ところが私を指導してくださる先生は、私が塾を主宰してるからということで一任してくださった。それに甘えて、あろうことか指導案も作らずに授業に臨んだ。
黒板に熱力学方程式の解き方の見本を見せた。見せるつもりだった。ところが教科書の答えと合わない!事前に準備してないからとこで間違ったのかわからない!いつもの私なら、ここでパニックになる。自分はできるフリ、有能なフリをしようとして、取り繕うことばかりをムダに考えてしまうクセがあった。
しかし、わずかな期間で終了する教育実習でジタバタしても始まらない、という諦めが、以前から感じていたある「仮説」をとっさに試してみる気にさせた。自分を立派に見せようとせず、ありのまま、だらしなく間抜けな自分をさらけ出したほうが子どもたちをうまく指導できるのではないか?という仮説。
私は「あら、どこが間違ってるのか分からんわ。なあ、どこ間違ってる?」と、生徒たちに聞いた。クラス中がざわめいた。現役京大生違うん?この程度の問題、お茶の子さいさいなん違うん?そもそもまだ習ってない生徒に聞くことか?という戸惑いが生徒たちの中に流れてるのを感じた。
左の奥の方で隣とヒソヒソ話してる生徒がいたので「なあ、そこだけで話してんと、とこが間違ってそうか、教えてくれへん?」と頼むと、「あそこで間違ってるような気が」。「え?ここ?」さらに間違えて迷宮入り。別の生徒が「違う違う、そうじゃなくてこうしたほうがいいんじゃ」と指摘。
「ほうほう、こうかいな?」というと「いやそれだと」とまた別の生徒が。何だか、生徒たちが主体的能動的に黒板の上の難問を一緒に考えてくれる雰囲気になってきた。
悪戦苦闘し、終業まであと少しのところで、なんとか正解に導けた。「解けた!拍手!」クラス中から万雷の拍手が!
あまりのどよめきと歓声に、隣のクラスの先生がビックリして覗きに来たほど。
その後、そのクラスは定期テストで熱力学方程式が全員解けていた、と教えてもらった。生徒たちからもらった色紙には、「3年間で一番面白い授業でした」と書いてくれている生徒もいた。この体験は、私には転機となった。
それまでの私は、生徒たちから自分がどう見えているかばかり考えていた。自分を取り繕うことに忙しく、生徒たちが何を感じ、何を悩んでいるのかを感じとるゆとりさえ失うほどに。外面ばかり飾ることに一所懸命だった。
教育実習では、自分を取り繕う事を一切やめた。自分がどう見えるかなんて忘れた。
すると、生徒たちが見えた!生徒たちがいま、何を感じ、どう考えているのか、感じとることができた。もちろんそれが合ってるのかどうかはわからない。しかし、「自分は他者からどう見えるのだろう?」ばかり気にしていた時には感じることさえできなかった感覚が、急に五感を通じて飛び込んできた。
そして、生徒たちの感情の変化、思考の移り変わりに身を委ね、自然と湧いてくる「こう声をかけてみてはどうだろう?」という心の声(無意識が提案するアイディア)に従って行動してみると、生徒たちと有機的につながり、流れながら授業を進める感覚になった。それは初めての感覚だった。
私はどうやら、それまでの人生で、自分で作り上げた牢獄の中に閉じこもっていたようだった。自分の意志通りに完全に自分を制御しよう、完璧にコントロールしようとしていた。自分自身が牢獄の看守となり、自分という囚人を監視していた。そうすることで品行方正で立派な自分を形成しようとしていた。
でも、本当の私は弱かった。だらしなかった。情けなかった。それがバレるのではないかと不安になり、必死になって外面(そとづら)を飾ることばかりに忙しく、それ以外のことは見えもせず、感じ取ることもできなかった。カスミがかかったように物事が見えなかったのは、自分を飾ることしか考えなかったから。
ただ、必死に自分とはどういう生き物か、ということをメモし続けた結果、等身大の自分は実にちっぽけで、外側を飾る値打ちもないほどだということがわかってきていた。でも外側を飾る習慣から抜け出す事ができず、途方に暮れていた。その習慣を、教育実習で断ち切ることに成功した。
もう一つの体験が、阪神大震災。ここでボランティアをしたのだけど、実にものの見事に、社会的地位とか学歴とか有名人かなどといった「外面(そとづら)」が全く役に立たなかった。被災者に役に立つことができるかどうか。ただそれだけが重要だった。
裸の自分で、素の自分で何ができるのか。それだけを考えて行動すればいい。外側を飾ることばかり考えてきた私が、他人からどう見えるかばかり気にしていた自分が、「そんなことどうでもいい、被災者のために、被災地のために何ができるのか?自分がどう見えるかなんて知ったことか!」と思えた。
あるボランティアが面白いことをいった。「おれ、たった今死ねたら、無茶苦茶カッコいい」。彼は震災前まで、自分のことばかり考えていたという。他人からどう見えるか、少しでもよく見えるようにと利己的なことばかり考えて生きてきたという。被災地に向かう道中でも、自分は偽善者だなあと嫌悪感。
ところが被災地の惨状を目にして、全てが吹き飛んだ。何だこれは!何をすればいい?一体自分に何ができるのか?頭が真っ白になって、必死になって走り回った。2週間ほど経って、自分がどう見えるかなんて一切気にもせずに他者のために駆けずり回ってる自分を発見して、驚いたという。
自分の中にこんな美質があったのか!自分の利益なんか一切考えず、他者のために駆けずり回ることだけで頭がいっぱいになることが、自分にできるのか!生まれて初めて自分を肯定できた!でも都会に戻ったら、また自分のことばかり考える自分に戻ってしまう。だからこそカッコいい自分のまま死にたい。
私は、その発言にいたく共感した。
私自身、西宮北口駅から神戸に向かう途中、自分を偽善者だと罵りながら歩いていた。自分を善人と認めたい自分、でも善人と思われたくて被災地に行くんだろ、お前は偽善者だ、とせせら笑う自分もいて、気持ちがグチャグチャだった。
国道を歩いていると、右に巨大な白い壁があった。そこそこ広い道なのに突然行き止まりだなんて不思議だな、と思って、その壁をペチペチ叩いていた。ところがその壁は、根本からポッキリ折れたビルが、道向うの家屋もサクッと潰す形で倒れたものだと気がついたとき、私はパニックになった。
潰された家に人はいなかったのか?このビルの中に人はいないのか?救急車もいない、誰も見当たらない。こんなことが放置されていいのか?助けなくていいのか?
私はそこから走り始めた。神戸市中を走り回り、ふとこのままでは日が暮れて帰れなくなると気がつき、西宮北口駅に走って戻り、電車に乗ると気絶。
終点にたどり着いたとき、足が全く動かせなくなっていることにビックリした。
私はそれから必死に駆けずり回った。京都の電柱に「ボランティアに行ってくれ!」と張り紙し、大学生協に頼んで救援物資を送ってもらい、テレビ局に電話して報道と実態のズレを修正してくれと依頼したり。
私もある程度時間が経過してから、自分が、他人からどう見えるかなんて気にせずに動いていた自分に気がついて驚いた。自分にできることは何かを考え、それを行動に移すだけ。自分を取り繕うことなんてバカバカしくて気にする気にもならなかった自分に驚いた。
その時、自分の五感が開いていたことに気がついた。自分を取り繕うことばかり考えていた時には見えなかった、感じられなかったことが五感を通じて入ってきて、何をなせばよいのか自然と推察できた。そしてその時にはすでに行動を始めていた。私が羨ましくてならなかった、器用な人と同じになっていた。
あ、そうか。自分が他人にどう見えるかを気にしてる時は、ありもしない「脳内世間様」の視線ばかり気にして、脳内世間様のお気に召す行動をとろうとばかりしていた。脳内世間様の視線が怖くて、現実を見るゆとりを失っていた。自分を牢獄に押し込める牢番になっていた。
自分がどう見えようが、どう思われようが知ったことか!なすべきことをなすだけじゃ!あとは知るか!となった時、驚くほど自由になった自分に驚いた。自分にこんな力があったとは思わなかった。思考がこんなにも自由になるのか、と、自分のありように自分で驚いた。なんだ、自分を捨てたらいいのか!
文章では、言語化する都合上、「自分」という言葉を多用したけど、「自分のこと考えるのアホらし。自分のこと忘れて、自分がどう見えるか、どう思われるかなんでどうでもいい。自分なんかを見つめるより、目の前のことをよく観察して、なすべきと感じたことをなせばよい」と思えるようになった。
自分のことを考えなくなる経験の2つ、教育実習と阪神大震災が、私の思考を解き放たった。もちろんそれらは「きっかけ」でしかなく、自分を捨てることができるようになるにはなお数年の時を経る必要があったけれど、「こっちに進めばいいんだ」と思えるきっかけとなったのは間違いない。
自分を牢獄に押し込める牢番になっていた二十代の私。「そんなガチガチにならなくても大丈夫だよ、もっと無意識に、そして他人に身を委ねていいんだよ」と、その時の自分に伝えてやりたい。若い頃の自分に読ませてやりたい。そんなつもりで、冒頭の「思考の枠を超える」を書いた。
実はこの本のタイトル、出版社と相談して決めたものの、ちょっと気に入らない。「思考の枠を超える」なんて書くと、小さな自分を超越した超人に生まれ変わる、なんて超能力のことを書いているかのような印象を与えてしまうのが気になった。でも内実は違う。
私が希望したタイトルは「思考の枠をずらす」。超える、超越するなんてだいそれたことをするのではなく、ほんの少し思考の枠をずらすだけで、驚くほどものごとの解像度が上がることを伝えたかった。でも、「ずらす」ではショボいということでボツに。でも私は、「名は体を表す」がよいようにも思う。
また、後で判明したことだけど、「思考の枠を超える」という言葉は、実は陳腐化していた。この言葉は言い古されていて、検索をかけるとツイッターでいくらでもつぶやきが出てくる。本書がなかなか引っかかってこない。「スーパー」という言葉が陳腐化してるのと似た構図。
本書を検索しようとしても、陳腐化したフレーズに埋もれて本書を見つけにくい、というのも、本書の不運の一つだったかもしれない。まあ、私も結局このタイトルで了承したのだから、私の責任。ただ、もし後からタイトルを変更できるなら「思考の枠をずらす」がよいかもしれない。
いつも他人の目に怯えて、自分で自分を牢獄に押し込め、自分が逃げ出さないように自分で自分の牢番をしている方がいたら、拙著「思考の枠を超える」を読んでみて頂きたい。その姿はまさに若い頃の私そのもの。若い頃の私に読ませたくて、当時の私にも分かるように書いてみた。お役に立てれば幸い。