理科・社会の学び方

中学英語を書いたので、次に中学の理科社会の学習法を。理科は電気のところで計算しなきゃいけない部分もあるけれど、4分の3は暗記と理解が必要なだけなので、まずは暗記で済んじゃうところから話を始める。

理科社会も、基本、教科書。副読本として「資料」が理科と社会にはついていると思う。まあ、これも同じように学ぶ。
さて、学び方。教科書を開く。鉛筆を持つ。そして、読める程度のペースで、文字をなぞるように鉛筆を動かす。動かすペースは一定にする。途中で止めない。

途中、よく気絶する。私はよく、心の中にチェッカーズの歌が流れた。タッチの名場面が流れた。好きな女の子の顔を思い浮かべた。そうした気絶した瞬間にも不思議なもので、鉛筆は一定の速度で文章をなぞることはできる。しかし気絶しているので文章は頭に入っていない。どうすればよいか。

気絶して頭に入らなかった箇所は「また会おう!アデュー!」ということにして、ハッと意識が戻った瞬間からでよいから、鉛筆のなぞっている個所の文字を読む。過去は振り返らない。鉛筆を後ずさりさせない。鉛筆はひたすら、同じペースでずんずん動かす。

太字で書いてある言葉は、アンダーラインを引く。物差し?そんなものを使っていたらモタモタしてしまう。きれいに書こうとせずに、「通ったぜ」くらいの印のつもりで。なんなら、チェックの点を打つだけでも構わない。

こうした「鉛筆読み」は、教科書1冊だいたい30分くらいで読み終わってしまう。鉛筆を容赦なく一定のペースで動かしているから、覚えられるはずがない。覚えられるはずがないのだが、さあ、また2回目の鉛筆読みをやってみると。

あれ?見覚えがある!というページに何度も出くわす。あ、この言葉覚えている!というのにも出会ったりする。「あ、ここで心の中に音楽が流れて気絶したところだ」「あ、ここは好きな子の顔が思い浮かんで気絶したところだ」というのも思い出す。今度は慎重に意識して読むことができる。

3回目の鉛筆読みをすると、もうはっきり、覚えてしまった言葉がいくつもあることに驚く。驚くと同時に「意外とオレの記憶力、大したもの?」という嬉しさがある。こうした嬉しい驚きがあるからか、3回目の鉛筆読みともなると、かなり集中力が増す。気絶することが減ってくる。

5回鉛筆読みすると、かなり頭に入ってくる。定期テストの範囲だけを5回繰り返し鉛筆読みすると60点は固い。10回鉛筆読みすると80点前後の点数になる(計算が必要な内容を除く)。受験の場合、教科書全体をともかく何度も何十回も鉛筆読みを繰り返す。

この鉛筆読みの方法は、理科社会なら高校の内容でも十分(計算の必要な物理と、化学の一部を除く)。私は教科書の鉛筆読みを中学、高校ともに100回はやっていると思う。これで90~100点採れる。

なぜ鉛筆読みは有効なのだろう?それは恐らく、「覚えられるはずのないペースで鉛筆を動かして読んでいるのに、意外と見覚えくらいはできるようになる」という驚きと喜びの効果なのだと思う。
勉強の苦手な子は、暗記しようとすると、1個の言葉を何十回も繰り返し口にしたりする。

しかし別の場所でもまとめたように(https://note.com/shinshinohara/n/nab00da2b2762) 、知識とは「知の織物(知織)」であり、そのほかの様々な言葉とのつながりのネットワークの中で位置づけないと、私たちは覚えられないし、理解もできない。しかし勉強の苦手な子は、「それだけ」を覚えようとする。だから覚えられない。

教科書の鉛筆読みは、いやおうなしに文章の中に埋め込まれた状態で重要単語を読むことになる。最初は音読熟語ばかりで何を言っているのやらさっぱりだった文章も、鉛筆読みを何度も繰り返すとなんとなく意味が分かってきて、それぞれの用語がどうつながっているのかも見えるようになってくる。

それに、鉛筆読みは「映像的」でもある。ページを見開いたとき、「あ、右肩にこの写真があるページに、この言葉があったのを覚えている」ということにしばしば気がつく。それが嬉しい。重要単語を、ページ全体の映像と組み合わせて頭に入るので、記憶しやすくなる。

「読書百遍意自ずから通ず」というけれど、実際、そんな面がある。しかし、鉛筆を一定のスピードで動かす、ということがないと、私たちは知らない単語に出会った途端、理解できない言葉に出会った途端、立ち尽くす。そしてこれは何だ?というところで戸惑い、ついに「俺はダメだ」になる。

鉛筆読みは、立ち止まらずにズンドコ前に進むアシストをしてくれる。分からなくっていい、覚えなくっていい、という気楽さを、鉛筆が保証してくれる。だから気楽に鉛筆の先の文字を読むことに集中しやすい。分かろうが分かるまいが、鉛筆は前に進んでいく。

鉛筆読み1回目、2回目、3回目・・・と繰り返すことで、薄く理解のレイヤーを重ねるように、少しずつ理解が深まる。鉛筆読みは、暗記物に非常に有効。

なお、小さい頃から優等生で東大京大に合格したような人にこの鉛筆読みの話をすると、どうも話がかみ合わない。「論理的に筋道立てて理解したほうがいいに決まっているじゃないか、理解もせずに暗記するなんて邪道だ」と、鉛筆読みを否定する人が結構多い。

「優等生」は、小さなころから歴史ものや科学ものの本を沢山読み、テレビ番組も好んで視聴し、中学高校の教科書に書いてあるようなことはあらかたすでに知っていることだったりする。こうした人たちは、あとは筋道立てて整理するだけ。だから「理解」の話になってしまう。けれど。

定期テストでよくて70点、それ以下の点数の生徒は、そうした予備知識がないことが多い。理科社会で習う言葉がすべて「はじめましてこんにちは、変わったお名前ですね、聞いたことがなくて覚えにくいです」という感じ。アフリカの人の名前は耳慣れないことが多いけれど、それに似ている。

そもそもそうした生徒は、音読熟語に慣れていない。「直結」「関連」なんていう言葉自体、初めまして状態。聞いたことのないアフリカの言葉でつづられているのと大して違わない状態だと思った方がよい。理解する以前の問題。聞きなれしていない。

鉛筆読みで教科書を何度も読むと、「あ、ここでも『消費』って言葉が出てる」「あ、『反応』ってさっきもでていたな」ということに気がつくようになる。すると、どういう使われ方をしているのかが分かり、言葉の意味も飲み込めてくる。理解が次第に進む。

教科書に書かれている内容を、脳内で形成されていく知識ネットワークとして転記されていく。ネットワークの継ぎ目(結節点)のところに重要な言葉がおさまり、それぞれの言葉がほかの言葉とどう連関しているのかがだんだんと見えてくる。それが鉛筆読みのよいところ。

80点未満しか採れない生徒は、この鉛筆読みを10回やってみるとよい。定期テストならこれで80点は採れるようになる。受験なら、30回読めば8割近く、50回読めば9割近く採れるようになる(計算が必要な問題を除く)。

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