音読み熟語はお経のようなもの

前にも書いたけど、「勉強できない子」はまず、音読み熟語がわからない、というところでつまづいていることが多い。何を隠そう、私自身がそうだった。そして塾で指導してきた感覚だと、公立中学で偏差値55以下は音読み熟語が苦手。偏差値50以下だと、それが出てきたら思考停止。

私自身、中学一年の最初の方でつまづいた。

「絶対値」

何それ?絶対って、絶対ダメ!とか絶対イヤ!とかに使うよね?何が何でも、っていう意味だと思うけど、「値(ち)」って何?値段のこと?わけわからん!

「整数」「素数」?何それ?整理整頓された数?素っ裸の数?何を言ってるのかさっぱりわからなかった。そもそも「かず」って読めばいいのに、「正の数」も「せいのすう」って読むし。それに、正しい数って何?え?負けた数って何のこと?なんで「ふのすう」って読むの?

小学生の間、ほとんどの子どもは訓読みの世界に生きている。小学校の先生も、子どもが音読み熟語が苦手なのを直感的に理解して、あまり使わないようにしてるし、教材も音読み熟語はさほど出てこない。ところが中学校に入ると、遠慮会釈なしに音読み熟語のオンパレード。

正にはプラスの意味が、負にはマイナスの意味がある、ということになかなか気づかない。だって、小学校で「正」の字をたった一つで使うことなんてなかったし、正義の意味位にしか思わなかったし。そんな用法を知らないのに突然当たり前のように言われて戸惑うばかり。

英語でも、何の解説もなしに「三人称単数」なんて言われて面食らった。いや、heとかsheとか一人でしょ?なんで三人なの?単数って何?単純な数ってこと?意味分からん!ってなった。音読み熟語は、出会ったことがない言葉ばかりだから意味不明だった。

勉強できない子でも「自分のこと」「目の前の相手のこと」「それ以外の」と言うと、一人称、二人称、三人称の意味が分かる。しかし音読み熟語をいきなりぶつけられてもワケがわからない。単に1人、2人、3人と数が増えてくだけに感じて、混乱する。

音読み熟語を理解するには、それまでの訓読みの世界の感覚を捨てなきゃいけない。私は長いこと「素数」の「素」が、素っ裸などの訓読みの世界のイメージを引きずって理解できなかった。「素」という字が、これ以上分けることができないいちばん小さなもの、という意味の字だと知ったのはずいぶん後。

大人になると、さすがにこれらの言葉を聞き慣れて、当たり前のように音読み熟語を使いこなすようになってしまう。それらの言葉は常識だと感じてしまう。しかし過半の子どもたちにとって、音読み熟語は異世界の言葉。聞いてもチンプンカンプン。

中学生を指導する人は、もしかすると子どもたちにとって音読み熟語が「お経」みたいに聞こえてるかも、と考えて指導した方がよいように思う。大人でも「照見五蘊皆空度一切苦厄」とお経を読むことがあっても、意味を追いかけられる人はごくごく少数だろう。音読み熟語は、子どもにとってお経。

音読み熟語がわからない子には「翻訳」が必要。「自分のことを一人称って言うねん。なんでそんな難しい言い方するかって?いや、呼び名が長いの面倒やからやない?んで、目の前の相手、あなたとキミとかいうやつな、それ、二人称って言うねん。その他のんが三人称。難しい言い方やんなあ。ま、慣れて」

「2は2と1で割れるな。3は?3も、3と1で割れるな。そんな風に、自分と1だけで割れる数、探してみようか。
4は?あ、2でも割れるな。違う。じゃあ、6は?2や3でも割れるな。違う。じゃあ、13は?そう、これはアタリ。こういう数字、なんて呼ぶことにしたか。素数って言うねん」。

訓読みの言葉で、実例挙げながらその言葉の中身を伝える。そして、音読み熟語を「難しいよなあ、まあ、慣れて」と慰めながら、少しずつ慣れてもらう。こうした翻訳作業を粘り強く続けてると、音読み熟語が苦手だった子も、理解できる。しかしこうした翻訳過程がないと、非常に高いハードルになる。

学年最下位クラスの子を4人見たけど、どの子もそこそこの成績まで上がり、音読み熟語も嬉しそうに使いこなすようになったので、要は慣れだと思う。いろんな事情で訓読み世界の外に触れることがないと、音読み熟語は外国語。でも外国語も聞き慣れれば使いこなせる。入り口での翻訳、大切。

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