男女の別なく深刻化する孤老化の問題
女性宇宙飛行士となった山崎さんの夫の手記を読んだことがある。山崎さんが宇宙飛行士になれるよう、専業主夫になったけど、自分の名前を呼んでもらえず、「山崎さんのダンナさん」「○○ちゃん(娘)のお父さん」としか呼んでもらえなくなったという。すると。
精神的に非常に不安定になったという。それまでは自分も会社に所属して、どこの部署の何々さん、と、自分の「座標」を確認でき、人とのつながりも直接的に感じることができたのに、妻と娘を通じてしか社会とつながれず、自分の座標を見失い、宇宙空間に放り出されたような不安な感覚になったという。
家族がいてもそれだけ不安定化するのに、もし独り身だったとしたら。誰でも不安定になって不思議ではない。まだ働いているうちは会社の中で自分の座標を確認できる。しかし定年退職し、社会とのつながりを失うと、自分の座標を確認することは非常に困難になるだろう。
孤独な高齢者が増えている。子どものイベントに、やかましいと怒鳴り込んできた高齢男性の話を紹介したが、その人も孤独な人なのではないか、という気がする。孤独だから子どもの声が耳につくと、もう気になって仕方なくなるのかもしれない。で、我慢できなくて怒鳴り込んだのかもしれない。
耳鳴りの少なからずが、自分の血流の音だったりするという。通常、自分の血流は脳がキャンセルし、感じないようにしているのだけど、ふとした拍子で血流が音として聞こえると、どんどん気になって、ついにやかましくて他の音が聞き取れないようになってしまうという。
耳鳴りの治療は、「気にしない」ようにすることだという。気になり、耳をそばだてるから自分の血流ばかりに耳を傾け、それしか聞こえなくなってしまう。しかし他のことに集中していると、不思議と耳鳴りはおさまる。集中していることに聴覚も集中するので、血流の音を脳がキャンセルするから。
子どもの声が気になる原因の一つは、孤独なために耳障りに思い、気になるからよけいに耳をそばだててしまい、よけいにそれしか聞こえなくなるためかもしれない。自分の血流に耳を傾けるから耳鳴りが酷くなるのと同じ構造なのかも。
もし子どもと縁ができて、「ああ、あの子の声か、元気だなあ」と微笑ましく聞ける心理があれば、恐らくさほど耳障りにも思わずに済むのだろう。子どもと縁がなく、縁を作ることもできず、ただ見知らぬ何かの騒音としか認識できない関係に置かれているために、騒音と感じるのだろう。
独り身の老人は、男女の別なくこれからますます増える。団塊ジュニアは独身も多い。これから二十年もしないうちに、孤老は増えていく。自分の座標を確かめたくてもできない孤独な老人はますます増えるだろう。そうなれば、一定の確率で「正義」を振りかざし、怒鳴り込みにくる孤老は増えていくかも。
なるべく孤独を感じずに済む社会を再構築できるだろうか?怒鳴り込みにくる高齢者の話をしたら、排除すればよい、というご意見も多かった。しかし排除すればますます孤独は深まる。孤独が深まれば、さらに精神が不安定化し、突飛な行動をとる人が現れる確率は高くなるだろう。
昔の祭りはそうした装置だったのだろう。引っ越してきた人に「だんじりを引けるか?」などと誘い、街のイベントに巻き込んで、孤独を感じずに済むように、街のネットワークの中で自分の座標を感じられるようにしていたのだろう。しかし今は。
多くの街が「ただ寝る場所」になっている。人間関係のネットワークは、電車で何駅も離れた場所の会社にあって、住んでる家は寝るだけの場所。ご近所との人間関係は希薄という人が多い。会社の人間関係が切れると、孤独に陥りやすい。
誰もが自分の座標を感じ取れるような社会を取り戻せるか。その問題に手を付けないと、近い将来、孤老の問題は日本でかなり深刻なことになるだろう。
でも他方、この問題をよい方向に転じれば、日本の大きな力になる可能性がある。誰もが人間関係のネットワークで座標を感じられる社会。
そのためにはどんな工夫が考えられるか。皆さんのお知恵とお力をお借りしたい。