「母親が9割」そんなことはねえ!

佐藤ママの子育てセミナーのチラシが。Zoomで900人までOKだという。大人気。
プロフィールによると「決定版・受験は母親が9割」という著作があるらしい。このタイトルを見て思い出した。私が子育て本を書く際、「『子育ては親が9割』ってタイトルはいかがでしょう?」と提案された。私は言下に断った。

「子育てにおける親の役割は、せいぜい3割でしょう。子どもに関わる人達には、学校の先生、部活の指導者、友達や先輩、ご近所の方、親戚などがおり、それぞれに子どもたちに関わってくる。その人たちに育ててもらうのですから、9割などとはおこがましい」と答えた。今もその考えは変わらない。

佐藤ママの話は夫の影が非常に薄いというか、ほぼ透明人間だけど、ご自身は専業主婦だったというし、ならば夫はいるわけで、必ず父親としての影響があっただろう。学校の先生や同級生、ご近所の方々、親戚、様々な人たちが子どもに関わったはず。「母親が9割」なんて私はウソだと思う。

ではなぜ「母親は9割」などと銘打ったのか。恐らく、受験熱にとりつかれた教育ママの貢献感、自己満足をくすぐるためだろう。自分が献身したから子どもがトップ校に進学できたのだ、という成功ストーリーを夢見るお母さんたちの心に響くのかもしれない。しかし、それは大変な害悪。

教育ママは他の人の意見に聞く耳を持たない傾向を強く感じる。子どもが息詰まる様子を見せてるので、もう少し休ませた方が、とアドバイスしようとしても「こうしている間にも同級生は」と、競争に敗れるのを恐れ、子どもの尻を叩いてばかりの母親をずいぶん見てきた。周囲に耳を傾けなかった。

周囲の意見を排除することによって、結果的に「子どもへの影響力は9割」になってしまっているケースをよく見る。そして私に相談に来るケースはだいたい行き詰まってからだからかもしれないが、母親一人にとりこまれた子どもは全員、窒息していた。

私が思うに、佐藤ママのマネをして成功できる家庭は1割に満たないと思う。残り9割は何らかの屈折を抱えることになり、そのうちの3割くらいは深刻な家庭崩壊につながりかねない状態になっているのではないか、と感じる。誰か統計を取る形で調べてもらえないだろうか。

「すくすく子育て」なんかで時々紹介される佐藤ママの発言は、参考になることが述べられてるな、とは思う。しかし「母親が9割」というところが根本的に問題だと思う。たとえ受験に限った話としても9割は盛りすぎだし、佐藤ママのマネをして道を踏み外した家庭の事例が少なからずある。

受験においても、母親が関われるのは最大で3割というところだと思う。他の人達のフォローなしに子育ては成立しない。同級生や学校の先生らの好意的なアプローチなしに子育てできるわけがない。なのにそれを1割とみなすところが傲慢不遜のように思う。ならば周囲が険悪な関係性で成功できるだろうか?

無理だ。父親の、親戚の、先生の、先輩の、友達の、ご近所の、あるいは見ず知らずの第三者が、子どもたちに適切良好な関係性を築いてくれるから子育ては成立する。母親がいくら踏ん張ったところで、それらの関係性が劣悪ならうまくいくはずがない。まさに「おかげさま」なのだから。

私とYouMeさんは、自分たちが育てたなんておこがましい、ご近所、学校の先生方、子どもたちの同級生やその親御さん、一度すれ違うだけの見ず知らずの人も含めて、皆さんが子どもに適切に対してくれるから子どもは育つのだ、育てて頂いているのだ、と考えている。それらのサポートなしは考えられない。

子育てにおいて、親が果たせる役割はせいぜい3割。もちろん、基礎の部分だから非常に重要ではある。でも、残り7割はいろんな方々のサポートなしには成り立たない。育てて頂いている。その感謝は必要なことのように思う。しかし「受験は母親が9割」という考え方は、

自分以外の人たちのサポートを全く無視し、自分の貢献だけを高く評価する傲慢さが見える。佐藤ママがどれだけいいことを言っていても、手柄を全部自分のものにするための手段でしかないのなら、その目的が非常にまずいし、何より傲慢。そんな傲慢な母親に育てられて、

子どもが社会に出ていった時、どんな勘違い人間になってしまうのだろうか。母親を反面教師にして健全な精神を持てればいいが、母親の傲慢さを生き写しにした場合(つまり他者の貢献を無視し、全部自分の手柄にしてしまう場合)、健全な関係性を構築できるのだろうか。そこが心配になる。

何より、受験に全精力を注ぎ込み、他者からの介入を排除することを裏メッセージで伝える「母親が9割」という言葉を真に受けた人は、子どもの訴えを聞かず、ひたすら受験に邁進するよう尻を叩きがちな気がする。しかも、「受験」に力点を置く時点ですでに過ちが起きている気がする。

「遊び」は大変な「学び」。子どもの頃はできるだけ遊んだほうがいいのはもちろんだが、大人になるまでも、そして大人になってからも遊び続けることで学び続けることが大切だと思う。しかし受験にかまけるとどうしても「学び」ではなく「勉強」になってしまう。

何より、「母親が9割」なんて気構えでこられる母親って重くないだろうか?思春期の子たちからしたら面倒で仕方ないだろう。卓球でトップ選手になった人が、母親から「私が指導したから」と手柄顔で言うのを、ひどく嫌がっていたのがテレビで映っていた。これが通常の子供の反応だろう。

子どもからしたら、自分が頑張ったわけだ。ところが「母親が9割」などと思われると、自分の手柄は全て母親に持っていかれることになる。こんな腹立たしいことはない。受験は本人の頑張りでしか成立しない。母親ができるのはそのサポートまでだ。

子どもは、自分の頑張りで自分が成長したのだということを、親に認めてほしいものだと思う。なのにそれがほぼ全て母親の頑張りで子供が成長したのだと読み替えられてしまう。これは子どもにとって非常に残念だし 、腹立たしいことだと思う。

「母親が9割」は、母親が強い承認欲求を抱えていることを示す言葉だと思う。しかし親になったら必要なことは、自分が承認する側に回ること。承認欲求を満たそうとする役回りは子どもに譲り、自分は子どもの頑張りを承認する側に回ること。それが大切なのに、タイトルがおかしい。

繰り返すが、佐藤ママは、部分部分はとてもよいことを言っている。しかし、それらが全て「母親が9割」という、母親自身の承認欲求を満たすための「手段」でしかないのなら、まずはその「目的」を根本的に改めないと、「結果」もおかしくなってくるだろう。

「「子供を殺してください」という親たち」という漫画がある。これは押川剛氏が体験した実話に基づいているそうなのだけど、教育熱心な親によって潰された子どもの話が登場する。そしてこの漫画を描いている鈴木マサカズ氏は、「教育虐待 ―子供を壊す「教育熱心」な親たち」という本も書いている。

佐藤ママ自身は、子どもが自発的に学ぶ環境を整えることが大切で、子どもに強制したりするような指導はご法度、ということを訴えてはいる。だから、そうした漫画で描かれている親たちとはアプローチが違うのは確かだと思う。しかし残念なことに、根本の心構えが同じだというところに危険性がある。

その心構えとは、
・子育ての9割は親次第だと考えていること。
・そのために子ども自身の頑張りを自分の手柄に読み替えてしまいがち。
・自分が頑張れば子どもも頑張ると考えがちで、そのために子どもが怠けると「こんなに私が頑張っているのに」子どもを責めがち。
・恩着せがましい。
などの特徴。

「母親が9割」というタイトルに引かれて本を手に取った人は、いくら本の中に立派なことや、タイトルに反するような教訓が書かれていたとしても、「そう、母親である私の頑張りで子どもはどうにでもなる」という目的の手段でしかなくなってしまいかねない。これが有害。

頑張るのは母親ではなく、子ども。でも、本来「頑張る」という言葉も、私は微妙に思う。阪神大震災の時、多くの被災者が「頑張れ」と励まされたのだけど、「もうすでに精いっぱい頑張っている、これ以上何を頑張れと言うのか、もう疲れた」といった話が残っている。

「頑張る」という言葉は、字面から感じられるように、一時的な気の張りによっていつもより何割か増しに頑張ることだ。だから頑張りは長続きしない。できない。頑張り続けると心が疲れてしまい、動けなくなってしまう。マジメな人が鬱になるのは、たいがい頑張り過ぎたから。

で、「母親が9割」と考えたお母さんの応援を受けて、小さな子は最初、素直に一緒に頑張ろうとするだろう。お母さんに認めてほしくて。でも、いつか疲れてしまう。頑張れなくなってしまう。子どもであっても、「頑張れ」ばかりでは鬱になってしまいかねない。

でも、「母親が9割」を真に受けてしまった母親は、「私さえ頑張れば子どもも頑張るはず」と考えがちになり、子どもからのシグナルを無視・軽視し、尻を叩きがちになってしまう。これが教育虐待。私は、「母親が9割」という心構えが、教育虐待の素地になっているように思われてならない。

どんな人でも、全部悪い、という人はいない。佐藤ママの子ども4人が東大に入ったのは大したものだし、それだけの理由もあるだろう。でも、その手柄をすべて母親が独り占め状態(母親が9割)にとらえるその心構えが、非常にまずい結果を導きやすいように思う。

もし仮に成功しても、「私が頑張ったから」と功績を誇るようでは、卓球のトップ選手が母親の出しゃばりを嫌うようになったのと同じことになりかねない。子どもは、自分が努力し成長したことを認めてほしいのに、それらもすべて自分の手柄にしてしまう親が煙たくなる。嫌がるようになる。

私は、もっと実態に即したタイトルにしたほうがよかったのではないか、と思う。「受験は母親がせいぜい3割」。このへんが適当だと思う。それくらいの心構えでいないと、子どもを母親が飲み込んでしまいかねない。そして思春期の頃に、子どもはそのワナから逃れようとして話がこじれかねない。

佐藤ママの話は、私も手法としては共感するところが多々ある。ただ、子どもに対する心構えが、どうもまずいと以前から感じる。子どもの頑張りも、周囲の頑張りもすべて自分の手柄にしてしまう思考は、いろんな関係性を悪化させる原因になりかねない、と私は懸念している。

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