「近頃の若者は」ではなく「近頃の職場は」が問題
すでにコロナ前から人材不足が現れ始めていたけど、今年からもっとはっきり、多くの分野で顕著になると思う。そもそも応募者がいない。確保したと思っても逃げられる。いかに逃げられずに済む魅力的な職場にするかが問われる。人を交換可能な部品と捉えている職場は崩壊するだろう。
https://twitter.com/ishihara_shun/status/1755254248290578911?t=XaTzWVE2_OTRCLNWpLUneQ&s=19
否応なしに「即戦力以外はいらん」と言ってる傲慢な職場から、崩壊が始まっていくと思う。どこかで育ててくれた人材を引っ張ってくればよいとか、勝手に育ってくれた人材を採用すればいいなんて「贅沢」なことは、かなり恵まれているはずの職場でも通じなくなるほどの人材不足が起きると予想。
よほどのことがない限りより好みせず、その個性を活かしながら人材として育て、しかもこの職場が好きだ!と言ってもらえるような職場環境を整えられないところは、どんどん人材を失っていくことになると思う。
すぐ辞めてしまう今の若い世代に「近頃の若者は」と言ってる人がいるけども、もしかしたら「近頃の日本の職場は」と言い換えたほうが適切かもしれない。日本の職場は、竹中平蔵氏の口車に惑わされて、「実力主義」という言葉によって、人を育てる姿勢を放棄してきた。
人を交換可能な部品に見立て、実力のある人間に交換すればよい、という部品扱い。その実力は一体誰が育ててくれるというのか?という視点を日本全体が見失ったことで、「合成の誤謬」が起きた。日本のどこに行っても人材を育てるところがなく、だから人材が育ちにくい社会になってしまった。
若者たちは、これまでの日本社会の冷酷さを直感的に見抜いているのだと思う。そんな冷酷な職場に義理立てする必要はないと見限っている。「今の若者は」ではなく、「今の職場は」の問題なのだ、と発想を転換する必要がある。
しかし、日本は長らく人を育てることを怠ってきたために、どうやって人を育てたらよいのかわからなくなっているように思う。今の50代半ば以上は、先輩上司に育ててもらった記憶があるだろうが、それ以下は使い捨てにされることに怯えてきた世代。人を育てる記憶がすでに薄れている。
実力ある人を雇うのではなく、たまたま来てくれた人をいかに逃さず、自らここにいたいと願うようになってもらい、しかも人材として育ってもらうにはどうしたらよいか。その手法を日本の職場は身に着けなければならない。すっかり人の育て方を忘れた日本の職場は、これから試練に立たされる。
若者に変われというのではなく、職場に変われと言う。それがこれからの命題となるだろう。180度ひっくり返ったようなこの発想の大転換を、今の年配者ができるのかどうか。人材を確保し、人材を育てられるかは、この点にかかっているといえるだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?