関係性から考えるものの見方、事例集第三弾

関係性から考えるものの見方(社会構成主義)の事例、第三弾。
京都駅に着いたけど大雨で電車が出ないことに。するとオッサンが駅員に食ってかかっていた。「目的地に行かれへんやろが!どないしてくれるねん!」その駅員はどうやらホーム全体に指示を出す立場なのに、オッサンのせいで仕事できない。

いつまでもオッサンは駅員捕まえて離さず。これではますます混乱に拍車がかかり、電車が遅れることになりそう。私は二人の間に割って入り、駅員に向かい、「ここは任しとき。あんた、指示のほう頑張って」と解放した。するとオッサン「なんやお前は!」と私に食ってかかってきた。

私は「私もこの電車に乗りますねん。ほら、見てみなはれ、あの駅員、ここら全体を指示する立場や。そんな人捕まえて怒鳴ってたら余計に混乱して電車が遅れる。迷惑ですねん」というとオッサン、言葉を失ったみたいで「何やねん!」と捨て台詞残して奥さん連れてどこかに歩き去った。

オッサンは、現場で当惑する乗客たちの不満を代弁しているつもりだったのだろう。正義の代表として、「悪」である駅員にはどれだけ怒鳴っても構わない、それは正義の行為なのだから、と信じて疑わなかったのだろう。そのままでは、オッサンは駅員を離す見込みが立たなかった。

そこで同じ乗客である私が割って入って、自分と同じ立場の人間から「アンタのせいで電車が遅れる」と言われたことで、オッサンは「正義の代弁者」という立場から引きずり下ろされたことになる。むしろ「電車を遅らせる張本人」へと関係性がシフトしたことに気がつき、バツが悪くなったのだろう。

こうした関係性の変化は、同じ駅員では起こしにくい。むしろオッサンに捕まる人間を複数に増やすだけに終わりかねない。オッサンと同じ乗客であるという立場の人間が割って入ったから、関係性をガラリと変えることができたのだろう。

阪神大震災のとき、避難所でボランティアと神戸市の職員でいざこざが起きていた。話を聞くと、「味噌ラーメンと塩ラーメンを全部合計したら被災者全員に配れるのに、市職員が「同じ種類のラーメンを被災者全員に配れないなら配ってはならない」と頑張っていて、意見が対立してる」という。

「私に任せてみて」とボランティアに頼み、市職員と話してみた。「ラーメンとかの救援物資はどこから来てるかご存知ですか?」と尋ねると、「神戸市からだ」という返事。私は首を振り、「いいえ、違います。この避難所に集まってる、特に食料系の救援物資は私達ボランティアが集めたものです」

「神戸市から支給されてるのは、毎日来るおにぎり2個のみ。ラーメンなどの食料はすべて私達ボランティアがかき集めてきたものです。ですので、これらの分配は私達に任せてください。それより、市職員の立場を利用して、足りない物資を市から調達する方を頑張って頂けませんか」と話した。

市職員は、すべての救援物資が神戸市から支給されてるものと勘違いしていた。だから自分のコントロール下に救援物資もボランティアも置こうと頑張っていたのだけれど、そもそも毛布以外の救援物資のほとんどがボランティアの力によるものとなれば、市職員は筋違いな横暴を働いていたことになる。

私は、市職員の思い描いていた関係性を、「そりゃ思い違いだよ」と指摘することで、関係性の形をガラリと変えた。
以後、ボランティアが物資を分配することについて口出しすることはなくなり、代わりに神戸市に、足りない物資の調達を頼むことに専念してくれるようになった。

人間というのは、自分の立ち位置というのを把握して行動を決めている。自分に正義あり、と考えると強く出られる。周囲からすれば理不尽なほどの強硬な姿勢は、「我に正義あり」と考える関係性を信じて疑わないからこそ可能になっている。

ならば、行動を変容させようと思ったら、その人の信じる関係性とは違う関係性を示せばよい。駅員に怒鳴ってたオッサンの場合は、「ホームで戸惑う乗客を代弁する」という関係性から、「他の乗客が迷惑する、電車をますます遅らせる原因を作ってる」という関係性(構造)に転換。

ボランティアと対立していた市職員の場合は、「神戸市の支給する救援物資をボランティアの専横から守る正義の味方」という関係性から、「ボランティアの集めた救援物資に何の権限もなく横車を通そうとする横暴さ」という関係性(構造)にシフト。その途端、行動が変容した。

オッサンを責めるだけ、神戸市職員を責めるだけではうまくいかない。自分に正義があると思い込んでるのだから、責めれば、ますます「悪と戦う正義の味方」だという自画像に酔って、全く事態が動かなくなる。こういう場合は、関係性や構造をシフトさせた方がカンタン。

オッサンや市職員の「存在」を頑なだとか強情だとか責めてもうまくいかない。しかし「関係性」をデザイン、シフトさせると驚くほど行動が変容する。
こうしたことは、普段から訓練してとっさにできるようにしておかないと難しいけれど、訓練するとだんだん上手くなる。私も元々全然できないタチ。

トシをとるにつれてとっさにできるようになってきた。これも、関係性や構造に着目したほうが事態は動くという、着眼点を持っていたから磨けたようなもの。相手をどうこうしようと考えるのではなく、相手はどんな関係性を思い描いてそんな行動をとっているのかを想像してみる。

そして、別の関係性だとどんな行動になりそうか、仮説を立ててみる。すると、今の行動は取りにくくなる関係性が見えてくる。あとは本人にどうやって関係性の変化を思い知らせるか、という手法の問題となる。それも現場で取りうる手段を仮説して考えてみる。

そういうことを、普段から、日常生活からシミュレートし、訓練してると、だんだん上手くなる。関係性のデザインは、普段からデザインしようと試みるからできるようになる。みなさんもお試しあれ。

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