「結果を求める」ことは 「観察」と相性が悪い
自分が結果を出してきた人って、部下育成や子育てがヘタってケースが少なくない。「名選手、必ずしも名監督ならず」とはよくいったもの。なぜ部下育成がヘタなのかというと、結果ばかり求めるから、というのが結構大きな原因であるらしい。
私も、実は、特に仕事は結果が出なければ意味がないと考えている。しかし、部下や子どもを育てて彼らに「結果」を出してもらいたいなら、なおのこと結果を求めず、結果を忘れる必要がある。結果を出すには、あるパフォーマンスを最大化する必要があるからだ。そのパフォーマンスとは、観察。
観察しなければ、物事をうまくやりおおせることはできない。目をつむり、耳をふさいで何の予備知識もなしにデタラメに動くに等しくなってしまうのだから。しかしこの「観察」という行為は、「結果を強く求められる」ことととても相性が悪い。
もし、結果を強く求める上司からの監視の目がある中で作業するとなると、部下は萎縮する。目の前の作業よりも上司の目が怖くてそっちばかり気になる。このため、手元がおろそかになる。失敗する。すると上司は「さっき教えただろう!」と厳しく結果を求める。すると部下はますます萎縮し、
手許を観察するゆとりを失い、意識は上司の視線や機嫌を窺うことにエネルギーを吸い取られる。このため、ますますパニックがひどくなり、結果を出せなくなる。「結果を強く求める」ことと、部下が落ち着いて手元を「観察」することは、とても相性の悪いものであるらしい。
だから、部下に結果を出してもらいたいなら、部下に結果を求めてはならないという「ねじれ」がある。部下が結果を最大限に出す時というのは、「観察」を丁寧に行える時。だから上司は、結果が欲しいなら、部下に結果を求めるのではなく、観察が滞りなく行える環境作りをする方に注力する必要がある。
観察が最大化する環境とはどういう状態か?皮肉なことに、結果を求めず、与えられた環境を楽しんでしまうこと。どんな状況なのか、目の前で何が起きているのか、シゲシゲと観察し、発見することを楽しむこと。その間、結果を出すことを忘れ、ひたすら観察を楽しむこと。すると。
観察から得られたデータをもとにして、無意識(潜在意識)が自動的に「こうしたらうまくいくのでは?」という仮説を紡いでくれる。その仮説通りに実験してみると、かなりの確率でうまくいく。もしうまくいかなくても、また観察し、仮設を立てて実験するを繰り返せばよいこと。すると必ず結果が出る。
観察が最大化すれば、結果はおのずと伴う。だから、上司(親)は、結果を最大化させたいなら、部下(子ども)に結果を求めることをせず、彼らの観察が最大化する条件とは何か、を考えた方がよいように思う。観察さえ最大化すれば結果が最大化するのだから。
けれど、観察は「結果を求める」ことと相性が実に悪い。だから、結果を最大化させたいなら、部下や子どもに結果を求めてはならないという「ねじれ」が起きる。しかしこの「ねじれ」が理解できず、結果ばかり求めて部下(子ども)の観察の邪魔をしている上司(親)が少なくない。
結果を求めるとかえって結果が求められない、という事例として、少し変な体験談を。
水耕栽培で生ゴミみたいな有機肥料が使えないか、という研究は古くから試みられてきたけれど、世界のどの研究者もうまくいっていなかった。生ゴミに含まれる有機物は、土の中だと二段階の分解が進むけど、
水の中だと1段階目の分解で止まってしまう。二段階目の分解を行う硝化菌という菌が有機物を超苦手としていて、有機物が入ってくると死んでしまう菌だったから。
でも過去の研究者は、「そうはいっても有機物の分解に関わる菌なのだから」と、有機物を入れて無機養分を作れ!という「結果」を求めた。
ところが、有機物を入れたら硝化菌が死ぬ、という現実が常に起きた。結果を求めたら結果が得られなかった、という皮肉な現象。
私は発想を変えた。「土の中だと、硝化菌は生ゴミとかの有機物が入ってきても死なないんだよね。だとしたら、硝化菌は他の微生物に保護してもらっているのでは?」
「でも、他の微生物に保護してもらうためには、『お見合い期間』が必要なのかも。だとしたら、無理をせず、お見合いの間はそっとしておくとどうなのだろう?」と仮説を立てた。で、水に加える生ごみの量を、硝化菌が死なずに済むごくわずかな量に抑えて、お見合い期間として2週間待った。
すると、硝化菌が他の微生物に守られる形になったのか、以後は、かなりの量の生ごみを加えても死ななくなり、水は腐敗するのではなく、硝酸などの植物の大好きな無機養分を作ってくれるようになった。これが有機質肥料活用型養液栽培(プロバイオポニックス)という技術。
これまでの研究者が「どうせお前らは有機物を分解して無機養分を作らねばならない宿命なのだ」と、「結果」を性急に求めた結果、その結果は得られず、水が腐るという問題だけが残っていた。私は結果を求めず、まずは硝化菌が機嫌よく暮らせる環境づくりを優先した。それが功を奏した。
結果を出したいなら結果を求めず、まずは観察。微生物の研究から、その姿勢を学んだと言えるかもしれない。観察すれば、どうするとよさそうかが見えてくる。その仮説に基づいてやってみれば、いつか道は開ける。つまり結果が出る。結果を出したいなら結果を求めない、というステージが大切。
この「ねじれ」をいかにして自分のものにするかが、人を育成する上では大切。マーフィーの法則じゃないけれど、結果を求めたら結果が出なくなる。結果を求めなければ結果が出る。こうした「現実」をよく見極める必要があるように思う。