京大ルネに篠原の本のコーナーが!

京都大学の西部生協ルネに行ったら、今も私の本のコーナーが!五冊目の本「そのとき、日本は何人養える?」は今日売れて本棚にないけど、とのこと。
なんと、今年いっぱいコーナーを続ける予定とのこと!嬉しい!
ちなみにポップを書いてくれたのは、京大でMBAの勉強してる大角さん!ありがたや!

京大の方々に、拙著を紹介してみる。
まず一冊目「自分の頭で考えて動く部下の育て方」。
大学で部下の育て方なんかどないすんねん!と思われる方もいるかもしれない。ただ、本を出してかなり早い段階で、京大の学生の方から、部下の指導の仕方でとても参考になったという感想をもらったことがある。

それまで、後輩には微に入り細をうがつように丁寧に指導したほうがよいと考えていたという。しかし丁寧に教えても「はあ」と生返事だし、教えたことが身についていない感覚があったという。

で、本書を読んで「細かく教えるより、問いかけ、考えてもらい、答えてもらったほうが自分ごとと捉え、よく身につくという実感があったという。学生には部下はいないだろうけど、後輩指導というのは大学生活でも多々あると思う。「教える」よりもよく伝わり、理解も深まり、応用力がつく方法がある。

本書を読んで、後輩育成にご活用頂ければと思う。

2冊目は「子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法」。
学生は独身がほとんど、子どももいないのになんで子育て本やねん!というツッコミがあるかもしれない。ただ、学生さんの少なからずが家庭教師や塾講師をしていることだろう。

私は学生時代の10年間塾を主宰し、直接の形だと100人ほどを指導してきた。ただ、進学塾などではなく、不登校や不良の子、成績が芳しくない子(公立中で学年最下位クラスなど)が多く、そもそも勉強なんかしたくない、という子が大半を占めていた。やる気がないから教えても身につかなかった。

そうは言っても塾をしてる間は、ともかく必死に教えて、なんとか私の指導した子で成績が上向くことはあっても成績を下げる子はいなかった。でも、私は自分の指導能力のなさを痛感せざるを得なかった。塾に来る子らはみな、私よりも素質で劣ることはなかった。いや、私よりも素質のある子ばかりだった。

なのに私より成績のよくなった子は、阪大に現役合格した一人を除いて、いなかった。私は、自分よりも素質のある子たちを全然育てられなかったことが申し訳なく、塾をたたんだ後も「あのときどう指導したらよかったのだろう?」と自問自答し続けた。

それから十数年、頼まれて子どもの指導をしたり、学生の指導をしているうち、「こうすればよかったのではないか」という仮説が湧いてきた。その仮説に基づいて子どもを指導したり、あるいは学生を指導したり、あるいは新たなスタッフを指導したりした。どうやらこの手法は、年齢問わずに有効なのでは?

わが子も生まれ、試してみると、やはり有効。その仮説をまとめたのが、本書。
内容は、教えるよりも何よりも、子どもが学ぶことを楽しむこと、知ることを楽しむこと。「できない」を「できる」に、「知らない」を「知る」に変えることの楽しさを思い出してもらうこと。そうすれば子どもは勝手に学ぶ。

子どもは本来、意欲のカタマリ。学習伊予区のカタマリ。なのにそれを削ぐいろんな関わり方をしてしまっている。そうした関わり方を一つ一つ解きほぐし、子どもが能動的に学ぶ環境を整え、能動的に学んだことに驚き、面白がると、子どもは勝手に学び出す。この指導法にもっと早くに気づいていれば、

塾で指導していたあの子達も、もっと花開いたろうに、と思う。ある意味、懺悔の本。そして、これから育とうという子どもたちのために、この指導法が広がれば、もっと楽しんで学ぶ子どもが増えるのでは、と考えている。塾や家庭教師で子どもを指導してる学生の方に、読んでみてほしい。

三冊目は「ひらめかない人のためのイノベーションの技法」。この本は、新しい技術や学問を打ち立てようという人のお役に立てば、と思って書いた本なので、学生や研究者の方向けかもしれない。「ひらめかない人」というのが余計かもしれないけど(笑)。
ひらめかない人、とは実は私のこと。

私は、創造的なことがまるで思いつかない若者だった。その場で公式を編み出せるような能力がないと京大の入試試験の数学は解けないが、まさに私には手のつけられないタイプの問題だった。よく受かったよな。だから京大生には比較的縁のない話かもしれないけど。

そんな創造性のない私は、創造的な人のことが羨ましくて仕方なかった。なんとか私みたいな不器用で何もひらめかない人間でも創造性をマネられないか。そのコツを一つ一つ言語化していった。そのコツが30個以上見つかった。そのうちのどれか一つでも実践すれば、創造性を発揮できるように思う。

本書で紹介してるコツを一つ。とある水耕栽培の農家のもとに、障がい者の就職先はないかと先生が訪れた。そのとき、苗を植える様子を見ていた先生らが「あの作業、うちの子らでもできそう」と言ってるのを聞いて、農家の方はムカッとしたという。その作業はベテランでないと任せられない難しい作業。

浅く植えれば根が水に届かず、枯れてしまう。深く植えると下の水の流れに飲み込まれて流されてしまう。絶妙な力加減が求められ、健常者であってもおいそれとは任せられない作業だった。「簡単に考えやがって!」と内心、農家の方は怒っていたという。
それから数日経つと、同じ学校の先生が再訪。

「試させてほしい」というその先生の手にはプラスチックの下敷きが。その1辺を苗に押し当てると、きれいに苗が定植パネルにはまった!農家さんは驚いた。ベテランでも難しい作業が、下敷き一つで初めての人でもきれいに植えられるなんて!

なぜその先生は、プロでも難しい作業を、初めての人間でもきれいに実施できる工夫を思いついたのか。それは、自分たちの生徒である子らの障害を考えて、「あの子達にもできるようにするにはどんな工夫を追加したらよいか」ということを思考するクセが先生についていたからだろう。

ヘタに手先が器用な人は、器用でできてしまうからこそ、工夫しない。不器用だからこそ工夫してなんとかできるようにしようと考える。「不器用な人でもできるようにするにはとうしたらよいのか」が、創造する力となることを、農家さんが発見した出来事だった。

その農家さんは以後、障がい者の若者を毎年一人ずつ雇って、「この若者ができるようにするにはどうしたらよいか」を考えるようになった。するとその工夫は、障害のあるなしに関係なく、作業効率を大幅に改善することになることに気がついた。「不器用でもできる工夫」は、イノベーションの卵となる。

こうしたコツを三十以上紹介している。創造性がない、とお悩みの方に、一度お試しで読んでもらえたらと思う。

4冊目は「思考の枠を超える」。私は若い頃、人付き合いがとても苦手で、スポーツもダメだった(勉強も中学2年の末までダメ)。自分の不器用さを呪ってきた人間。

器用な人はなぜ器用にこなせるのだろう?不器用な人間はなぜ不器用なのだろう?それをなんとか言語化しようとずっと考えてきて、どうやら「思い込み」が原因であることに気がついた。不器用な人は強い思い込みがあって、それに囚われることが人付き合いや運動音痴の原因になっていることに気がついた。

私はその思い込みのことを「思枠」と名づけて、不器用な人がいかに思枠に囚われ、思考も何もかも柔軟性を損なう原因となっていることを、本書で指摘した。そして器用な人のやり方を不器用な人間が再現(エミュレート)するにはどうしたらよいか、仮説を提示した。心当たりのある方は読んでみてほしい。

五冊目は「そのとき、日本は何人養える?」。食料安全保障の本。本書の内容を象徴する一言を紹介するなら、「コメは石油でできている」。コメを1kcal作るのに石油を2.6kcal燃やしている。化学農薬、トラクターの燃料、そして化学肥料を使用するからだ。

化学肥料の重要な原料であるアンモニアを製造するだけで、世界のエネルギー消費の1〜2%を消耗している。そして、石油はあまりにも優秀なエネルギーすぎて、代わりのものがいまだに見つからない。本書では石油以外のあらゆるエネルギーの可能性を調べ上げた。

天然ガス、石炭、原子力、核融合、水素エネルギー、太陽電池などの自然エネルギー、地熱発電、バイオ燃料。しかし、石油に代わるエネルギーがどうも見当たらない。そして石油は、採掘時に消耗するエネルギーの七倍程度しか採れなくなっている。3倍を切るとエネルギーとしては使用できなくなる。

石油がエネルギーとして使用できなくなったとき、人類は食料を作れるのか?その問いを、あえて日本の国土に限定して考察してみた。もし石油が手に入らないなら、日本の国土は3000万人分の食料を作るのが精一杯。1億2500万人もいるのに。

本書では、日本に住む人々を養うにはどんな条件が必要なのかを徹底的に洗い出した。ただし、答えは見出せなかった。絶望的。あえてその絶望的な現実を提示することにとどめた本。この本は、農業のことなんか全く知らない、関心がないという方にこそ読んでみて頂きたい。

6冊目は「世界をアップデートする方法」。この本は「哲学とか思想とか、何がおもろいねん」とか、「哲学思想の何の役に立つのかさっぱりわからん」という人にこそ読んでほしい。というのも、何を隠そう私自身がそう思っていたクチだから。

その考え方が改まったのは、「社会思想史概論」を読んでから。哲学や思想は、いわば社会のOSとなるもの。哲学者や思想家は、これまでのOSでは立ち行かなくなったことにいち早く気がつき、それを新たに書き換えた人たち。そのことに気がついた。だけど本書はとても難解。言葉が難しい。眠い。

哲学や思想が社会の根本施工を書き換え、その結果、人類の行動が大きく変容したことをわかりやすく伝えたい。そのことを多くの人に知ってもらうことで、現代が抱える諸問題を解決に導く「OSの書き換え」をする人が現れてほしい。そう考えて書いた本。

本書では、哲学者や思想家を紹介しているけれど、専門用語はほぼ皆無と言ってよいほど書いてない。また、普通ならこの人物はこう紹介するのが定石だろ、というのも全く踏襲しなかった。私は哲学者でも思想家でもないし、専門家でもないのだから、私の好きなように紹介する、というスタンスをとった。

その代わり、彼らが唱えた言説でいかに世界が一変してしまったかを、できるだけわかりやすく書いてみることにした。
一例を紹介すると、ボッカッチョ。この人物は「デカメロン」という、なんとも日本人からすると愉快な名前の本を書いている。世界史にも紹介される重要な書物なのだけど、

ちくま文庫のそれを手に取ると、なぜか表紙は女性の下着姿。手に取るのが恥ずかしい。レジに持ってくのがためらわれる本。エロ本買ってると思われてまうやん、と心配になる本。でもご心配なく。内容はエロ本。こんなにエロい古典を私は読んだ事がなかった。

なんでエロ本なのに歴史に名を残したのか?それは、世界史を塗り替えたエロ本だから。
ボッカッチョの生きた時代は、キリスト教の僧侶たちが腐敗堕落していたときだった。しかし僧侶の悪口を言ったら地獄に落ちると言われ、誰もその腐敗ぶりを糾弾できずにいた。

ボッカッチョは、僧侶の腐敗堕落ぶりを、エロスを描くことで暴いてみせた。当時の僧侶はもちろん怒り、天罰が下るぞと脅したけど、ボッカッチョは死ぬ間際まで悔い改めようとしなかった(死ぬ間際に悔い改めたけど)。こうした様子を見ていた人たちは、「なんだ、僧侶の悪口書いても地獄に落ちないぞ」

このことが、中世西欧の人々の思考をキリスト教から解き放ち、ルネサンスを招く1要因になったように私は考えている。それまでは、中世の西欧の人々は、キリスト教の世界観から抜け出すことが難しかった。ボッカッチョの書いたエロ本が、そこに大きなヒビを入れたのだと思う。

哲学者や思想家は、これまでの思考では立ち行かなくなることを悟り、新しい考え方を提示して世界を変えてきた人たち。そう考えると、世界帝国を築いてきたアレクサンダー大王やチンギスハン、ナポレオンなどとも肩を並べるような、あるいはそれを凌駕するほどの影響力を示した人たち。

そうしたことを、できるだけわかりやすく面白く書いてみようと思った本。哲学なんか、思想なんか全く興味がない!という人にこそ、読んでみてほしい。

以上、京大書籍部ルネで作られてるコーナーの本の紹介でした。拙著をお買い求めの際は、京大ルネで。一般の方もご購入頂けます。

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