「どうせ」を「どうせなら」へ
阪神淡路大震災では寒かったこともあり、全国から毛布が送られてきた。しかし中にはひどく汚れた、捨てた方がよいようなものも少なくなかった。当然、被災者の人たちは新品の毛布を欲しがった。ところが中古なのに新品よりも人気のある、不思議な毛布があった。それには手紙が入っていた。
「これは新品ではありませんが、気持ちよく使ってもらえるよう、3日間日に干したものです。こんなものでよろしければお使いください」その心遣いが、中古の毛布を「ケガレ」から「ぬくもり」へと変えたらしい。人の心がけ次第で、印象がガラリと変わる。
中古の汚い毛布を送ってきた人は「どうせ被災者の人たちは寒くて仕方ないんだろう、だったら捨てようと思っていたこの毛布でもいいか」となったのだろう。手紙を入れて送った人は「どうせなら日に干して少しでも気持ちよく眠れますように」と願いを込めたのだろう。「どうせ」と「どうせなら」の違い。
ナイチンゲールが現れる前、看護師はあまり尊敬される職業ではなかったという。患者の吐いた物や血で汚れた格好をしていて、貧しい人しかなり手がいなかった職業だったから。ところがナイチンゲールが看護師のイメージをガラリと変えた。
それまでの看護師は「どうせ汚れるのだから」と、汚れた服を替えようとしなかった。しかしナイチンゲールは服だけでなく患者のシーツも、汚れたらすぐ清潔なシーツに取り換え、「どうせなら患者に衛生的な環境を」と努力を続けた。その結果、死亡率が劇的に下がった。
実は当時、患者は不潔な環境に置かれることで、傷口などから病原菌が侵入し、それで症状が悪化するという「二次感染」で死ぬ人が多かった。「どうせ汚れるのだから」という対応が、患者をより死に近づけていた。しかしナイチンゲールが「どうせなら」と意識改革、衛生的に保ったことで、死亡率激減。
「エンゼルメイク」が広がる前、亡くなった人に化粧を施すのは看護師の当番だったのだけれど、その時用意されていたのは折れた口紅、残りかすのファウンデーション。これではあまりに亡くなった方がかわいそう、と、一念発起した看護師が、死んだ人に合う化粧を研究し始めた。
次第に遺族の方たちが「まるで元気だった時のよう」と涙を流して喜ぶように。亡くなった方に施すこの化粧技術はエンゼルメイクと呼ばれ、全国から研修に訪れるほどの人気の技術になった。これもある意味、「どうせ」から「どうせなら」への変革のように思う。
エンゼルメイクが始まる前に折れた口紅、残りかすのファウンデーションしか用意されていなかったのは、「どうせ」死んでいるから、という気持ちの表れだったのだろう。それを「どうせなら生前の元気だったお姿に」と心をこめたとき、死に化粧は「エンゼルメイク」へと印象を一新したのではないか。
映画「おくりびと」の原作ともいえる「納棺夫日記」の筆者は、遺体を棺に納める納棺夫を仕事にする、と言った時、親戚から勘当すると言い渡されたという。筆者は、どうせなら亡くなった方たちのご遺体を、心を込めてお世話しよう、と心に決めた。
まるでお医者さんのように白衣に身を包み、ご遺体を丁寧に洗い、優しく棺に納める。その様子をみたおばあさんが「私がなくなったら、あなたにやってもらえないだろうか」と頼まれるようになった。やがて、お坊さんでもないのに両手を合わせて拝まれることも。
「どうせ」死んだ人、さげすまれている職業、と投げやりになるのではなく、「どうせなら」亡くなった方を心を込めてお世話し、全身全霊で取り組もう、と心構えを持った時、多くの人から敬愛され、講演まで依頼されるようになり、やがて「納棺夫日記」を執筆するに至った。
ある女子大生がトイレを卒論に選んだ。その卒論は画期的で、観光地にリピーターが増えるかどうかはトイレの影響が大きい、と分析していた。昔の観光地はトイレが汚く、女子トイレが少なかったりして、「二度とここには来たくない」という人も少なくないことを見事に指摘したものだった。
この女子大生が大手トイレメーカーに就職した、というニュースが新聞で出たあたりから、トイレが快適なものに生まれ変わり始めた。それまでのトイレは「どうせ」汚れていて臭い空間だから、と、金もかけられず、工夫もされていなかった。そして、やはり汚れていて臭かった。しかし。
その女子大生の卒論をきっかけに、トイレはどんどん快適で臭くなく、むしろあまりにきれいなので汚してはいけないような気になるような美しい空間に変わっていった。遊園地に勝る集客力を誇った刈谷のサービスエリアは、トイレが快適なことでも有名になった。
「どうせ」とバカにされていたものが、「どうせなら」心を込めて、大切に扱うようにした途端、その職業や製品が輝き始める、という事例は、かように数多い。人間は不思議なことに、バカにし、ぞんざいにしているものはさげすまされるが、心を込めた途端、聖化されて感じる感性があるらしい。
私たちの身の回りに「どうせ」と思われているものは転がっていないだろうか。そのせいで蔑まれているものはないだろうか。それは「どうせなら」の心がけ次第で、ガラッと印象を180度変え、生まれ変わる可能性がある。「どうせ」を「どうせなら」に変えるイノベーションは、とても面白いと思う。
・・・・・・・
「どうせ」を「どうせなら」に、というテーマは、拙著「ひらめかない人のためのイノベーションの技法」にも収録しています。イノベーションに限らず、毎日を少し楽しく優しく暮らすのにお役立ていただければ幸い。