体感伴わないままだと、小学校の内容も理解できない

小学校の学習内容は、本当に侮りがたい。真剣に考えると結構難しい。2分の1を4分の1で割ると2になる、という計算はできる人が多い。
1/2÷1/4=1/2×4=2
というように、分数の割り算の場合は上下ひっくり返してかけ算にすることをテクニックとして知っているからだ。でも。

なぜひっくり返してかけ算に変えてしまうのか、なぜそれで正解になるのか、説明できる人は少ない。学校の先生に質問しても「それはそういうものだからそう覚えて」で済まされてしまった、という人も多い。このため、なぜひっくり返してかけ算にするのか、釈然としないまま中学生になったりする。

でもここ、理解をしないまま次に進むと、高校でつまづくようになる。なぜひっくり返してかけ算にして構わないのか、本人なりに納得のいく説明がつかないと、後で「数学はやっぱりわけわからん!」となって、お手上げになってしまう。

私は、いったん数式から離れて、実物を使って考えるようにした方がいいと思う。「4は2の何倍や?」「9は3の何倍や?」と聞くと、分数が苦手な子でも答えられることが多い。おはじきだとか実物で実現しながらだとまず間違わずに答えられる。これを何度も繰り返し、実物の感覚が育ってから、

4÷2、9÷3などの式に戻ると、「A÷Bという式は、『AはBの何倍や?』という質問のことなんだな」という納得が生まれる。ここまで来た後、次に分数の計算に入る(すでに分数の割り算を習った上で分からないでいる子を想定しての問答だと思っていただきたい)。

1/2のピザと、1/4のピザの実物(円を切ったもので構わない)を見せて「1/2は1/4の何倍や?つまり、1/2は1/4のいくつ分になる?」と質問すると、見た目で分かるので、2倍だ、と答えてくれる。「1/3は1/6の何倍や?」「1/5は1/10の何倍や?」と、実物示しながらどんどん答えてもらう。

体験が十分にたまってきたころを見計らって、「よし、割り算ってのは、4÷2とか9÷3とかは、前のやつが後ろのやつの何倍あるか?ってクイズやっていってたよな。今、やってた分数も、「1/2は1/4の何倍や?」って質問してたから、式に書くと?と問うと、右往左往しながらも、1/2÷1/4と書ける。

「ところで、1/2は1/4の何倍ってさっき言っていたっけ?」と、ピザを見せながら質問すると、「2倍」って答えてくれる。「ほんなら、1/2÷1/4の答えは?」と聞くと、「2」と答えられる。「さあ、ここで問題。この答えの2を出すには、どう計算するといい?」と質問すると、子どもはウーンと考え込む。

でも一応、すでに分数の割り算の仕方は習っているので、「・・・もしかして、割る(÷)の後ろの1/4を上下ひっくり返す?」というやり方を思い出す。「お!そうやね!そうすると答えはどうなる?」ウンウン考えて、「2になる・・・」と答えてくれる。「よし、じゃあ次。1/3は1/6の何倍やった?」

ピザを示せば、「2倍」って答えられる。「さっきの要領で、1/3は1/6の何倍や?って質問を式にすると?」と聞くと、右往左往しながらも、1/3÷1/6という式が書ける。「さて、さっきは答えはいくらや言うてた?」というと、「2倍」と思い出し、1/3÷1/6=2という答えを書ける。

「じゃあ問題。この答え2になるには、式をどう変形したらいい?」さっきのことがあるから、「÷を×に変えて、分数を上下ひっくり返す」と答えてくれる。このように、実物のピザを見て直観的に答えを出してもらい、式を書いてもらい、というのを繰り返していくうち、

「÷を×に変えて、その後ろの分数を上下ひっくり返せば、なぜかピザの実物を見て導いた答えと一致する」という体験を積むことができる。なぜ分数を上下ひっくり返すのかはわからないけれど、それをすると、ピザの実物を見て答えた数字とピタリ一致するという不思議現象が再現性良く現れることに気づく。

「なんでかわからんけど、どんな分数同士の割り算でも、実際にピザを見て導いた答えとピタリ一致する。分数の割り算は上下ひっくり返してかけ算にすると、なぜか実際に起きていることにピタリと合う数字になるんだな」ということを、ビッグデータ(?)解析的に導き、納得できるようになる。

実物のピザから導いた答えとピタリと合う。何度やってもそうなる。それを体験的に積み重ねて知ると、「分数の割り算は上下ひっくり返してかけ算にする」というテクニックの不思議さ、でも確実に答えを導ける感動を味わうことができるように思う。

速度の問題も、うろ覚えの子が非常に多い。偏差値60あるのに、速度の問題をたまにとんでもない間違いするので何でだ?と思ったら、「はじき」という語呂合わせで覚えていた。ところが、時間を距離で割るのか、距離を時間で割るのかわからなくなって、逆に計算して答えを書くことがあることが判明。

私はそういう場合、次のように質問するようにしていた。「1時間で10キロ進むのと、20キロ進むの、どっちが速い?」「10キロ進むのに1時間かかるのと、2時間かかるの、どっちが速い?」と、数式で話に言葉でクイズを出し、答えてもらうと、数学苦手な子でもだいたい答えることができる。

「そや!じゃあ、時速40キロと時速80キロ、どっちが速い?」と聞くと、数字が大きい方が速いことを体験的に知っている子が多いから、ほとんどの子は答えられる。「そや!ほんなら、もう一度同じ問題聞くで。10キロ進むのに1時間かかるのと、2時間かかるの、どっちが速い?」

「1時間のほう」と答えられる。「そや!ほんなら、10キロ割る1時間と、10キロ割る2時間を計算してみい」「次は、1時間割る10キロと、2時間割る10キロ計算してみい」「よし、ところでどっちの方が速かったんやっけ?」「1時間」「そや!ところで、時間÷距離と、距離÷時間、答えはどう?」

時間÷距離だと、1÷10=0.1、2÷10=0.2となり、距離÷時間だと10÷1=10、10÷2=5となる。「もう一度聞くで、どっちの方が速かった?」「1時間のほう」「そや!速い方が遅い方より数字大きいかったよな?時間を距離で割るのと、距離で時間を割るのと、どっちが1時間のほう、大きくなっとる?」

こういう問答を何度も何度も繰り返すと、次第に、速度の計算は「はじき」のような語呂合わせで解こうとすることは誤解し、間違いのもとになることに気づき始める。それよりも、「速度とは、特定の時間当たりでどのくらいの距離を進めるか、ってことなんだな」ということを、問答の中で痛感してもらう。

こうして、実際の距離や時間、速度の量的な感覚を、問答を繰り返すことで思い起こさせ、その上で計算の仕方を見つめ直すことを繰り返すと、「距離で時間を割ると、速度が速ければ速いほど数字が小さくなっておかしい、時間で距離を割らなきゃいけないのか!」という「発見」につながる。

でも、速度の計算において、こうした丁寧な思考の積み重ねができている子は、決して多くない。半分以上の子どもが、速度の計算で「実感」が伴っておらず、テクニックとして「はじき」とか「きそじ」という形で覚えているだけだから、距離で時間を割るなんて間違いを平気で犯してしまう。

小学校で習う内容は、生活実感に基づいて組み立てられている。理解する上でも、生活実感の裏付けが重要。きちんと、生活で体験することとリンクさせて、式を理解する必要がある。ところが、これを怠りがちなケースが非常に多い。分数は中学生の3分の1以上、速度は半分以上が実感伴っていない。

小学校の内容は、体験だとか実感を伴う形で理解しておかないと、テクニックだけで計算できてしまう、という中途半端な形だと、高校に進学したあたりで苦労することになる。テクニックだけでは歯が立たない領域に入っていくからだ。実感とても大切。

正解を出すことより、その計算がどんな体験に基づいているのか、現実とどうリンクしているのか、その実感が欠けていると、本当の意味で理解できたことにはならない。小学校の内容を「体感を伴う」形で理解することがとても大切。でも、大学生になってもこれができてない人はかなり多い。

ただ、人生経験を積むことで、「あ、1/2を1/4で割ると答えが2になるのは、ピザとかケーキとかを切るとよくわかるなあ」とか、「速度は大きいほど速いんだから、時間を距離で割ったらおかしなことになるよな」ということに気がついてくる。体験が伴わないと、こうしたものは理解が困難。

高校1年生なのに分数ができなかった子は、「ケーキの切れない子ども」だったが、実は、その子は一人っ子だったため、いつも優先してケーキでも何でも大きなピースをもらっていたから、ケーキやピザを等分して分けるという体験がゼロだった。このため、分数の理解が困難だった。

で、実際に本物のピザやケーキを切らせたりもして、その子に体験を重ねた結果、分数を理解できるようになった。数学はテクニックや暗記だけに頼ると、後で全然歯が立たなくなる。体験的理解が非常に重要。そしてその体験的理解を、小学校の内容ですでにつまづいている人は多い。

小学校の内容、本当に侮りがたい。体験が不足しているために、体験的に理解できずに子供時代を終えてしまう人も少なくない。いかに体験的に理解させることができるか、が、その後の学習に大きく影響するように思う。

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